墓と薔薇

4章 はじまりの一輪 epilogue

「おかえりー」
「遅かったな」
「……まだいたのか」
 出迎えてくれたのはソファにふんぞり返り、 本やら資料やらで散らかり放題の中で暢気に茶会を開いている双子の弟カイザーと従妹のベアトリーチェ――ビビだった。
 自分の研究室を開けて飛び込んできた光景にウェイリードは心底うんざりして深い溜息を吐いた。
 伊達に生まれた頃から共にいるわけもなく、遠慮や配慮があったものではない。 そもそもそんなものをこの二人に求めても無駄だ。
「あれ? その花どうしたの?」
 ウェイリードの手に握られた一輪の赤い薔薇。黒い外套との対比でビビの目に付いたらしい。すると彼女は嬉しそうに表情を明るくさせて自分の頬を指さした。
「あたしに? あたしに? 一輪?」
「……貰った」
「なーんだ。可愛いビビ様に貢物かと思ったのに」
「ばーか。お前に花なんて似合わねぇだろ」
 唇を尖らせるビビは、きちんと自分へのものではないと分かっている。こうやって場を明るくさせるのは彼女の性格だった。 だからカイザーもそれに釣られて茶化しているのだ。
「あ。後で花瓶持ってきてあげる。あたしの部屋に一輪挿しあったし」
「あれはお前の部屋じゃなくて共同の研究室だろ……」
「……調べものはまだ済まないのか?」
 ウェイリードは花を机に丁重に置くと、散乱している書類を纏めながら騒がしい二人を睨んだ。 すると二人は互いを見ながら首をすくめる。
「調べれば調べるほどわからないんだもん。ねー、ウェイも手伝ってよ。ララドに居たんだから私たちより珍しい魔法に詳しいでしょ?」
 甘えたような口ぶりでビビはねだる。可愛い容姿に甘えるさまは大変男心をくすぐるはず――と本人は豪語するのだが、 生憎そんな気持ちにはならない。寧ろ食傷気味だった。
「ウェイは忙しいんだとよ。珍しく仕事たくさん抱え込んでるから」
「何で? 叔父様は?」
「親父は裁判が溜まってて徹夜。今も裁判中。あの歳でよくやるよ」
「そっかー。んで、ウェイがレムテストへ行ってたのかー。でもヨアヒムがいるからウェイまで行く必要なくない?」
「……ヨアヒムは商人として交渉に入っているから、アイゼン家の代表としては話せないし、そもそもそれは許されない」
「またレムテストに行くんだろ?」
 肘掛に肘をついて手の平に顎を乗せる不遜な態度でカイザーは見上げてくる。
「……ああ」
「大変だなぁ、お前も。それでまたウォーラズ―ル山脈を通るのか?」
「……他に道がない」
「永遠平原」
「……闇の精霊に嫌われている最中だ。永遠平原は通れない」
 そう白状すれば、片割れの藍色の瞳が大きく開かれた。
「また強引に使役したのか? あれほど精霊とは仲良くしろって言ってるのに」
 ぶつぶつと小言を呟いてから首を大きく振ると、カイザーはため息を吐いた。
「火竜と人間には気をつけろよ。俺は公爵なんぞになりたくないぞ」
「……分かってる」
 諦めたような色を宿す藍色の瞳に、申し訳ないような気分となった。
「まー、いざとなったら《破壊》があるじゃん」
 ビビが何でもない風にあっけらかんと言う。
 ウェイリードは僅かに震えた腕を抑えるように拳を握り締めた。
「それは洒落にならない」
 カイザーは首を振ってビビを諌めた。ビビも失言だったと認めたのか、口元を押さえてこちらを窺ってくる。
「……夕刻には発つが、まだ本は必要か?」
 ウェイリードは二人のやり取りを見ていたが、特に何も言わずに話を変えた。
「あ。うん、まだ探したいなぁ、と」
 ビビはカイザーへちらちらと視線を送りながら見ながら答えた。
「……鍵はきちんと管理してくれ」
「りょーかい」
 二人は揃って敬礼する。
「……それから」
 ウェイリードの視線は足の踏み場のない部屋を一周した。
「私が帰ってきた時にこれらの本が片付いていなければ、ラシェの指導の元に片付けてもらう」
「ええええぇぇ!!!!」
 二人は顔を引き攣らせたまま固まってしまう。
 ラシェの本に対する異常なまでの扱いの丁寧さを二人はよく知っているはず。 もしこの惨状を彼に見せたものならば、耳に痛い嫌味と叱責が飛ぶ事は必定。 それを思い浮かべるだけで頭痛がするぐらいだ。
 ひとまず脅しは成功か――、ウェイリードは小さくため息を吐いた。

 身体は疲れきっているが、またもレムテストへと赴かなければならない。 それはアイゼン家の当主代行として自分が行わなければならない仕事だ。仕方がない。
 涸れるほどのため息を零した時、ふと鼻孔を柔らかい香りがくすぐった。視線を落とせば、匂いの先には赤い薔薇。

『私をいつも元気にしてくれるんです』

 そう言った彼女の表情はとても柔らかなものだった。
 しかしこちらが声をかけるまで一人薔薇を見つめていた時の彼女のあの表情は、一体なんだったのだろうかと疑問が沸く。
 ラシェの言う通り、薔薇は彼女を『がんばらなくてはいけない』気にさせているのかもしれない。 無理をさせているのかもしれない。
 まさか彼女をそんな気持ちにさせてしまうのかと考えなかった自分としては、ラシェから聞いて初めて意識した事だった。 それを目の当たりにして、罪悪感が生まれる。
 だが薔薇を送ることはアデル公から頼まれたことだった。出来ればその遺言を守りたかった。

『あの子には、普通の娘としての幸せを与えてやりたいのだよ』

 今でこそ思えばこれはまるで彼女が普通の娘ではいられない、というようなアデル公の予言のようにも思えた。
――アデル公は彼女が公爵になる事をわかっていたのかもしれない……
 だからこそ、自分に頼んできたのではないだろうか、薔薇を密かに送って欲しいと。
 セオリア夫人やラシェといった身近な人物に頼むのではなく、彼女と殆ど面識のない《アイゼン家の嫡子》たる自分に頼んできたのは、 そういう訳だったのではないだろうか。公爵となる彼女を助ける事が出来るのは、同じように協議会へと出る人間のみだから。 その自分と彼女とに接点ができるように。
 公爵となる――と恐らくアデル公は分かっていたのだろう――彼女の手助けをして欲しいと、 アデル公は間接的に自分に頼んできたのだとすれば、実際に彼女から目が離せないような今の状態に、 きっと公は満足している事だろう。
――アデル公へ恩返しが出来なかった分、彼女へと返すのが礼儀だろう
 そう結論付けて、自分の中で沸きあがる感情から目を背けた。


4章 終

(2004.7.23)

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