墓と薔薇

閑話:双子の魔人 エピローグ

 峡谷に住まう≪彼ら≫へ帰還の挨拶を済ませてクロイツベルク城へ戻ったウェイリードを 待っていたのは、頭の痛くなるような話だった。
 待ち構えていた古株の使用人に捕まり、先ほど城内で起こった事の次第を掻い摘んで聞かされ、 決して小さくない溜息を零す。しかし長く仕えるブランシール家の内情をよく知る者だからこそ、 自分に助けを求めてきたのだろう、無碍にはできなかった。仕方なしに『悪いようにはしない』と 告げれば、彼は見るからに安心したように仕事へ戻って行った。
 もう一度吐き出した深い溜息一つで気持ちを切り替え、吹きぬけの屋内バルコニーから≪現場≫と なった中庭を見下ろした。庭師や使用人たちが慌ただしく行き交っている様子が窺える。彼らが集ま るのは、雛芥子が根こそぎ手折られた一区画。無残に散った花は片付けられ、新しい花が代わりに 植えられるのだろう。
――生き物に当たるのは、珍しいことだ
 中庭の一部を花ごと損壊させたのは、恒例となっている五番目の兄ディータとの≪追いかけっこ≫を 終了させた後のビビだという。しかし、幼い頃から知っているあの従妹は自己中心的で他人の迷惑を 顧みない娘だが、自分よりも弱く害のない生き物に怒りをぶつけることはないし、植物を意味もなく 手折るようなことはしない。キアのことをディータに問い糾されて気が高ぶったのかもしれないが、 とにかく今回は場所が悪かった。
 中庭は彼らブランシール兄妹の亡き母ヒルダ夫人が何よりも大切にした場所。そこを傷つけたこと に対し、どうやら実父であるブランシール卿や長兄が良い顔をしていないのだという。それを憂いた 使用人が、間を取り持ってくれと、事のあらましを伝えにきたのだ。
 本来ならば伯父たちは家族であるのだから家長としてビビを呼び付けて叱れば良いこと。しかし ブランシール家の家族事情はそういった簡単なことすら困難を極めるぎこちない関係となっていた。
――どうしたものか……
 ウェイリードは首の後ろを押さえながら揉み解し、またもや溜息を吐いた。問題は複雑に絡み合って いる。四番目の兄キアへの強い反感もそうであるが、根本的な問題は本当の家族との思いのすれ 違いだ。堅物な軍人気質の伯父も一番年上の従兄も感情をうまく表現できない不器用な人たちで、 ビビを慈しむ思いを口や態度に示すことができない。
――人のことは言えないのだがな……
 軽く憂いを覚え、二人に同情する。己を崩せる強さがあれば、ここまで苦労はしないだろうと 容易に想像できる。それが難しいのだからビビの方を折らせないとならないだろう。だからこそ、 古株の使用人も、ビビを操縦できる自分に告げ口をしたのだ。
 仕方ないと思いながらも自然と足が動き始める。彼らの不和の原因の一旦は自分にもあると ウェイリードには自覚があるからだ。

 クロイツベルク城、西の棟に設けられたビビの私室へと足を運び、ノックをする。返事を待たずに 扉を開ければ、ビビは寝台の上にしおらしく座り何かの絵を手に取って眺めていた。入室するこちら へ顔を向け、力なく笑って無言で訪問を喜ぶ。明らかにその様子はおかしかった。
 普段はアイゼン家の財力と権力を(かさ) に傍若無人な振る舞いで首都を練り歩き、相手の迷惑も顧みずにけたたましく喋りはじめ る娘だ。それが今は沈んだ面持ちで俯いている。ここへは、行動の戒めと実兄や実父への態度の軟化 を説きにやって来たのだが、入室早々予定が狂ってしまう。
 ウェイリードは不可解に思いながら寝台へ近づき、彼女の前に椅子を持ってきてそこに座った。 そしてビビが持っているものを覗き込み、軽い衝撃を受けた。それはブランシール家兄妹の肖像画 だったのだ。
 椅子に座って微笑むヒルダ夫人が抱く女の赤ん坊と、その周りで競うようにして覗きこむ六人の 兄たち。彼らの表情は妹という存在に対する愛情に満ち、瞳は純粋な喜びに輝いていた。二十年ほど 前の家族の記憶がこの絵には込められている。
 微笑ましい様子だと思いながらも、ウェイリードの胸中は複雑だった。彼ら六人の兄と ブランシール卿からこの絵に描かれた末子を奪ったのは、他ならぬ自分と片割れだからだ。
 ブランシール卿夫人ヒルダ伯母が亡くなったのは今から十八年前――ビビが三歳の時。彼女の突然の 事故死がすべてのはじまりだった。
 死を理解できないほど幼かったビビは母の 亡骸(なきがら)の傍で母に 語りかけ、ままごとをしていた。伯母の実妹である母ミュリエルがそんなビビの面倒を見、 突然の訃報に混乱していた従兄たちの代わりに自分たち双子がその遊び相手となった。ビビを挟む ようにして手を繋げば、その位置に満足したのか、母が土の下に消えてもビビはにこにこと微笑んで いた。悲しみにくれる人々の中、ビビだけが笑顔だったのだ。
 しかし、ヒルダ夫人を失った城内は明るさを失い、張り詰めた静けさが城内を包んでいた。使用人 たちは暗い色の服を身にまとい、それ以上に暗い顔で廊下を歩き、騎士たちは正装を着用して喪に 服していた。憩いを目的として作られた中庭は笑顔を忘れた侍女たちが世話をし、心なしか花も首を 下げて元気を失っていた。そんな沈む 城内の空気に触れ、己の身に起きた不幸を理屈ではなく肌で感じ取ったのかもしれない。ビビは 従兄である自分たちと叔母の傍にべったりとくっつき、離れなくなった。
 夫人の葬儀から一ヶ月ほど経ち、とうとう首都へと帰らなければならない日がやってきたが、ビビは 自分たちの傍から離れようとはしなかった。今でもあの時に『一緒に首都へ行くか』と訊ねた事は 間違いだったと思わない。ブランシール家の誰もがビビを気遣ってやれないほど悲しみにくれて いたし、そんな状況にビビを置いておくのが不憫で仕方なかったのだ。
 もちろん父や母も自分たちも、ビビを数ヶ月ほど預かったのちは落ちつきを取り戻したであろう クロイツベルクの家族の元へ返すつもりであった。しかし結果、ビビはクロイツベルクへと戻ること もなく、ずっと首都のアイゼン家邸宅で共に暮らすこととなった。それ以降、クロイツベルクへ一時的 に帰還することがあっても絶対に自分たちの傍を離れなかった。ビビにとっては実の兄たち以上に 自分たちの存在が≪兄≫であり、≪家族≫となってしまったのだ。
 良かれと思ってビビへ手を差し伸べたことが、伯父や従兄たちからビビを奪う結果となって しまった。
 あれからどれだけ時間が経っても未だにビビはこのクロイツベルクへと一人で戻るのを拒み、ここで 一人で過ごすのを嫌がって自分たちの姿を探す。置いていかれるのではないかと不安なのだろう。
 しかし、何を不安になる必要があるのかとも思う。ここはいつもでビビを受け入れる準備ができて いる。いつ帰って来ても良いように常に私室は掃除され、服も季節毎に新調し、珍しい菓子が焼かれ ている。誰もがブランシール家の唯一の姫君たるビビの帰還を待っているのだ。
「さっきさ、中庭で誰かに手を引かれて歩いてる自分を思い出したんだ」
 ぽつりと呟かれた言葉に、ウェイリードは考えるのをやめて従妹へと視線を向けた。
「片方の手は――父様が握ってた。でも、もう片方の手を握ってくれている人の顔が思い出せ ないの」
 ビビは俯いたまま苦しげに小さく息を吐いた。
「あたし、お母様の顔、思い出せない」
 震えるその手を取って慰めるのは簡単なことだった。伸ばせば届く位置にビビの手がある。けれども ウェイリードはあえてその手に触れなかった。ただ静かに、従妹の様子を見つめて押し黙って いた。
 ビビが実母のことを自分から語り出すのは初めてだったのだ。何気なくいつも避けていた話題。 それを自分から語り出すその心情を大切にしたかった。この小さな変化こそが、ブランシール家の 家族関係を修復する兆しではないかとウェイリードには思えたのだ。
「あたし、薄情だよね」
「なぜだ?」
 自分でも怖いぐらい優しい声色で問う。
「この絵を見ても、ミュリエル叔母様にしか見えないんだもん」
「二人は似てるから当然だ」
 違う、と首を大きく横に振った。
「あたしが思い出す≪お母様≫の顔は、ミュリエル叔母様なの」
 ビビの持つ絵の額が小さく軋む音がする。
「あたし、酷い娘だよね」
「そんなことはない」
 間髪居れずに否定すれば、ビビは驚いたように目を丸くした。藍色の瞳を揺らし、今にも泣きそうな 顔で(すが)るように見つめてくる。
「お母様が亡くなったことに対して、一度も泣いたことがないのに?」
「お前を泣かせないのが、私たちの使命だった」
 あの頃、ビビが母を失ったことに気づかないよう常に傍にいて、必死になって楽しい出来事を 探した。片割れやビビが悪戯好きになったのはその名残りだ。
 ふと思い出した過去に、ウェイリードは苦笑する。一人でままごとをするのが好きだった内気な姫君 が、大変な問題児になってしまったものだ、と。ヒルダ伯母はきっと、逞しく育った娘を喜ばしく 思っているに違いない。泣き続けて内に引き篭もるよりは、ずっと――。
「ウェイは優しい」
 唐突に、悟ったように呟くビビをやや訝しむ。
「カイザーもなんだかんだ言って優しいし」
 にっこりと笑ったビビの表情は、いつもの企みに歪んだ自信家の笑みではなく、何も分からなかった 幼い頃の面影に重なった。ビビはあの頃から本質的には変わっていないのだろう。
 上がりそうになった手をウェイリードはそっと抑えた。頭を撫で、甘えさせるのは簡単だ。 けれども変化を見せた従妹にきちんと合わせていかなければいけないと己を律する。
 本来ならば、彼女が甘えるべきは別の人間なのだから。
「怒りにきたのかと思ってたよ」
 ビビは自分がしてしまった事を理解している。今はそれだけで充分だと思った。キアとのことも、 他の家族との不和も、少しづつ変化していけば良い。ウェイリードはそっと立ち上がった。
「謝りに、行くぞ」
 一人で行け、とはまだ言えない。もう少し時間がかかるだろう。
 心底嬉しそうに微笑まれると、離しがたくなる。父が『娘も欲しかった』と密かにぼやくが、 自分たちも妹が欲しかったのだ、と白状するしかない。
「はぁい。あ、その後、お母様のお墓参りに行ってもいい?」
「ああ」
「あたしもラヴィン公ぐらいの笑顔で参ってあげないとね」
 ふと、瞬間的に彼女の表情が思い浮かぶ。それはどうしてか、ラレンシアで母君の墓標の前で見せた 笑みではなく、五年前の――猫を追って長い髪を乱して走り込んで来た時の屈託のない笑顔 だった。
「ウェイ?」
 名を呼ばれ、すぐにも我に帰り愕然とする。なぜあんな昔のことを思い出したのか。ウェイリード は理由の分からない苛付きを覚えて、首元のクラヴァットを緩めた。
「……服を着替えてくる。少し待っていろ」
 ビビに当たるわけにもいかない。適当な言い訳を考えて、取りあえず一人になって落ちつく時間を 持つことにした。生返事を返すビビを残し、廊下へと出る。
 後ろ手に扉を閉めれば、意味もなく溜息が洩れた。彼女のことを思い出すだけでビビとは違った 意味で疲れてしまう。
 今まで彼女の言動にはいつも呆れさせられていた。あのアデル公の娘でありながら、鈍くさくて警戒 心の欠片もない。次に何を仕出かすのかと考えると頭が痛くなる。しかしアデル 公が間接的にでも、彼女を託すと自分に遺したのだ、自分には彼女とその立場を守る義務がある。 それなのに彼女は自分の助力を撥ね退けた。(もっと) もな理由を付けて。
――そうだ、彼女にはラシェがいる
 彼女の従兄は大変優秀で器用な男だった。彼が傍にいれば、そう容易く今までのような言動はしな くなるだろうが――どうしてか無償に腹がたつ。
 刹那、不意に感じた鋭い殺気に身体が反応し、思考に呑まれて無防備だった己を叱責しながらウェイ リードは腰に差した剣の柄へと手を伸ばした。視線を動かし、影の伸びる廊下の壁に寄りかかる自分 と容姿の似た男を見付け、心なしか安堵する。警戒を解き、手を柄から離した。
 冷静に考えてみれば、クロイツベルクに暗殺の手が伸びることは有り得ないのだ。第一、正攻法で くる相手に引けを取るつもりはない。面倒なのは、暗殺を生業(なりわ い)とし、闇から隙をついて襲撃してくるララド人傭兵なのだから。
 こちらがやってくるのを待っているのか、優雅な物腰で壁に背を預けて佇んでいる男はその場 から動かなかった。肌を刺すような殺気はその男――ビビの五番目の兄であるディータ・ブランシール から発せられている。
 従兄でもあるディータはあまり二人きりで会いたい人物ではなかった。人前であれば彼は自重し、 臣下として礼儀正しく接してくるが、一度(ひとたび) 人目を離れれば、手のひらを返したようにこちらへ反発し、殺意を向けてくる。しかしその 理由が分かっているも、対処の仕様がなかった。ただただ彼が己の感情に負けてこちらに刃を向けて くることさえなければ良いと切に願う。そんな悲劇だけは避けたかった。
「父も兄もビビに遠慮し過ぎなんですよね」
 ある程度近づくと、警戒するかのようにディータは壁から背を離し、肩に落ちる束ねた髪を 背に払った。にこりと笑うその目は全く笑っていない。深い藍色の瞳には暗い炎が宿っている。
 わざとあの場所でビビを刺激したのか――その問いを飲み込んだ。聞かずとも答えは分かっている 上、あまり彼自身を刺激したくなかった。
「俺は遠慮なんてしませんよ。可愛いビビは大切な妹ですから。貴方たちから必ず奪い返して みせる」
 言いたいことは口にしたのだろう、彼は踵を返してどこかへ消えて行った。
 最低限の譲歩として、言葉には丁寧さを残している。けれども目には刃のような鋭さを滲ませ、 その口調も表情も挑戦的でじりじりとした怒りを孕む。
 ディータは本気で恨んでいるのだ、ビビと家族を引き離した原因である自分たち双子を。
 それでも、憎まれていると分かっていても、ウェイリードには彼の真正直さが好ましかった。動け ないでいる伯父や他の従兄たちに比べれば、ビビにとってはずっと望ましい存在なのだ。 ただ、行き過ぎた事を仕出かさない か心配でもあった。ブランシール家の人間は主筋にあたるアイゼン家への無礼な振る舞いは許され ない。その時の処罰は大変重いものとなっている。未成年のキアに対し公爵領から一歩も出させない ような処分を下した家だ、彼がこちらに刃を向ければどのような処罰となるか計り知れない。 それにそうなれば、傷つくのはビビなのだ。惨劇など産み出したくない。
 いつか和解できる日を静かに待つしかないのだろう。それはそう遠くない日かもしれない。 思いのすれ違いで互いを憎み合っていたこの地の精霊たちを思い浮かべながら、ウェイリードは 彼にしては珍しく楽観的に事を構えた。

(2007.9.5)

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