墓と薔薇

5章 流転する運命(14)

 時が経つのも忘れて長居してしまったことにデュシアンが気がついたのは、カイザー公子の傍らに佇むファウが軽く伸びをし、 前足を舐めているのが見えた時だった。どうやら楽しい会話が広がるこの空気に和んでしまい、 おおよそ半時近くも居座ってしまったようである。
 それと言うのもカイザー公子がとても喋り上手である事と、 口は殆ど開かないが穏やかに会話を見守るウェイリード公子の表情が――特に目許が柔らかかったからだ。 最初こそ不機嫌に近い張り詰めた雰囲気を纏わせていたウェイリード公子であったが、 会話が重なっていくうちに次第にそんな様態も緩和していき、片割れと訪問者である自分との会話を興味深そうに静かに聞き、 時には意見して――この場合は大抵片割れの言葉使いなり思考なりがあまり上品ではないものであった時だが――見守っていた。 そんなウェイリード公子の様子にデュシアン自身の緊張も解れ、肩の力が抜けていった。そして小気味良いカイザー公子の話。 何も気取る必要もないその空間を、デュシアンは本当に楽しんでしまったのだ。
「そろそろおいとま致します。長々と居座ってしまって申し訳ありませんでした」
 デュシアンは話が切れたのを機会と思い、二人へ軽く会釈をし立ち上がった。 するとそれに合わせたようにファウは身体を起こしてこちらへと歩み寄ってくる。どうやらお別れの挨拶をしてくれるようだ。 デュシアンは嬉しくなって腰をかがめるとお日様の匂いのするふわふわな毛並みの体を抱きしめ、 耳の後ろを軽く撫でながら心の中で「またね」と呟いた。
「ウェイはファウを見ててくれ」
 主に名を呼ばれた聖獣は即座に顔を上げて主の方を向く。名を呼ばれて嬉しそうに尻尾を振っているさまは本当に犬と代わらない。
 一方、立ちあがったカイザー公子は少し考え込むとすぐにも悪戯を思いついた子どものように口の端を上げた。
「いや、ファウはウェイを見ててくれって言った方が正しいか」
 挑発するように顎を上げたカイザー公子の視線と軽く細められたウェイリード公子の視線が交じり合う。 しばし互いを牽制するように見合っていたが、ウェイリード公子の方が先に視線を逸らすと、 「つまんない奴だ」という感想とは裏腹にカイザー公子は笑みを深くした。
――仲の良い兄弟なんだな。いいなあ、羨ましいなあ
 二人のやり取りを見ながら反抗期を迎えた弟を思い出していると、片割れから逸らした灰の瞳が急に自分へと向いたので、 デュシアンは一気に高まる動悸を憶えた。不思議と彼の視線から身体を隠したい衝動にかられたのは、 出掛ける前に母に勘違い甚だしい事を言われたのを思い出してしまったからだろうか。 未だ腕の中にいるファウに気を取られた振りをして視線を外し、自身を落ちつかせるように銀毛に顔を埋めた。
「傷を、いとうと良い」
 不意にかけられた優しい口調にデュシアンは不覚にも顔を上げてしまった。 するとこちらの動揺に気づく事もなく真っ直ぐ向けられたままの瞳に、今度はきっちりと囚われてしまった。 相手には全くその気はなくとも、見つめられた者が目を逸らすのを拒まれているようにすら感じる強い眼差しに人知れず胸が奮えた。
――綺麗な瞳……
 デュシアンは感嘆の吐息を漏らした。その時、 もぞもぞと腕の中で動いたファウに今度こそ本当に気を取られ、場所も状況も忘れて見ていた白昼夢から覚めたような感覚に焦りを抱いた。 額にふつふつと湧いた冷たい汗を軽く拭う。
「お邪魔致しました」
 我を忘れて魅入ってしまった事がたまらなく恥ずかしく思え、立ち上がってもう一度礼をすると、 カイザー公子が開けてくれた扉の向こうに素早く身を隠した。
 扉が閉まると、ほっと胸を撫で下ろす。そんな様をカイザー公子に苦笑の元見られていたなどデュシアンは知る良しもない。
 客間から出て埃一つない磨かれた廊下を歩きながらデュシアンはふと、この屋敷の尋常ではない広さを思い出し、 働く女中たちの苦労を鑑みた。広い分だけ女中の数も多いのだろうが、床磨きとは随分足腰を疲れさせる仕事だ。
「床が気になるのか?」
 隣りを歩くカイザー公子はそんなデュシアンの視線に気がついたらしい。
「いいえ、あんまりにも綺麗な床なので―――」
「ああ。塵一つないだろ? ファウが屋敷中舐めてまわってるからな」
「ええ?!」
 驚いて横を見上げればカイザー公子は肩を軽く奮わせて笑っている。騙されたのだと気づいた途端、 火が掠めたのではないかと思う程顔中が熱くなった。
「騙されやすい奴だな」
 目許を和らげながら微笑みを落とされると怒る気にもなれない。なんとも得な人だな、 とデュシアンはその人好きのする人柄と容貌に心の中で賞賛を送る事しか出来なかった。
 自分の不甲斐なさに軽く憤っていると、その鼻先を良い香りが擽った。意識は一気にそちらへと奪われ、 階段を降りながらきょろきょろと辺りを見まわすと、カイザー公子を見上げた。
「あの、この良い香りは?」
 ここを訪れたばかりの時はカイザー公子とアイゼン家に気後れしていたのだが、 彼の人となりを垣間見る事が出来た今となってはこのくらいの質問には遠慮を必要としなかった。
「良い香り?」
 彼は軽く首を捻ると辺りを見まわし、そして階段下にある台の上の花瓶を差した。
「それなら多分あれだ」
「あ……」
 絵付けの無い、質素だが優美な曲線を描いた白磁の花瓶に薔薇が広がっている。 傷つきやすい内面を包み隠すかのように慎ましやかに咲く普通の薔薇とは違い、 外界への好奇心を見せるかのように八重の花びらを外へと広げて咲くあどけなくも可憐なその薔薇に、 デュシアンは見覚えがあった。近づけば懐かしさを感じさせる匂いを与えてくれる。
 この薔薇との出会いはこれで二度目。一度目は≪北の守り≫の亀裂を修復して目を覚ました時だ。
「お袋が裏の温室で育ててんだよ。良ければ持っていくか? イスラフル種で珍しいし。あんた薔薇が好きなんだろ?」
 あの時と同じ種類の薔薇を貰えることが嬉しくてデュシアンは二つ返事で答えた。 近くにいた女中に声をかけているカイザー公子に礼を言いながら、ふとデュシアンは不思議なことに気がついて首を傾げた。
「あの、どうして私が薔薇が好きだとご存知なのですか?」
「え?」
 先ほど、薔薇が好きなのだろう、と確信を持って言われたような気がする。そんなデュシアンの疑問に、 カイザー公子は驚くほど視線を左右に散らして答えた。
「あ、いや、女は薔薇が好きなものだと思い込んでた」
「そうなのでしょうか?」
 そうなのかもしれないな、とデュシアンは視線を下げて頷いた。その頭上では、 納得したらしいデュシアンの様子を見て冷や汗を拭うカイザー公子の姿があったのだが、 あまりに身長差がある為にデュシアンが気づく事はなかった。
 女中によって綺麗に包装された薔薇がカイザー公子の手に渡り、彼はそれを押しつけるようにデュシアンへと差し出した。
「女性に薔薇は定石、と」
 にこり、と女性が好みそうな甘い笑みを浮かべた公子の内心はかなり焦っている事を悟る事など出来ないだろう。
「……あれ?」
 そんなカイザー公子の焦りなどデュシアンはてんで気に留めず、ただただ自分の記憶の奥深くに眠る何かに気を取られていた。
 デュシアンは手の中の薔薇とカイザー公子とに視線を往復させて、詳細の分からない既視感に包まれた。
――なんだろう、なんだっけ? あれ?
「どうした?」
 不思議そうに見下ろす藍色の瞳にデュシアンは白詰草の絨毯が広がる記憶の糸を捕まえた。
「あの、昔、植物園でお会いしましたよね? 猫を捕まえて、薔薇を拾って下さった―――」
「え? 植物園?」
 カイザー公子は思ってもみなかった言葉に驚きながらも安堵した。
「え、と、多分、四年ぐらい前に」
「植物園はお袋の荷物持ちで何度か行ってたけど、誰と会ったかまでは憶えてないな」
 それが? と視線で促されてデュシアンは首を振った。
「いいえ、急に思い出しただけです」
 記憶の糸は掴んだが、何を喋ったかといった詳細などをあまり思い出せない曖昧な記憶だった。 それに彼が例え覚えていたとしてもだからといってどうなる訳でもないありふれた記憶だ。とても大切な記憶というわけでもない。 そう、大切な記憶であるはずがないのだ。それなのに何故急に思い出したりしたのか、 デュシアンは自分でも不思議に思った。

 外套を羽織り、襟巻きを巻くと執事の開けてくれた玄関より水の匂いのする外へと出る。 冷たい風に身体は一気に凍えるが、心は依然暖かかった。腕に抱く薔薇の花束の事もあるが、 何よりもアイゼン家の双子と話せた事がデュシアンを穏やかな気持ちにさせてくれたのかもしれない。
「またな」
 軽く手を振るカイザー公子に会釈で返し、デュシアンは両脇を花に彩られた前庭を歩きはじめた。



+  +  +




「ん? 四年前?」
 エントランスに入り、閉まった扉を振りかえって、カイザーは軽く首を傾げた。
「まさかウェイと俺を間違えてんのかな? あの頃はウェイも目が……」
 ぶつぶつと呟いていると、独り言はお止め下さい、と言わんばかりに執事が物言わぬ視線を向けてくる。 それを適当に笑いながらかわし、考え込んだ。
――ウェイは覚えてんのかな?
 だとしたらそれは面白い事だ、と口元がにやける。
――俺と似てるって言われるのを、ものすごい嫌がる奴だからな
 片割れの嫌がる顔が思い浮かぶのと同時に、頬を染めて男の視線から逃れるという初な反応を見せたラヴィン公をも思い浮かび、 さすがに憐れかと首の後を擦る。
「黙っとくか」
 残念だな、とぼやきながら階段を昇った。

「危なく口が滑るとこだったぞ」
 カイザーは客間へと戻ると、そんな事を報告してウェイリードの意識を窓の外から自分へと向けさせた。
「何がだ」
 片割れはその一言で自分にとって良くない事だと察しがついているのか、 先ほどまでの穏やかな面持ちなど見る影も無く、仏頂面で威圧的に睨みつけてきた。
「お前が悪いんだぞ。こそこそと送ってないで、いい加減名乗ればいいんだ」
 カイザーは窓辺のソファへ身体を預けて軽く横目で窓の外を見やった。小さい背中が門を抜けて行くのが見え、 難儀な奴だな、と呟いて窓枠に片肘をつく。
「私が送っていると名乗ってどうする。アデル公の名で送る事に意味があるというのに」
 本当にそれでいいのかね、という言葉をカイザーはため息を吐いてかき消した。
「だいたい先生は何でお前に頼んだりしたんだ? ラシェの方が適役なはずなのに」
「……それよりお前、私の伝言通りにラシェに伝えたのか?」
 この部屋に入ってきた時の兄の不穏な空気を思いだし、カイザーは笑いそうになるのを堪えて振りかえった。
「ああ、お前の伝言は寸分違わず伝えた」
「じゃあ何故彼女がここへ来た」
「俺の伝言も入ったからじゃないか?」
「お前の伝言?」
「『彼女がこちらを気にしなくても良いよう一々お前に伝言を託す程、ウェイは彼女を気にしてる』ていう俺の伝言」
 動揺を見せない代わりに目一杯眉間の皺を深めて睨んでくる。そのくせすぐに「何故」と怒り出さないのが近年の片割れらしい反応だ。
「……何の理由があってそんな事をした」
 呆れたように、悟った賢人のように穏やかな口調で理由を聞いてくる。
 そこまで器が出来てもいないくせに。カイザーはまだまだ気が短いと信じて止まない片割れの態度に苦笑して、答えた。
「話してみたかった」
「は?」
「アデル先生の娘ってのに興味が沸いたんだよ」
「興味?」
「アデル先生の娘だし」
 アデル公の娘はホルクス家の末娘と仲が良く、ホルクス家と相性の悪いアイゼン家の人間としては関わりを持てる機会が少なかった。 その上、社交の場となるような場所に彼女が出ると砂糖に群がる蟻のように男どもが群がった。 妾腹と裏であざとく笑いながらもラヴィン家の栄光にあやかりたくて近づく下衆な男どもに混じって、 アイゼン家の自分がどうして彼女に近づけただろうか。
――それにまあ、お前にも興味がある
 アデル公の娘に気を配る片割れの思考に興味がある、と言うのも理由の一つだった。
 ララドへ留学する前辺りから人を寄せ付けない性質が顕著になった。余計無口になり、 一人篭もって考え事をし、更に笑わなくなった。何かを振り払うかのように素振りに集中するようになったり――。
――挙句の果てには、リアーヌの気持ちも考えずに婚約まで解消した
 そんな片割れが、花を買い付けに行く時間が無いからと自身の手で裏庭の薔薇を摘み取りに行ったのだから、 驚きを通り越して呆れてしまったものだ。アデル公との約束だから、という言葉を免罪符のように使うが、明らかに気をまわし過ぎだ。 もしかしたら≪春≫なのか、とも思ってラヴィン公と片割れの会話を見たかったのだが。
――どっちかっつーと、ラヴィン公の方が≪春≫な反応だったな
「どうした?」
 急に喋らなくなった弟を不信に思ったのだろう、向けられた瞳に微かに気遣いの色が宿っている。
「いーや。美味いクッキーだったが、あれだけの量を食うのはさすがにキツかったな、と」
「お前が勝手に食べたのだろう」
 むっとしたように責めてくる片割れにカイザーは同じ表情で睨み返した。
「俺はお前のためを思ってやったんだぞ? まともに飯も食えない癖に」
 言い返せる言葉が無いのだろう、目を細めて押し黙った。
「あー、それともラヴィン公に心配して欲しかったのか? 強い精神魔法を使ったせいで知覚がやられてて、 物の距離感が掴めなくなってるって。食べることはおろか、実は歩くのすらままならないって」
 それは不本意のくせに。カイザーは酷薄な笑みを浮かべた。
「随分お前の心配してたぞ。具合が悪いんじゃないかって。その≪副作用≫教えたら、 やばいぐらいがっくりするんじゃないか?」
「……わかった。お前には感謝する」
 負けた、と片割れは視線を逸らす。不機嫌そうに眉間に皺を寄せてはいるが、 こちらとの会話を拒否している訳ではないのを知っているのでカイザーは話し続けた。
「しっかし、闇の精霊ってのは陰険だな」
 灰の瞳に焦点を当てながら呟く。
 昔からそっくりだと言われるのを嫌がっていたのは片割れの方だった。 きっと寂しさも愛着も見せる事無く瞳を≪差し出した≫のであろう。契約の現場を見た訳でもないのに、 その時の片割れの淡白な様子が目に浮かぶ。
「契約には贄が付き物だ。お前だとて焼き殺されそうになったのだろう?」
「俺のは契約ってゆーか、ファウの親の怒りを買っただけだけどな」
 肉体だけでなく魂すら引き裂かれそうな激しい咆哮と降りかかる紅蓮の業火を思い出し、 カイザーは皮肉げな笑みを浮かべた。そんな彼の足元にはその要因たるファウが億劫そうな足取りで寄ってきて、 あの時の事など全く憶えていないかのように安穏な風体で伸びをしながら欠伸をみせている。 そんなファウを見ているのも悪くは無いと手を伸ばせばそこに顎を乗せてきた。
 聖獣はよほどの事が無い限り、力を借りる為に召喚などしたりはしない。 軍隊の一個師団を潰す為か魔物の群れを蒸発させる為か、竜に対抗する為か。そんな一大事でもない限りそうそう召喚などしないし、 向こうも了承しない。だからファウがのんびり犬の真似事をしている姿を見ていられるのはそのまま平和だという事に繋がる。 それ以前に気高いはずの聖獣がこうして人間と共に生活している事自体がひどく稀有な事であるのだが。
――平和、なんだよな。一見は
 犬とも思しき幼き聖獣の額を撫でながらカイザーは物憂げに思案する。
――なんで自分からわざわざ平和を崩す真似をしたんだか。俺にはわかんねえ
「なー。お前なんで精神魔法なんて研究しようと思ったわけ?」
 何度も押し問答となった質問が口を滑る。答えないと分かっているのに。 そして例え兄が答えたとしてもそれが本当の理由ではない事は明白なのに。
「……興味があったからだ、と言っているだろう」
「興味があるくらいであんな禁呪まがいの研究に手を付ける命知らずはお前ぐらいだ」
 神殿が精霊契約の中でも最も禁忌としている闇の精霊と契約を交わして神殿の上層部に目を付けられた。
 元老院からは危険な魔法を使う人間として第一級の≪危険人物≫に認定され、円卓騎士団の監視下に置かれた。
 片割れは、興味がある、という理由でこんな大きなリスクを負うような愚か者ではない。 だからきっと本当の理由は話せない事なのだろうと理解していても、何故か時折こうして問答を繰り返してしまう。
 カイザーは舌打ちすると手を乱暴に髪に差し込んでかき回した。 そして気分を変える為に、片割れへの腹いせの為に、窓を押し開けた。するとまるで今この瞬間の為に、 めいっぱい溜め込んでいたかのような激しい風が室内の装飾品を揺らす。
 顔に押しかけてきたレースのカーテンを乱暴な仕草で払うと、考え事は自分には向かない、 と割り切ったように両手を上げて伸びをした。
「いー天気だな」
 昨日の雨かこの風かが空から雲を取り除いてくれたらしく、見渡す限り青天だ。 こんな天気の良い日になんで屋敷に詰めてるんだ、と自問自答したが、すぐに理由を思い出す。
――俺って、兄思いだよなあ
 まさか首都の、しかもアイゼン家邸宅で≪そのような事≫が起きるはずもない、とは分かっているが。 しかし魔力を大量に失い且つまだ副作用が消えていない今は、絶好の機会であろう。
「感謝している」
 不意にもたらされた言葉に振り返る。目が合ってから、ばつが悪いような顔をして片割れは視線を逸らした。 どうやら同じ事を考えていたのを認めたらしい。同時に同じ事が思い浮かぶのを嫌い、思い浮かべていないと否定するのだから、 きっと今のは無意識に言葉にしてしまったのだろう。ひどく後悔しているに違いない。
 忍び笑いをしながらも、けれどもしかしたら無意識ではなかったのかもしれない、とも思う。
――どっちでもいいけどな
 窓の外へ視線を移し、窓枠に前足を引っ掛けて外へ身を乗り出すように隣りにきたファウの耳を撫でつける。ファウはこうして、 何にも知らない、と言わんばかりの阿呆面で傍に寄ってくる。 けれどもこうして擦り寄ってきてくれるという行為がこちらにとって随分と助けになっているのを分かってやっているのだろうか。 契約主、いや飼い主として、カイザーは疑問に思う。
――まー、ファウを見習うか
 知らない振りをして、横に並んでいれば良い。それだけで救いになる事もある。
 きっと、片割れはそんなこちらの考えに気づいている。気づいていてそれを断らないのだから、 きっと少しは助けになっているのだろう。それで良いか、と欠伸が洩れる。
「カイザー」
 名を呼ばれ、声が聞こえた前庭へと視線を落とせば黒い軍服の二人組みがこちらを見上げていた。 つい先ほど視界の隅に捉えた時は豆粒ぐらいの大きさだったのに、足が速いものだと感心する。
「ここにいる」
 そう応えれば、二人は玄関のノッカーを叩きに死角へ消えた。ファウが迎える為か、軽く走りぬけていく。 金髪の方に随分と懐いているからだろう。
「大人しく謹慎してるか確認に来やがったぞ」
 確認という名の休息を取りにやってきた黒服連中の顔ぶれに呆れながら窓を閉める。
「ダリル将軍も適当だな。あいつらを寄越すなんて」
 振り返ってそう言うと、片割れは穏やかな表情で苦笑を浮かべた。


(2005.6.22)

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