墓と薔薇

閑話:レハール伯爵夫人のはかりごと(3)


 こうして五日連続でブラウアー邸を訪問しているうちに、デュシアンはある事実に気づかざるを得なかった。 円卓騎士シーンがこの辺りを重点的に巡回していること、もしくは屋敷傍で見張っていることを、 守られている側の姉妹たちは全く知らないようなのだ。
 はじめこそシーンと姉妹は知り合いかそれ以上の関係であると思い微笑ましく感じていたのだが、 いよいよそれも怪しく思えてきた。 もしかすれば彼は歌姫ツィラの熱狂的な一支持者に過ぎないなのかもしれないと、考えを改め直す必要もあるだろう。 そうだとすれば、初日の態度は少々度が過ぎる気もすると、デュシアンはやや困惑した。
 しかし彼が姉妹を貶める側の人間かと問われれば、即座に否定するだろう。 言動は荒いが、まるで孤高の狼のように姉妹を見守るあの青年が、この機に乗じて卑劣な行動をするようには到底思えないのだ。 勘に過ぎない評価を危ういと理解しながらも、デュシアンは執事や姉妹に彼の事を確認するのは先送りにしていた。
――さて、今日も負けないぞ
 薄色の外壁を持つ屋敷を前にし、気合を入れる。実はここ連続三日、姉妹には会えておらず、 執事によって門前払いをされているのだ。もちろん理に適った理由で断わられるのでこちらとしても強く出ることは出来ず、 執事に変化はないか確認し、何かあればラヴィン家が必ず力を貸すと念を押してからすごすごと帰るしかなかった。
 どれだけ拒絶されても負けないと決意を顕わにして玄関のノッカーを叩く。するとすぐに青銅色の扉が勢い良く開き、 年老いた執事が喜色ばんだ青い顔で飛び出してきた。その異様さに、デュシアンは違和感を覚えた。
 執事はというと、こちらを見つけるとすぐにも、奈落の底にでも突き落とされたかのような落胆を見せた。 眼に見えるかたちで落ち込むその様子はやはり尋常ではない。
「あの、どうかされたのですか」
 挨拶もせずに尋ねれば、執事は強張った表情で首を横に振った。いつもこちらを厄介者のように見つめる目が泳いでいる。
「い、いえ」
 何かがおかしいと不審に思ったが、デュシアンは取次ぎを頼んだ。
「ツィラ殿か、ニーナ殿にお取り次ぎ願えますか? 少々しつこいとは承知しておりますが」
「え、ええ。その、ツィラお嬢様は、その、ご体調が優れず、ニーナお嬢様は、ええ、生地をお買い付けに……」
 これまでの三回と同じ断わり文句であるのに、今日はぎこちないどころか動揺して何度も言葉につまる。 腹の前で重ねられた手がそわそわと組み変わり、落ち着きがなかった。気づいてくれと言わんばかりの態度だ。
「何かあったのですね?」
 デュシアンは居ても立ってもいられず、せいぜい偉そうに見えるよう胸を張った。
「わたしは確かに、ブラウアー家にとって望ましくない客人だとは理解してます。ですが、 お二人を守りたい気持ちは執事殿と同じかと存じます」
「こ、公爵様にそのような、滅相もございません。お気持ちは重々……」
 青い顔が更に哀れなほど青くなる。
「では、何があったのかお話し頂けますね」
 執事は葛藤するように苦渋の表情を浮かべ、 とうとう耐え切れないかのようにぎゅっと目を瞑るとその場に崩れるように膝をついた。 灰色の髪を乱しながら、懇願するように地べたに手をつく。
「……お嬢様がたはご助力を強く拒絶しておりますが、私の一存でお願い申し上げます!  どうか、どうかお嬢様がたをお助け下さい!」
「助ける……? まさか」
 一番避けたかった事態に陥ったことに、デュシアンは息を呑んだ。
「はい、ニーナ様が、貴族に(かどわ)かされたのでございます」
「そんな」
「生地を買い付けに行かれたニーナ様が出先で攫われ、脅迫文が届いたのでございます」
 一度くしゃくしゃに丸められたらしく皺になった紙を差し出した。
「このような事になるなら、無理にでも同行すれば良かった……」
 嘆き悔いる執事を宥めながら、デュシアンは受け取った手紙の文面に目を通した。ツィラ宛だった。

『大地に根付く薄紅色の花を、貴女はご存知でしょうか。我が家に咲くその花を、 ぜひ貴女と二人きりで眺めたいものです』

 そう綴ってあるのみで差出人の署名はない。しかし、ツィラや執事にはこの手紙に沁み込まされた香りに覚えがあるのだという。
「これは?」
「出かける前のニーナ様は、薄紅色の衣服を着ておられたのです」
 デュシアンはもう一度文面に視線を落とす。「花」とは「女性」のことなのだろう。 ニーナの髪は草花の命を育む土と同じ、焦げ茶色だ。つまりは「ニーナを預かっている。 こちらまで一人で来い」という意味が込められているのだろう。 だが傍目に見れば、ただの熱烈な恋文にしか見えない巧妙な手口だ。この手紙だけが残っても、 誘拐の証拠にはならない。
「それをご覧になったツィラ様が飛び出して行かれたのです」
「お一人で、ですか?」
 なんて無謀な。これでは向こうの思う壺だ。デュシアンは声を張り上げた。
「けれども偶然にも屋敷前をシーン様が通りかかられて、すぐにもツィラ様の後を追って下さったのです。 シーン様が間に合って下さればよいのですが」
 その運の良さに一先ずほっと胸を撫で下ろす。そして執事の口からシーンの名が出たことから、 彼がブラウアー家とはちゃんと顔見知りであることが判明して、その事にも安堵した。
 しかしそれならばどうして彼はひっそりと、姉妹に悟られないよう警戒に当っていたのだろうか。 初日に会った時は私服であったから、非番の日もこの辺りを巡回しているのだろう。
――恩着せがましく思われたくないから、かなぁ……
 そうだとすれば、実は奥ゆかしい人物なのかもしれない。その人物像を修正しなければ、と思う。
「騎士団に通報したほうが良いのでしょうか?」
 心痛な面持ちの執事はこちらに判断を委ねてくる。思考を戻し、デュシアンは僅かに躊躇った。 恐らく執事も同じことを考えているだろう。
 《誘拐された》という事実は表沙汰にしたくない。年若い女性の誘拐は悪い方向へ想像をかきたてる。 事実如何に限らず、場合によっては首都にいられなくなるほど世間体に傷がつく。
「お二人が行かれてどのくらい時間が経ってますか?」
「まだ四半刻もたっておりません」
 辻馬車をうまく捕まえられれば間に合うかもしれない。デュシアンは自分の間の良さに感謝した。
「差出人は?」
「え?」
「場所です。シーンさんは円卓騎士ですから独断で貴族を捕縛する権限もお持ちだと思いますが、 誘拐を表沙汰にしない為にもわたしが場を収めます」
 姉妹と顔見知りの彼がその権限を行使することはないだろう。 デュシアンとしても、ニーナが無事であるのなら彼女が傷つかない方法で対処したかった。それでも万が一の時を考えて、 通報すべきと考えた。ダリル将軍ならば、うまく立ち回ってくれると不思議と信じられる。
「円卓騎士団に詳細を通報して下さい。わたしが責任を持ちます」
 先にこちらが場を収めれば、ダリル将軍は公爵たるこちらの顔を立てて大事にしないでくれるだろう。
 今はとにかくニーナが心身共に無事であることを切に祈るしかなかった。


(2010/6/18)

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