墓と薔薇

閑話:レハール伯爵夫人のはかりごと(2)


 コール・ブラウアー子爵は、一ヶ月半ほど前のラヴィン公爵傷害の咎により、爵位と上級結界特別研究室首座の地位を剥奪、 首都追放を言い渡され、元領地にて蟄居謹慎処分となった。時が経てば奥方の故郷である魔法国家ララドへ渡るのではないか、 とも噂されている。
 その子爵には二人の娘があった。姉はツィラ・ブラウアー。国立劇場の象徴的な歌姫であり、 その歌声と美貌から絶大な人気を誇っている。妹のニーナ・ブラウアーはその姉の傍で彼女の生活を管理する秘書的な仕事をしながら、 姉の舞台衣装を縫う役目を担っていた。貴族の娘ながらも大変優れた被服職人なのだという。
 彼女たち姉妹は多くの国民からの強い要望と嘆願を受け、また本人たちもそれに同意し、 両親と共に元領地へ戻ることなく首都に残ることとなった。
 しかし、非貴族となり後ろ盾もなくなった彼女たちを待ち受けていたのは、 美しいツィラを愛人にしようと目論む上流貴族や豪商たちの欲望だった。 類稀な美貌を持つ珠玉の歌姫を手に入れようと彼らは金を貢ぎ、それを撥ね除けて応じない姿勢を見せるや否や、 罪に触れるぎりぎりのところで接触してくるようになり、ツィラたちは外出もままならなくなったのだという。
 残された財で個人的に雇った護衛には手の平を返されたこともあり、他者は信頼できるものではない。また、 二人には魔法の才も武芸の嗜みもないことから、自衛にも限度がある。 加害者の家族を守る法はあっても、自ら危険な場所に身を置く者はその範疇にないことから、 国が積極的に警備の手を回してくれることもない。
 二人の置かれた状況を哀れに思い、庇護の手を差し伸べたいと思う貴族が多いながらも皆その一歩を踏み出せないのは、 被害者側の顔色を窺ってのこと。ブラウアー子爵が傷つけた相手は、 代々《北の守り》を維持する北の公ラヴィン公爵家の当主。誰もが、衝突を避けたい相手であるのだ。
 故に、ブラウアー姉妹は孤立無援となっていた。
 以上が、イルマ・レハール伯爵夫人から聞いた、彼女たちブラウアー姉妹の現状だった。


「ご用件はなんでしょうか」
 口調は刺々しくはないが素っ気無く、まったく歓迎の意は示さない。扉付近に立つ家令か執事かと思われる老人も、 不躾ではない程度に不審そうにこちらを観察している。予想していた事だったが、デュシアンは途方に暮れそうになった。
 水を被ったのは昨日のこと。姉妹の詳細を聞いたからにはすぐにも動かざるを得なかった。そうしてブラウアー邸に訪れ、通された客間に現れたのは、恐らく在宅であろう姉である歌姫ツィラではなく妹のニーナ・ブラウアーだった。 赤髪に緑の目という古ララド人の特徴を持つ先祖返りの姉とは違い、 ニーナは至って落ち着いた色合いの、焦げ茶色の髪に薄茶の瞳を持っていた。 着ている服まで濃い茶色な為に地味な印象を与えてくるが、よく見ればとても綺麗な娘だった。 年の頃合はデュシアンよりも二、三歳年下ぐらいに思えた。恐らくはぎりぎり未成年であろう。
「ツィラ殿に、貴族の嫌がらせが続いていると聞いたのですが」
「例えそうだとしても、貴女様には関係ないことと存じます」
 切り出してみたものの、ニーナはぴしゃりと冷たく言い切った。 不審者(デュシアン)から姉を守ろうとする思いからなのか、知的な瞳には強い拒絶の意が宿っている。
「父に関して寛大なお心遣いを頂きましたことは大変有難く存じております。ですが、 わたくしたち姉妹に関しては貴女様の関与するところではございません。自分たちのことは 自分たちで守れます。そもそも首都に残ることを決めたのは、わたくしたち自身なのですから」
 穏やかで大人しそうな見た目に反して語調は強かった。まるで寄れば噛み付きそうな小型犬のようにぴりぴりとしている。 こちらは父親の失脚の原因となった相手なのだから、仕方がないことなのだろうが。
 さてどうしてものかと、デュシアンは零しそうになる溜息を堪えた。
 本来ならば、これだけ関与を拒否されているのだから手を引くべきなのだろう。しかし、 不可抗力とはいえラヴィン公爵の殺害未遂で蟄居謹慎処分中の子爵の家族に対し、 表立って援助ができる貴族はそうはいないとレハール夫人も語った。 彼女たちを援助すれば、被害者であるラヴィン家に対して角が立つ。また、もしも援助を受けたとしても、 財力権力のある貴族はほぼ男性であり、未婚の彼女たちの世間体に傷がつくかもしれない。
 そういった意味では、当事者たるラヴィン家の当主であり同性でもある自分は、 この国で誰よりも彼女たちを救うに相応しい立場にあるのだった。
 伯爵夫人はそれを気づかせる為に、あの茶会でツィラと引き合わせたのだ。ただし、夫人はデュシアンに対して 「何かしろ」と命じたわけでも頼んできたわけでもない。ただツィラを紹介し、 彼女とその妹御がおかれた状況について説明してくれただけだった。そうすることで、 デュシアンがどのように動くかを冷静に見ているのだろう。
 この話をティアレルにすれば嘆かれるに違いない。 あれほど『貴族の女性』には気をつけるよう言ったのに、と。
 しかし知ってしまった手前、何もしないでいられるほど薄情にはなれなかった。 人々は彼女の歌声を望んでいるし、ツィラ自身も辛い状況であるにも関わらず首都に残ったということは、 舞台に上がることを望んでいるのだろう。双方の望みを潰したくはない。
――それに、わたしが迂闊じゃなかったら、子爵に余計な罪名を付けることにはならなかった
 これは贖罪でもあるのだと、デュシアンは自分を奮い立たせた。
 厄介事に首を挟んでも解決できるような力量が自分にあるとは思えないが、 公爵という身分と北の公という肩書きは、それだけで充分な牽制となる。
――わたしなら、彼女たちの安全だけでなく世間体も守れる
 不安を感じながらも、公爵として腹をくくる。迷いのない目でニーナを見据えた。
「貴女がた姉妹はご自身で首都に残られることを決意されました。また同時に、国民も貴女がたが残られることを強く望んでいます。 人々がお二人を望んでいる以上、貴女がたの身の安全は保障されるべきだと思います」
「でもそれは」
「わたしだけが、貴女がたを守れます」
 異論を許さないとの意を込めて、強く言い切った。
 彼女は息を呑んで唇を引き結び、黙った。不本意ながらも公爵に口答えができないからなのだろう。
 権力で抑え込むつもりはないが、デュシアンはたたみ掛けるように続けた。
「まず、貴族の当主や名のある人物は、この国ではその殆どが男性です。男性がお二人の援助をすれば、 いらない誤解を生むことでしょう。それは貴女がた姉妹の名誉を貶めるはずです。 その点ではわたしは同性ですから問題はないかと思います。そして公に貴女がたを援助するということは、 被害者となったラヴィン家に対して角が立ちます。けれども、被害者たるわたし自身が保護するのであれば、 誰にも角が立ちません。ツィラさんと貴女を守れるのは、わたしだけです」
「でも、それは貴女様のご意思ではありません」
 ニーナはこちらをじっと見つめ、唇を噛み締めた。レハール伯爵夫人に頼まれてここにやって来たと勘違いしているのだろう。 あの茶会でこちらがツィラを知らなかったことは、ニーナも聞き及んでいるはず。そう勘違いされても当然だが、事実ではない。
「確かにわたしは何も知りませんでした。レハール伯爵夫人に聞くまで、お二人の存在も知らなかった身です。 貴女がたがどのような目に合い、辛い思いをされているのか知りもしなかった。批難されて当然だと思います」
「批難なんて……。そういう意味では、ございません」
 興奮したように泣きそうな声でニーナは首を振った。その様子が、そろそろ限界だと告げている。
「同じことです。わたしは知らなかった。それを情けないと思います。どうかわたしに、名誉挽回の機会を下さいませんか?」
 語りかけるようにニーナを覗き込む。少しでも思いが伝わって欲しいと望む。
 誰かに助けて欲しいと彼女は確実に願っている。だが、現れた相手は父を貶めた張本人だ。 おいそれとその甘い提案に乗れるはずもないだろう。
「お帰り、ください」
 ニーナのは瞳に溢れ出そうなほどの涙を湛え、けれどもそれを必死に零れないよう留めながらこちらを真っ直ぐ睨みつけてきた。 行儀良く膝の上におかれた手が震えていてる。
「今日のところは帰ります」
 デュシアンは笑みを浮かべて立ち上がった。絶対に見捨てないと誓う。
 姉妹には精神的な余裕がないのだ。父は失脚して母とともに元領地にて謹慎しており、 首都に頼れる親族はいない。護衛は信頼できない。国は守ってくれない。身を守る術もない。 貴族たちの犯罪まがいの誘いに日々悩まされ、外出もままならない。この一ヶ月半、ずっと辛かったはずだ。
 ここに来るまで一瞬でも面倒ごとから逃げたいと思ってしまった自分を、デュシアンはなじりたかった。 助けになりたいと心底願い、屋敷を後にした。


「あんた、ここで何してんだ」
 元子爵家の屋敷の門から出たところで、背筋がぞくりとするほど低い声が掛かり、デュシアンは振り返った。
 門構えの赤錆びた鉄柵に背を預けている男が組んだ腕を解き、一重の黒い双眸を吊り上げてこちらを睨んでいた。 ただ佇んでいるだけなのに、強い存在感がある。
 今日は軍服ではないが、その顔には覚えがあった。 ベアトリーチェ公女が『円卓騎士で一番ガラの悪い騎士』と言っていた青年だ。
「あなたは確か――」
「あんたが、何しにここに来た」
 覚えたての名を口にしようとしたところで、それを拒むかのように強いちからで腕を取られ、 噛み付くように至近距離で威嚇される。 眼光鋭く口調も荒くて体躯もがっしりとし、円卓騎士の軍服をまとっていないこともあって荒くれ者の傭兵のようだった。 品行方正で物語の王子様のような風貌の同僚グリフィス・クローファーと行動をよく共にすると聞いていなければ、 悲鳴を上げていただろう。ひどく殺気だっていて、今にも腰の剣を抜き放ちそうな気迫だ。
「あの、えっと、暴力反対」
 小さく抵抗してみるものの、微動だにしない。以前、彼が部下の従騎士ユーリの首を絞めていた光景を思い出し、 ぞっとする。
「これ以上、あいつらを苦しめるな」
 重く圧し掛かるような低い声と、苦しげに歪んだ表情の奥に潜む彼の深い思いを感じ取り、 デュシアンはこの無体な仕打ちに納得して抵抗するのをやめた。彼への恐怖は一気に消える。
「……公爵だからって、容赦はしねぇ」
 突き放すように乱暴に腕を放すと、彼は踵を返した。
 デュシアンは痛む腕を摩りながら、怒りと憤りに揺れる背が遠くに消える前にと声を掛ける。 彼にも了解を取るべきなのだろうと思う。
「シーンさん。わたしは、あの二人を守りたいんです」
 ブラウアー姉妹と円卓騎士シーンとの関係は分からないが、彼が心底彼女たちを心配していることだけは分かる。そして、 それがただの心配だけではないと敏感に読み取れたのは、自分が最近その感情を知るようになったからだろう。
「自分の身すら守れねぇのにか? あんたの出る幕じゃねぇんだよ」
 その背はすぐにも見えなくなった。
 はき捨てるように投げかけられた言葉は耳に痛かった。確かに自分の身すら守れない――デュシアンはそっと首に手を添えた。 彼はこちらがブラウアー子爵を止められなかった事を知っている。それを揶揄したのだろう。 あれからラシェに体術を少しずつ習ってはいるが、一朝一夕でどうにかなるものでもない。それは魔法も同じだ。
――確かに物理的なちからで守るのは、わたしには無理だよね
 それに、今回自分に期待されるのは権力の方だ。ラヴィン公爵であれば神殿騎士の借り受けもできる。 その中からラシェに選別してもらえれば、自信を持って護衛としてお勧めできるだろう。
――それでも、やっぱりもうちょっと魔法とか頑張らないと駄目だよね
 ベアトリーチェ公女から譲り受けたララドの書物は未だその表紙を捲っていない。 ラシェに一緒に読んで貰えば少しは耐えられるかと思うも、少々彼に頼りすぎな自分に喝を入れる。
――少しはひとりで頑張ろう
 ラシェは彼女たち姉妹と関わりを持つこと自体に良い顔をしなかった。歌劇に興味がないのか「自業自得だ」と一蹴もした。 しかし文句を言いながらも好きにさせてくれている。 恐らくは困った事態になれば、手助けはしてくれるだろう。そうならないことを祈りながら、気合を入れた。
――まずは、彼女たちの安全をわたしが保障する、と信じて貰わなくちゃ
 その為に何日かけてでも彼女たちを説得するつもりだった。


(2010/6/16)

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