墓と薔薇

閑話:姉と弟、兄と妹

「お前の姉のデュシアンだよ」
 五年前に突然父が連れてきたのは、人形のように無機質な印象を与えてくる青白い顔をした女の子だった。
 父はその子を、俺の≪姉≫だと言った。
 ≪姉≫は綺麗な服には不釣合いな薄汚れた匂い袋を首から下げて、 それをずっと掴みながら緑と灰の中くらいの色あいの瞳でこちらを見つめてきた。
 その瞳の色がオリーブの実のようで、とても綺麗だなと思ったのを覚えている。
 一緒に暮らす事になったのは、≪姉≫という肩書きを持った、手足の細いどこか頼りない風体の笑わない女の子だった。




 異母姉は暇な時間を見つけては厨房主のグレッグと何やら話し込んでいるらしい。
 今日は厨房の窓の外に天日干しにしてあった食べごろの干し果実を貰いながら庭で話し込んでいる姿を見つけた。 紺の外套を羽織って玄関を出たところで、異母姉の笑い声が聞こえてしばらく垣根の間から見える二人の様子を静かに伺った。
 白髪がぽつぽつと見え始めたグレッグは、無口で気難しいが異母姉には甘かった。 自身には息子しかいないからだろうか。 長年使い込んで愛着を持った厨房を母やイリヤに貸すのには酷く躊躇う癖に――後片付けをしない二人も悪い――異母姉には喜んで貸し、 横に並んで秘伝の隠し味などを教え込んだりする。一時期 はまさか弟子にする気ではないか、と疑った程だ。
――暇そうだな
 首都での公務だけでなく地方へ奔走したり、小父の裏切りに合ったりで色々忙しい日々を送っているはずなのに、 当人はまだまだ公爵という立場を忘れているような気の抜けたボケっぷりを披露してくれる。 朝から母と噛み合わない会話もしていたが――まあ二人とも自分勝手だからきっと気にも留めてないのだろうが。
「レセン、いってらっしゃーい」
 こちらに気づいたらしい異母姉が垣根の間から手を振ってくる。
 無邪気なものだ。その曇りのないまっさらな笑みに無性に腹が立って、顔を背けたくなった。 それなのにその笑みをずっと自分だけに見せていて欲しいという我侭の塊のような醜い思考が過ぎって息苦しくなる。
 弟だからあれだけ気を許して笑ってくれる。弟だから愛してくれる。弟だから彼女の傍にいられる。 弟だからそんな特権がある。それが嬉しい反面、それ以上には決して成り得ない事実に激しい憤りを感じている。 そんな自分が嫌いだった。
 どうしてこうも異母姉は自分の心を掴んでいくのか、どうして自分だけが掴まれて、異母姉は涼しい顔をして自分と接しているのか。 悔しさに心が引き裂かれそうだった。
「レセン?」
 いつまでも動かず玄関先にいる自分に異母姉もグレッグも目を丸くさせている。仕方ないので神殿へと歩み出した。 今日の講義は頭に入りそうに無い。遺跡考古学の授業の日でなくて良かった、 と心から安堵する。
――早く、掻っ攫ってくれよ……。俺の手の届かない所に、持っていってくれ……
 なまじ手の届くところに居るのが悪い。手の届かない所に行って欲しい。 そうすれば自分はもっと落ちついて心の整理ができるのだから。
 心の中がぐちゃぐちゃなのを異母姉のせいにしてしまう弱い自分を嘲けるしかなかった。


 神殿で一番広い中庭は貴族の若者たちの社交場だ。天窓で覆われているから天候も関係無く、 結界が張られているから一年中一定の温度を保つ。中央にある噴水は都合良く会話を消してくれる音を奏で、 周りの花壇に咲く白く華美な花たちは天窓から降り注ぐ光の雨を照り返している。
 その清廉な真白き花たちとは対照的な明るい色彩を纏ってこの場に居座るのが貴族の姫君たちで、 その派手な花たちを物色するのが貴族の若君たち。 姫君たちは夢見る瞳の奥の猛禽類のような観察力で男たちを品定めし、 貴公子たちは塗り固めた紳士的な笑みの下に色情と貪欲な出世欲を隠す。そんな場所だ。
 学校へ行くにはここを必ず通らなければならない。それが嫌だと愚痴を零したら、 常にラヴィン家という名がついて回るお前は恵まれているから、と羨む学友がいた。 こうした場で自分よりも身分の高い姫君に近づいて権力を手にしなければならない者の気持ちなどお前にはわからない、とも罵られた。
――わかりたくもない、下らない
 互いの顔色を窺いながら遠巻きに探り合う。彼らの頭の中は異性の事だけ。 そんな中にいるぐらいなら眠気を誘うマウロ大司教の聖典解釈を習っている方が遥かにましに思えた。 眠気を誘うくせに試験はとんでもなく難しい。聖典の解釈は人によって異なるからマウロ大司教の望む答えは彼の授業でなければ掴めない。 なんとも嫌な授業だ。けれど恋愛と権力闘争に頭を一杯にさせて駆け引きしているよりはずっと良い。
 一瞬中庭を見やっただけですぐにも自分の道へ視線を戻した。 けれどもすぐにまた中庭に視線を向けた。今、見覚えのある金色の何かが視界に映った気がしたからだ。
「やあ、レセン」
 噴水より手前、廊下に近い場所で一人、長椅子に居座る金髪の青年が手を振ってきた。 その存在を確認してつい目を剥いてしまう。何故ならこいつは神殿という場所が大嫌いだからだ。
「なんでお前、こんなところに居るんだよ」
 そう言ってしまってから辺りに視線を散らした。遠目で自分たちを見ている姫君たちはいるが、 到底会話が聞こえるわけもないぐらい離れている。今の言葉も二人の間にしか聞こえていないだろう。 誰にもこの男――国唯一の王子セレドへの言葉遣いを咎められはしない。緊張を解いて軽く息を吐くと、 中庭へ降り立ち傍へと歩み寄った。
 いつも思いがけないところで出会うのだが、まさかこんな気色ばんだ場所にいるとは思いもかけなかった。 セレドは騎士であるイルーダに惚れ込んでいて他の女になど目もくれない。 それなのにこんな男女の出会いとなるような場所にいるのは些か不思議だった。 しかし周りに誰も居ない事から察するに、もうすでに追い払った後なのだろう。 彼にその気がなくても女たちが放っておくはずもないからだ。
 追い払われても尚彼女らの視線はこいつに向けられている。 そしてそんな奴の傍にいるせいで自分までも身体中を好奇の視線が這い回っているのに気づき、吐き気と憎悪に苛ついてきた。
「いつもの側近は一緒じゃないのか?」
「四六時中私の傍にいるわけではないよ。ジェノには円卓騎士としての仕事もあるしね」
「ふーん。で、お前はこんな所で何やってんだよ」
「あ。目標物捕捉」
 セレドの視線がこちらの肩を越えて廊下へと移動した。立ち上がると、廊下へ歩く者を止めるのか、 口を開いた。自然とセレドの視線の方向へ自分も向いた。
「ウェイリード公子」
「……殿下」
 行く手を阻まれるような形でセレドが声をかけたのは、全身が不吉なほど漆黒で飾られたアイゼン家の嫡子、 ウェイリード公子だった。立ち止まってこちらへ身体を向けると、呼び止めたセレドへ軽く礼をした。
 さらりと揺れる黒髪は艶があり、清潔感が漂う。無表情だが≪魅了の公子≫の二つ名に恥じない精悍な顔には文句をつける所がない。 更には相手が国の象徴たる王子というのに全く媚びもしない堂々とした態度を保つ。一見慇懃無礼だとも思えるが、 彼にはそれが許されるような何かがある。
――この男が、姉上の……

「やっと君と会えて嬉しいよ」

 セレドの言葉に思考を抉り取られた。詮索しようと見ていた公子から慌てて視線を移せば、にこにこと笑っている奴の横顔が。
 恋人に愛を囁くかのような台詞を天使のような笑顔で吐いている。 しかしながら告白めいた言葉を受け取った公子は全く動じることなく静かにセレドを見下ろしているだけ。気味の悪い光景だ。
「私の気持ちは受けとってくれたかな?」
「……一体なんの事か、わかりかねます」
 公子は視線を逸らすことなくそう答えた。
「そう。でも私は期待しているよ」
 セレドは楽しそうな笑みで見つめたが、公子は答えなかった。
「御前、失礼致します」
 会話はそれで終わりらしい。特にセレドも止める事は無かった。
 礼をし、顔を上げた公子と視線が一瞬だけ合う。灰色の目許は冷涼だが見下された感じは無い。 ただこちらを見ただけなのだろう。けれど自分の心拍数は跳ね上がった。
 歩き去る後姿すらも堂々としている。まるで騎士のような背筋は見るからに頼りになる男そのものだ。
――姉上は、ああいう男が好みなのか……
 アイゼン家は武家ではないにしても領地が国境と接している為に有能な騎士団を有する家だ。 そんな家の人間が軟弱であってはならないと文武両道に育てられるらしい事を学友から聞いた。 公子の体躯からしてきっと武術にも精通しているのだろう、逞しさが感じられる。
――男らしい男、か
 無口だが冷たさは感じさせない。物静かな雰囲気を持つのに、どこか覇気がある。
 異母姉が――女性が思いを寄せるのもなんとなく分かる気がした。
「思ったとおり、公子は面白い」
 隣りで一人にんまりと笑っているセレドが不気味で、呆れながらも好奇心があったから尋ねてみた。
「一体なんの話をしてたんだ? 気味悪かったぞ」
「ウェイリード公子を引っ張り出したのさ、レムテストに」
 こちらに振りかえったセレドは笑顔のままそんな事を言った。しかし何のことかわからない。
「レムテスト?」
「警備でもめるレムテストを公子に収めさせたのだ。以降、その責任がアイゼン家に圧し掛かる。 つまりはレムテストの警備に不備があればアイゼン家の沽券に関わるって事だ」
「収めさせた、ってお前が何かしたのか?」
「神殿嫌いの貴族に甘い言葉を吐いて焚き付けただけだよ」
 セレドはたまに何でも無い事のようにこういった自分の陰謀を語る。普段はどうしようもないくらいの放蕩王子であるくせに、 急に貴族を嘲笑うかのような動きをする。害のない天使の笑顔で相手に近づき、魅惑の囁きを零して去る。 まだ成人をしていない子どもだと侮っている貴族も多いせいで、侮っている相手を逆手にとって操っているのだ。 放蕩王子は油断させる為の表向きの演技なのかもしれないと最近は思うようになってきた。
「アイゼン家の分家であるブランシール家の五人の男子は神殿騎士団に属した武人だ。 長男は国境守備の要であるアイゼン公爵領が抱える神殿騎士団の頭。次男は首都神殿騎士団の首脳の一人。この二人の権力と、 公爵領に引っ込んでいる天才軍師として名高い四男を引きずり出せればレムテストは簡単に強固な警備体制になる。 野放し状態に近かった野盗の取締りも強化させるだろうな」
「お前……」
「ついでに首都の神殿騎士たちの再教育も考えるだろう。レムテストに優秀な人材を全て持っていくわけにはいかないからな。 神殿騎士たちは神兵団ほど酷くないものの、質にムラがある。今回の事で少しはマシになるといいが」
 レムテストの警備と首都の神殿騎士たちの教育の両方が片付く。一石二鳥だと言いたいらしい。
「ウェイリード公子はただの研究者にしておくには惜しい。あれだけの頭脳と機転、そして広いツテがあるのだ、 政治家にさせなければならない」
 させなければならない、という言い草にセレドらしさをひしひしと感じた。なってもらいたい、という希望ではない。 させる、という意思であるのだから傲慢極まりない。今までも水面下で散々貴族たちを操ってきたのだ、 きっとその経験を生かして公子をも自身の良いように動かすつもりなのだろう。 呆れを通り越していっそ本気で尊敬しそうになる。
 セレドは頭が良い。普通の人が努力で培って得られるものより遥かに優れたものを生まれながら持ち合わせている。 記憶力、判断力、構成力、発想力、情報処理能力、どれをとっても天才的才能をみせる。それはもう、 温厚で聡明で努力家でもある心優しい妹姫のミリーネが嫉妬を覚えるぐらいに。
「お前な、誰でも自分の思い通りになると思ったら大間違いだぞ?」
 わざわざ言わなくても分かっていると思うが、釘を刺す。ミリーネが兄に抱く嫉妬を口に出せない分、 言ってやりたい部分もある。
「ダリルと同じ説教をするな」
 とたんにセレドは珍しいぐらいに顔を歪めた。セレドにとって円卓騎士団のダリル将軍は、 歯に衣着せぬ物言いをする数少ない人間で、目障りな存在だからだ。以前、延々と愚痴を聞かされた事がある。
「私は誰の言いなりにもならない」
 ダリル将軍は言いなりにするつもりなど毛頭なく、セレドを心配し苦言を呈しているだけだ。 セレドもそれは十分理解しているはず。
 国の英雄として信望を集める将軍に対してただ拗ねているだけ。この時まではそう思っていた。
「元老院の言いなりにも、神殿の都合の良いようにもならない。なれば私たちは食い尽くされるだけ。 ミリーネを守れるのは私しかいないのだから……」
「ミリーネ?」
 今の所ミリーネには危険など無いように思えた。
 ミリーネは自分自身の置かれた立場をよく理解しているので神殿とも元老院ともうまく立ちまわり、 保守的な考えの多い貴族の好む控え目な姫を演じて決してでしゃばらない。それが国の望む姫の姿だとわかっているからだ。 しかし本人はとても聡明で、ただ控えているだけなのがとても勿体無いぐらいなのだが。
 むしろ危険があるのはセレドの方だ。元老院の付けた騎士を厄介者扱いしたり、神殿の祭典を平気で欠席したりしていた。 カーリア初代国王で、法皇でもあった聖アレクシスに似ているとかいう理由で神殿側は大目に見てはいるようだけれど、 やはりいつか軋轢が生じないか心配だった。
「ミリーネはブライトが好きなんだ」
 ぽつりとセレドは呟いた。在らぬ方向を見ながら先ほどまでの自信家の表情に蔭りを見せて独り言のように小さく呟いたので、 あまりにらしくなくて見入ってしまった。
「だがこのままいけば、クラメンスに嫁がされる」
「クラメンス王国……? あの国はカーリアを毛嫌いしてるじゃんか」
「百年前の諍いから歩み寄る為の礎にミリーネを嫁がせる事を元老院は推し進めている」
 クラメンスは東カーリアの外れにある、海に面した独立国家だ。
 百年近く前の出来事だが、カーリアへの併合に合意しないクラメンス王国に対し、時のカーリア国王が侵攻命令を出し、 国境付近の民家を焼き討ちにするという事件があった。それ以来クラメンスとの国交は断絶。 クラメンスは未だその禍根を忘れずカーリアへ刺々しいまでの敵意を向けている。
 そんな国にミリーネを嫁がせるのは危険極まりない。嫌がらせを受けるだけならばまだしも、 毒殺される可能性だって全く無いわけではない。 そしてきっとそんな事態になってもカーリアはクラメンスを責め立てる事など出来ないだろう。 事態の好転を望んでの降嫁だったのだから、関係を悪化するような物言いは出来ない。
 良き友人たる彼女がそんな危ない目に晒されそうに なっている事など知りもしなかった。彼女は自分の運命を知っているのだろうか、知ってて何も言ってくれなかったのだろうか。
「ミリーネには好きな男に嫁いで欲しい。だが私にはミリーネの願いを叶えてやれる力がない。 王族などただの国の飾りに過ぎないからな」
 セレドは力なく笑った。自分の無力さを嘆いているのだろうか。
 確かにセレドの言うように、王族には特別な権力が無い。それはクラメンスとのその諍いの際に、 勝手に進軍命令を出した国王に対し不満を爆発させた貴族が元老院を擁立し、王族から様々な権力と権利を剥奪したからだ。 国王一人に責任を押し付けて王族から力を奪う事で国内の反発を抑え込み、それ以来王族はお飾りの君主と成り下がった。 貴族の頂点には立つが、独立した政治的権力は皆無。
 セレドはいつもそれを悔しがっていた。仕方ないと諦めようとしていた。昔からどうしたら良いのだろうと悩んでいた。
 今もそうなのだろう、そう思った瞬間セレドは今まで見せた事の無いような切羽詰った表情で顔を上げた。
「貴族を動かす実績が欲しいんだ。力がないなら自分で奪いとるしかない」
「セレド?」
「クラメンスをどうにかしなければならないのなら、私がどうにかする。もともとミリーネ一人嫁いだぐらいで情勢に変化などない、 ただの糸口に過ぎない。その糸口が欲しいなら、私がそれを切り開く。どうしても外国との政略結婚を結びたいならば私がする。 ミリーネに辛い思いなどさせたくない」
 激しい感情を抑えるように固く拳を握り締め、意思の強い瑠璃色の瞳で睨むようにこちらを見据えていた。 その顔には性別すら超越するような腑抜けたいつもの天使の笑みは無い。 目の前に立つのは、強さを秘めた一人の真剣な男そのものだった。
 セレドは自身の無力さにただ嘆いていただけではなかったのだ。どうにかして道を切り開こうとし、 どうにかして妹の気持ちを守ろうとしているのだ。ミリーネがとても危険な嫁ぎ先が決められたからではない、 彼女の心を守ろうとしているのだ。兄として、一人の男として、大切な妹の為に自分にできる事を懸命に模索していたのだ。
「ただ、そう簡単には信用されない。だから信用を得るために、力があると見せつける必要があるんだ」
 強い視線で見つめられ、何故かうろたえてしまった。
「お前ならわかるだろ? 大切なんだろ、姉が。この世でたった二人きりの兄弟なのだから」
 切ない響きで迫られたが答えられなかった。けれど答えないのを是と思ったらしく、 セレドは苦心の伺える微笑を残して去って行った。

 答えられなかったのは、 いつも宮殿から抜け出そうと画策しているちゃらんぽらんなセレドが急にあのような事を言い出したからか。 腹を読ませないあいつがあそこまで自身の内面を語ってくれた事に驚いたからか。 あまりに自分の覚悟とは違い過ぎる強さを垣間見たからか。或いはその全てか。
――セレドは本気で戦う気なんだ
 セレドは本気を見せたりしない王子だった。どこかいつも余裕のある素振りをして努力を嫌う節を見せる。 けれども頭が良いから何でも摺り抜けられる。だからこそミリーネはそんな兄に嫉妬を覚えたのだ。
 そのセレドが本気で自分の持てる力を使ってミリーネを守る気なのだ。その意思は十分感じ取れた。 そのセレドの強さに、異母姉と夢との間に揺れる自分が恥ずかしくなった。
――本当は公爵なんかになりたくないと思ってた
 公爵になれば首都に縛られる事になる。各地の遺跡に隠された史実をこの目で解き明かしたい、 遺跡研究者になりたいという、日々膨れ上がる夢を捨てなければならない。
――でも、姉上をいつまでも公爵なんて辛いだけの地位に就かせたままにはさせられない
 早く異母姉を辛い日々から解放してあげたいのに、公爵になりたくないと思う我侭極まりない自分がいる。 妹の為に好きになった相手を諦め、自分が政略結婚をすると言い放ったセレドとは雲泥の差だ。 あれだけ求愛行為を見せていたイルーダを諦める事のできるあの強さが嫉ましい程羨ましい。
――俺は……
 セレドと自分は二歳の差がある。けれど常に自分とセレドは同じ立ち位置にいるのだと思っていた。 たまに年上だから一歩先を越されることも多かったが、それでもすぐに追いついていた。 追いついているつもりだった。
 ところが気づいてみれば、一歩どころかもう追い付けない場所までセレドは到達してしまっていたのだ。 それを見抜けなかったのは、自分の目が節穴だったからだろうか、セレドが演技上手だったからだろうか。
 自分だけが変わっていない現実に悔しさを覚えた。
――もっと、真剣に考えなければ……
 異母姉への思いだけではない。自身の将来の姿を思い描かなければいけない。 その分岐点に立っているのだと自覚しなければならない。
 何が一番大切なのか。セレドが妹の心を一番に考えるように、自分にとって一番なのは……。

 父が連れてきたのは、≪姉≫という肩書きを持った、たった一人の女の子だった。
 蜂蜜を日に照らしたような色をした柔らかい髪と、大きな緑の瞳に影を落とす濃く長い睫毛、 折れてしまいそうな程細い手足、表情は無いけれども愛らしい顔。
 人形のように生気のない、表情の無い異母姉がはじめて笑った瞬間。あの時から自分は、≪姉≫に囚われた。
 どうしてあの時、世界でたった一人の弟として≪姉≫のその笑みを喜ばしく思えなかったのか。 どうして可愛らしい≪女の子≫がやっと笑ってくれた、と思ってしまったのか。 異母姉への思いに悩んでずっとそう自分を責めていた。いつだって自分の思いに囚われて、 自分の感情を抑えようとしていた。
――そうじゃないんだ。大切なのは俺の気持ちを消す事じゃない
 もちろん異母姉への気持ちを消すことも大切だが、それは一番ではない。
 セレドがミリーネの幸せを一番に望むように、自分が一番に望むことは何か。
――姉上には笑っていて欲しいんだ、ずっと……
 好きになった≪女の子≫の笑顔を守りたい。それが一番の願いだった。そして同時にそれが自分に許された、 禁じられた感情の表現方法であった。
 彼女が笑って日々を送れる為に自分が出来る事、それは……。


(2005.8.17)

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