墓と薔薇

閑話:お茶とお菓子と女たち(2・後半)

「ここだよ」
 案内役の従騎士ユーリが足を止めたのは二階の奥の部屋。
 目の前まで来てしまったその扉を開ければ奥には仲違いをしてしまった相手であるティアレルが いる。
 早くなる鼓動に耳を澄ませれば、身体は余計に緊張で凝り固まってしまい目の前にある 扉へ近づく事ができないでいた。
「何してんの?」
 一向に動かないデュシアンを不信に思ったのだろう、ユーリは長身を折り曲げて 覗き込んでくる。
「あの、実は緊張してて」
「……やっぱり噂と違う」
 半ば呆れたような目で見下ろされ、流石にデュシアンは自分自身でも苦笑いを浮かべて しまった。
「ティアさん相手にまで緊張しなくて良いと思うけど。ティアさんはすんごい優しい人だし」
 ティアレルを優しいと形容する時のユーリはやや照れたような表情を浮かべていた。 「好きなのかなあ」など興味がむくむくと湧いてくる。
 そんなデュシアンを放って置いて、ユーリはさっさと扉をノックしてしまった。
「あ」
「こういうのはさっさとした方がいいんだよ」
 片目を閉じておどけた笑みを見せる。了承の声が聞こえれば容赦無く速攻に扉を開け、 顔だけで中を覗き込んだ。
「ティアさーん、お客様なんだけど、今平気?」
「大丈夫ですわ。お入れして下さいな」
 くぐもった声でのその遣り取りが聞こえた後、ユーリは扉をばっと勢い良く全開にして デュシアンへと隙間を譲った。室内を取り巻いていた逆光が急に目に飛び込み、デュシアンは その眩しさに軽く瞳を細める。
「まあ、デュシアンさま」
 ユーリと扉の間の隙間から、執務机越しに後光に照らされたティアレルと再会を果たす。驚きに 揺れるティアレルの表情に対し、デュシアンも用意する暇もなく開けられた扉と眩しさに表情が 引き攣っていた。とんでもなく気まずい再会の仕方だ。
「あの、こんにちは、ティアレルさん」
 目が慣れてきて、やっと彼女としっかりと視線が交じり、軽く頭を下げる。
「いらっしゃいませ、デュシアン様。あ、お入りになって下さいませ」
 どこかぎこちなく室内へと招かれれば、デュシアンもより一層緊張に身体が固くなった。
「じゃあ、俺はこれで。ラヴィン公、またね」
「あ、はい。ありがとうございました」
 室内に入りきっていなかった背が閉まってきた扉に押され、軽くつんのめるようにして 一歩踏み入った。存在するだけで太陽のような明るさを振りまいていたユーリが消え、 居心地悪そうにその場から動けないでいると、ティアレルが来客用の長椅子へと促してくれる。
 彼女がお茶を用意してくれている間、所在無さげにデュシアンは視線だけで軽く室内を 見回してみた。調度品などは以前 入った事のある他の騎士団の部屋と同じような装飾の少ない質素な物ばかりであるが、暖色系で 統一されたカーテンや革張りの長椅子などの布地製品からはどことなく暖かみが感じられ、さり気無く窓辺に 飾られた活花や壁に掛けられた風景画などが部屋主の品の良さを滲み出させていた。騎士団内部とは言え、さすがは一介の令嬢の 政務室であると感心させられる。
「どうぞ」
 目の前の卓にお茶が差し出され、飲みながら逡巡する。
 仲直りの第一歩は、どうしようか。頭の中で練習を繰り返してきたのに、その台詞も緊張で 飛んでいってしまっている。
「お怪我の具合は如何ですか?」
 正面に座ったティアレルは、一向に話し出さないデュシアンを見かねたのか何気ない会話の糸口を くれた。
「あ、はい。もうすっかり。その説はありがとうございました。おしろい、とても助かりました」
「お役に立てて良かったですわ」
 にっこりと微笑むその穏やかな表情は以前の何も知らなかった頃と変わり無いように思えた。 そんな彼女の態度に助けられる。
「そのお礼にですが――」
「まあ、わたくしに?」
「お口に合えば良いのですが」
 差し出したのは薄桃色の箱。
 貴族の女たちにとって、自分の屋敷で作られる菓子は訪問の手土産の定番となっている。 どれだけ素晴らしい料理人を雇っているかを自慢する意図もあるのだけれども、女性の多くが 魅了されて止まない菓子は相手の心を解きほぐす良い材料でもあった。だからこそ相手への好意的な 接触を示す為にも贈り物としては最適であるのだ。
 蓋を開けたティアレルは瞳を細めて口元を緩めながら中身を眺め、その笑みのまま顔を上げた。
「とても美味しそう。あとでリディスが来るので、もしかしたら一人で食べてしまうかもしれま せんわ。気をつけませんと」
「リディス殿は甘いものがとてもお好きみたいですよね」
「ええ、朝からこんな大きなのケーキを一人でぺろり、ですわ」
 こんな、と手で大きな円を描く。
「さすが……」
 この間の食べっぷりを思い出して頷いた。彼女の家族分より一個多めに入れて持っていったタルト のうち三つをいとも簡単に完食してしまったのだから。一個は一緒に居た自分が食べたから良いと して、残った最後の一個は家に持ち帰って夕食後に自分で食べると言っていた。相当な甘党である 上に、相当な大食漢なのである事が窺える。それであの体型が維持できるのだからまさに神業だ。
「そうですわ。通達するつもりでしたが、巫女エレナさんの身の振りが決まりましたの」
 ティアレルは箱を卓の上へと移すと口元に浮かぶ笑みを消した。
「デュシアン様のご進言もあって、神殿に縁の深い方のお傍で奉仕活動をする事になりましたわ」
「それは――」
「実質的にはお咎めはなし、という事になります。特にエレナさんはマザークロシアの監視下 ですので」
「マザークロシアのところへ?! 良かった!」
 あの子どもたちへエレナを帰す事ができた。ふつふつと沸き上がる喜びに胸をいっぱいにさせ、 デュシアンは安堵に吐息を洩らした。
「ブラウアー子爵が捕まった事で、エレナさん以外の巫女も皆さん自首して下さいましたし、 彼女たちも同じように地方で奉仕活動を数年続ける事で許されるでしょう。これで 全て一安心ですわ」
「はい」
 良かった。心の中でそう何度も呟いて、デュシアンはにこにこと頬を弛ませた。ここへ来た理由も 自分と目の前の彼女との間にある状況も全て忘れて嬉しさに叫んでしまいそうな気分であった。
 そんなデュシアンへと視線を留めながら、ティアレルは小首を傾げて眉を寄せながら微笑むと、 しばらくしてから意を決したように口を開いた。
「デュシアン様、もしかしてリディスに何か言われてこちらに来られたのですか?」
「え」
 デュシアンは顔を上げ、頬の筋肉を下げた。答えずともその反応では答えたも同然であったの だろう。ティアレルは視線を落とすと珊瑚色の唇を軽く引き締めた。
「リディスが何を言ったのかは分かりませんが、円卓騎士団所属の情報分析官だと 黙っていたわたくしがいけなかったのです」
「……それは」
 嬉しさに踊らせていた心が一気に沈む。自分が向かい合わなければならない現状を 思いだしたからだ。
「デュシアン様が円卓騎士団を快く思われていないのを知っておりましたのに、それを隠して 貴方に近づき、少しでも分析に役立てようと思っておりました。それは隠しようのない真実です」
 膝の上の指を反対の手で握り締めながら、ティアレルは無理やりに作った微笑みを見せた。
「でも、それと同時に、年相応の会話ができることが嬉しかったのも事実です。 デュシアン様は円卓騎士団と全く関わりのない方です、何か分析官として不調法があっても 咎められる心配も解任の恐れもありませんでしたから。情報と気兼ねない会話。その二つが一緒に 手に入るのは、わたくしにとって好都合だったのですわ」
 狡猾そうなその言葉とは裏腹に、ティアレルの表情はとても寂しげで覇気がなかった。以前より少し 痩せたのか、元々かなり痩せている方であるのに更に頬の肉が落ちたようにも思える。それがとても 痛ましく思えた。
 リディスは彼女の傍には三種類の人間しかいない、と言っていた。 彼女を嫉む人間、彼女へ過剰な期待と圧力を与えてくる人間、仕事に関わりある人間。 彼女の周りにはそれ以外の種類の人間はいないのだ、という。
 それはとんでもなく悲しく寂しい事であるはずだ。だからこそ、そのどれにも値せず 彼女を『ティアレル・アリスタ』と知らない自分と偽りを持ってでも話したかったのではないのか。 四種類目の項目を作る為に、分析官らしくない賭けをしてまで。
 ティアレルは視線を膝上の手元に落として諦めたような悲しい微笑みを浮かべると、数度瞬きを してから顔を上げた。
「わたくしはそんな人間なのです。貴方を好ましく思っていても、頭の隅で何時の間にか 情報を纏めて仕事にいかそうとしてしまうのです、――無意識のうちに」
 悲愴を漂わせながらも潔さに澄んだ瞳を上げた。
「けれども、それがわたくしが自分で選んだ道なのです。片時も仕事を忘れる事が許されない。 それがわたくしの仕事であり、全てなのです」
 彼女からはどこか凛とした意思の強さも感じられた。二度目に彼女と会った時も、 普通の令嬢とは違う何かを感じたが、それが『自ら進むべき道を選んだ』という強みからきている ものなのだとデュシアンは今やっと理解できた。彼女は屈強で有能な騎士たちと対等な仕事をする自身 の選んだその道を、誇りを持って進んでいるのだ。だから彼女は輝いている。
 そんな彼女を本当に好ましく感じる。本当に羨ましく感じる。彼女と同じ輝きが自分にも欲しい。 デュシアンは渇望に軽く身を乗り出した。
「あの」
 緊張に頬を震わせながら懇願するように彼女のはしばみ色の瞳をしっかりと見つめる。
「気兼ね無い話し相手、わたしでは駄目ですか?」
 彼女が驚いたように肩を震わせた。不規則に瞬き、唇を開いたり閉じたり繰り返し、 膝の上に組まれた指を落ちつき無く動かせるという、らしくない困惑を隠さずに。
「――わたくしはとても計算高い人間でしてよ?」
 言い聞かせるように、確認するように顔を顰めてティアレルも身を乗り出してくる。
 デュシアンは軽く頷いて続けた。
「首都に引き取られてすぐに貴族の方々と親交があったのですが、寄ってくるのは突然現われた ラヴィン家の公女に言い寄る貴公子たちばかり。令嬢の方々からはそれもあって煙たがれてしまい ました。――それでも仲良くしてくれた方もおられたのですが、二年前に他国へ嫁がれてしまっ たんです。植物園に身分を暈してお手伝いに行ってはいたのですが、年齢の近い方がおられ なくて、楽しかったのですが、ちょっと寂しかったんです。わたしは友達が欲しかった」
「――デュシアン様が話している内容から、仕事に関係ありそうな部分をどんどん情報として収拾 してしまうかもしれませんわ。――それでも?」
 ティアレルの表情が軽く崩れた。先ほどから見せる動揺や寂しさで彩られた笑みではなくもっと 深い、彼女の奥底の感情を表すかのように。
 それでも良いと言って欲しい。そんな自分でも良いと言って欲しい、と聞こえてくるかの ように。
 まるで幼子を安心させるかのようにデュシアンは微笑んだ。
「わたしが公爵として未熟なのは円卓騎士団の方々はもう十分理解されていると思います。 今更分析されて困るような事なんてありません。それに外面だけ上手く取り繕うとしても、 いずれボロが出てしまいます。ウェイリード公子に精神魔法を使用させてしまった事が 良い例です。わたしは父様に保護されていたお嬢様です。それ以上でも、それ以下でもありません」
 そして小首を傾げた。
「駄目、でしょうか?」
「いいえ、いいえ、こちらこそ、お願い致します!」
「良かった!」
 デュシアンが無邪気に顔を綻ばせて背筋を伸ばして手を差し伸ばせば、ティアレルもすぐにその手を 両手でしっかりと包み込み、涙の浮かんだ瞳を細めてやっと嬉しそうに微笑んでくれた。 悲しみ、寂しさを元とした笑みではない、嬉しさという心満たされる感情から生まれでた彼女の 笑みはデュシアンの心も暖めてくれた。
「良かった、デュシアン様に嫌われてしまったかと」
「わたしの方こそ、仲直りして貰えるか心配で。実はここに来るのもすっごく緊張してて」
「お顔に出てましたわ」
「やっぱり」
 二人は顔を寄せ合って、大仰に笑った。
「ラシェ――、従兄にもよく『お前は感情が顔に出る』って怒られているんです。折角怖い感じの 噂があるから、気を付けなくちゃいけないとは分かっているんですが、さっそくさっきも ユーリさんに噂と違う、って言われちゃいました」
 恥ずかしげに後頭部を掻く。
「まあ噂なんて当てにならないものは、わたくしたちは信じませんわ」
「え?」
「噂はあくまで貴方を知らない方が振りまく情報に過ぎませんもの。有名人となればそこに 色が付くのも当然ですわ」
 だから大丈夫ですのよ、違っても――ティアレルは優しく穏やかな笑みを浮かべて続けた。
「それに本当にデュシアン様にとって大切なのは、『どう見られたいのか』ではなく『何をしたいのか』ですわ」
「……何を、したいのか」
「誰かに≪良く見られたい≫と思うから動くのではなく、自分自身が≪そうしたい≫と思うから 動く。つまりは意思を持つこと、ですわ」
「意思……」
 それは自分から全く欠けているものではないか。デュシアンは今までの自分を思い返して 軽く肩を落とした。しかし励ますようにティアレルはデュシアンを覗き込む。
「エレナさんを助けたのはデュシアン様の意思でしょう? ただ彼女を助けたいと思ったから、 決して外面を気にしたからではないはずです。わたくしは貴女にそんなずる賢い 算段は出来ないと思ってますもの」
 やや興奮したように息巻くティアレルはデュシアンがずる賢い事はしない、と思い込んでいる らしい。けれども自分はそんな善人じゃないとデュシアンは首を振った。 彼女たちのあんな様子を見せ付けられれば誰だって心を動かされるはずで、それがずる賢くない 理由にはならない気がしたのだ。
「それは買かぶり過ぎではないでしょうか」
「だとすれば、デュシアン様はわたくしやグリフィス君、ダリル将軍をも欺く相当の策士 ですわね」
 ティアレルが身を乗り出すとわざとらしく声を潜め、眉を寄せてそう言うので、
「実はそうなんです」
と、同じようにデュシアンも声を潜めた。 二人はしばし見つめ合ってから穏やかに微笑み合う。
「デュシアン様はデュシアン様らしい公爵であられれば良いのですわ、噂など気にせずに」
「わたしらしい公爵?」
「ええ」
「わたしらしいって難しいです……。まだ公爵としての仕事すら覚束ないのに」
「気を張らずに。霧はいずれ晴れるのですから」
「え?」
「手探りで霧を抜ける事もできれば、反対にもっと迷ってしまうかもしれない、濃い霧の方へと 自分から踏み込んでしまうかもしれない。けれども時が経てば霧はいつのまにか晴れて、辺りは 拓けてくる。だから慌てず、霧が晴れるまでの間に行き先でも決めて待っているのも良い。 ――ダリル将軍の言葉ですわ。のんびりしてますけど、わたくしは好きな言葉です」
 不意に納得する。
――そっか。わたしは今、霧の中にいるんだ……
 自分がどこにいるのかも、どこへ向かっているのかも分かっていない。立派な公爵になる、なんて 目標は抽象的過ぎて具体的に何をすれば『立派な公爵』になれるのかなど考えてもいなかった。
――もうちょっと、具体的に考えなきゃ駄目、だよね
 霧が晴れるまでの間に行き先でも決めて待っているのも良い。霧が晴れるまでに具体的な 事を考えよう、デュシアンはその言葉に習う事にした。
 しかしとてもあの有能な将軍から紡ぎ出された言葉には思えなくて苦笑してしまう。
「将軍は素敵な方ですね」
「ええ。結婚なさってないのが不思議なぐらいに」
 微妙に論点がずれたような気がしないでもないが。見た目も素敵なので良しとする。
「ティア、頼んでたアミュレットの実験日なんだけど――あら。ラヴィン公」
 ノックとほぼ同時に扉を開けて用件を喋り出したのは漆黒の外套にツバの広い帽子というお馴染み の装いの魔女リディスであった。噂をすれば影。彼の将軍の養女たる彼女が顔を出したのだ。
 リディスは扉に身体を半分入れた所でこの室内に来訪者がいる事に気づいて足を止め、首を捻って 開けられた扉へと視線を向けた来訪者デュシアンと部屋主のティアレルとの間に穏やかな雰囲気が 築かれているのを敏感に感じ取ったのか、俯き加減で口元に優しい笑みを零した。
 やっぱり優しい人なんだ――デュシアンはそんな事を思いながら、黒帽子の下で 微笑む天女のように美しい彼女の前に立ち上がって一礼した。
「こんにちは、リディス殿。あの、お体は大丈夫ですか?」 「当然」
 見られていたとは露とも思わないのであろう、リディスは緩んだ口元を引き締めると扉を閉めて 帽子を取り、たっぷりとしたプラチナブロンドの髪を妖艶な仕草で撫で付けながら胸を張った。 何も知らなければ嫌味なほどさまになる仕草も、彼女の人となりを知っていれば ただの照れ隠しであると、微笑ましく思えてしまう。
「――それと、先日は失礼しました」
「あー、ええ、そうね。ドーミエ司教はちょっとアレだから、言っても無駄なのよ」
 近くの帽子掛けに帽子と外套を適当に引っ掛けると、
「それよりも」
デュシアンへと詰め寄って、人差し指で鎖骨の下辺りを軽く圧してきた。柳眉を 顰めて『怒っています』という怖い顔の演出まで忘れずに。
「わたし言ったでしょ? 貴女って本当、学習能力ないのね。自分の事をもう少し考えてよね。 あんな所でわたしを擁護するなんて馬鹿げてるわ。ドーミエ司教はバリバリの純信者で強硬派 なんだから」
「……す、すいません」
 一昨日の事に関しては弁解の余地もない。彼女の事を考えるならば自分は黙っているのが一番だった のだから。それに彼女の心を傷つけ、彼女の気遣いまで無碍にした自分には伏して謝罪を述べるしか 許されない。
 そんなデュシアンの落ち込みとは別に、リディスは少しだけ怒りを和らげるように眉を上げて、 「まあ、でも――」と零した。すぐに顔を真っ赤にさせると艶やかな唇をぴたりと閉じて しまう。続きを話そうか、けれども話すのはどうなのだろうか。そういった葛藤が聞こえてくる ように、眉を上げたり下げたり寄せたり離したりしている。
「あの」
 何だろうか。デュシアンが不安になって声をかければ、リディスは肩を反らして軽く息を飲み、
「――何でも無いわ」
と、横にぷいと視線を逸らしてしまった。
――き、嫌われた?!
 あんな酷い言葉を誘発させてしまったからだろうか。先日の諌める言葉を無視したからだろうか。 学習能力の無さに呆れられたのだろうか。
 デュシアンは一気に奈落へと突き落とされたような絶望的な思いに心を支配されて、息も絶え絶えで くらくらする頭をゆらゆらと小さく揺らして衝撃を受けた事をまざまざと現していた。
 するとそれまで静かに二人のやりとりを見ていたティアレルが、デュシアンの様子に何か悟ったのか 、口元に指先を当てて立ち上がると視線を外して未だ難しい顔をしているリディスの肩に触れた。
「リディス、リディス。デュシアン様が貴女に嫌われたのではないか、と誤解されてますわ」
 ティアレルの指摘にリディスは正面を向き直ってデュシアンの様子を認めれば、 すぐに慌てたように首を横に振って虚ろなその瞳を覗き込んだ。細い肩に手を伸ばして揺さぶろうと するも、触れる直前でその手を弾かれたかのように止めて、しばらくしてから視線もろとも 力なく下ろした。
「別に嫌ってなんか――」
 そこまで言葉にして、リディスはまたも口を閉ざした。
 視線を落として言われても真実味がない。まるで、嫌ってないと言わせているみたいだ。 デュシアンは余計に悲しくなってきてしまった。
 ところが、二人の様子を見兼ねたティアレルがにっこりと微笑んで、デュシアンの手とリディスの 手を取ると、その手と手を重ねてしまった。
「そうですわ。リディスは寧ろデュシアン様の事が好きなのですわ」
 ティアレルは小首を傾げてにこにこと微笑みながら、リディスが 口に出来なかった先の言葉を彼女の横でいとも簡単に伝えてしまった。
「え」
 驚いたデュシアンとリディスの言葉が重なる。重なった手と手が緊張に震えた。
 互いに顔を見せ合う。みるみるデュシアンの表情が歓喜に彩られていくと、リディスは顔を 真っ赤にさせて乱暴な仕草で手を振り解いてしまった。
「ば、ばっかじゃない、ティア! 変なこと言わないでよね!」
 虚空を殴るように手を上下させながらリディスは叫ぶも、全く効き目は無い。ティアレルは 横でおっとりとした笑みをみせるだけだ。
「嬉しいです、わたしもリディス殿の事、好きですから」
「は、はぁ?」
 片方は暖簾に腕押し。もう片方は糠に釘。リディスは左右の敵に、頭を沸騰させた。
「そ、そんな恥ずかしい事、簡単に言わないでよね! あんたってやっぱり馬鹿だわ!  もう信じらんない! ばっかじゃない?!」
 低次元な罵倒しか登らない程慌てているらしい。頬も目許も真っ赤だ。
「リディスったら天邪鬼なのだから」
 「ねー」とティアレルとデュシアンは微笑み合えば、リディスの唇がわなわなと歪んだ。
「帰る」
 ふんと鼻を鳴らし、高い靴の踵を響かせて機嫌を害したと全身で表現してから 背を向けようとしたリディスへ、ティアレルが白々しく呟く。
「あら。残念ですわ、美味しそうなロールケーキがありますのに」
 さも残念そうに眉尾を下げて、美味しそうなロールケーキが収納された箱を彼女が 見え易いように卓の上から持ち上げた。
 横を向いていたリディスの視線がちらりと、薄萌黄色の滑らかな肌を持つロールケーキに落ち、 動揺に息を飲むのをデュシアンはしっかりと確認する。
「スポンジが随分と綺麗な黄色ですのね。中はカスタードクリームでしょうか?」
「はい。生地もクリームも卵黄がたっぷりふわふわです。牛乳も卵も土地を提供している牧場から 届いた新鮮なものを使用してます。うちのお抱え料理人直伝のレシピですから、 もちろん味に自信があります。グレッグの料理が国で一番だと信じていますから」
「まあ、デュシアン様がお作りになったの? 素敵! 食べるのが楽しみですわ」
「騎士団の方がたにも食べて頂けるようにたくさん作ってきました」
「ユーリ君が喜ぶわ。甘いもの大好きだから、このぐらいの量はぺろり、ですわ」
「ゆ、ユーリは見習とはいえ騎士じゃない」
 おっとりした二人の会話とは思えない、台本のあるような掛け合いの早い会話に、リディスは 怒ったように横槍を入れてきた。二人は喋るのを止めてリディスを見つめる。
「騎士が、甘い物を食べ過ぎて脂肪ぶくぶくで動けなくなったら大変じゃない!」
 『ユーリは馬鹿だから何も考えずに好きなだけ食べるのよ?! 冬眠前の熊みたいに』とか何とか 自分を納得させる理由をぶつぶつ続けながら、リディスはデュシアンが先ほどまで座っていてた 長椅子に不貞腐れたような態度で座った。我が物顔で身を沈めて背もたれに寄り掛かり、 不遜に吊り上った目許でデュシアンを下からじっと見つめてくる。
「あの?」
「物好き」
 リディスは顔を反らすと、反対方向に向き直って身を屈めてしまう。そんな彼女が今どんな 顔をしているのか容易に想像が付き、デュシアンはついつい笑ってしまった。
「三人分、お茶を淹れ直しますわね」
 ティアレルの穏やかな声によって、女たちによるお茶会は始まった。

 お茶があって、お菓子があれば、そこに群がるのは女たち。
 いろんな話に夢中になって、嫌な事もつまらない事も、ぜんぶぜんぶ、ふっ飛ばしてしまいましょう。
 お茶にもお菓子にも魅惑的な魔力がかかってて。
 きっと今だけは許してくれる。
 ぜんぶぜんぶ、忘れてしまう事を。


(2005.12.9)

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