墓と薔薇

4章 はじまりの一輪(5)

 あの日デュシアンはラシェに送られた後セオリアとイリヤにこっぴどく怒られ、レセンには呆れられ、 二日ほど屋敷中の者たち総決起で軟禁状態にさせられた。顔色が悪く足元が覚束ない状態だったのだから仕方がない。
 過保護すぎると必死に訴えたが全く聞く耳を持ってもらえず、 デュシアンはウェイリード公子への礼と謝罪が出来ない事を気にする悶々とした日々を寝台の上で過ごす事になった。 流石にこればかりはラシェには頼めない。

 そして三日後の快晴の朝、やっと外出許可が出た。
 それでも神殿へ参内する事はセオリアとイリヤに相当渋られたが、用事を済ませたらすぐに帰ってくる事を条件に了承して貰えたのだ。
 玄関を開けて前庭へ出ると、乾いた冷たい風に頬を撫でられ首をすくめた。 日差しがあっても身を切るような寒さを感じることにはかわりないが、 外気がこんなにも愛しいものであるのかと雲一つない冬空を見上げながら深呼吸をした。
 閑散とした前庭へと足を踏み出し、次の暖かい季節にどんな花を咲かせようかなと頭に思い浮かべる。 花と連想してすぐに浮かんだ花はたちまちデュシアンの中で却下された。理由は自分でもわからないが、気持ちが向かないからだ。
 多分植えても世話をしようという気にはなれないかもしれない。 もしくは一日中その姿を見とめようと前庭から動かない日が続くかもしれない。
―――ハーブとか植えたら母様喜ぶかなぁ
 実用性のあるものを思い浮かべて門をくぐり、色んなハーブの種類を指折り数えながら神殿へと歩を進めた。


「ウェイなら所要で首都を離れてるぞ。帰ってくんのは明日の夕刻って言ってたな」
「え……」
 見事なほど足の踏み場のないウェイリード公子の研究室室内を背に、 彼の双子の弟であるカイザー公子は首の後ろを擦りながらそう答えた。
 確かに開けられたドアから見える研究室には藍色の瞳のカイザー公子と、 もう一人黒髪を高い位置でポニーテールにした見知らぬ娘の姿しかなかった。灰の瞳の部屋の主の姿はない。
「明後日の協議会に間に合うように帰ってくるって言ってたから、もしかしたら夜中になるかも知れないかもな」
 ぶっきらぼうに話すカイザーの前でデュシアンは項垂れた。
 明日も会えないのならお礼は明後日になってしまうが、その日は協議会のある日だ。 協議会で全て丸く収まったらお礼を言う事にするしかないのか。デュシアンは諦めるしかなかった。
「わかりました、ありがとうございます。では、わたしはこれで――」
「ねぇねぇ、ちょっと待って! あんたが新しいラヴィン公爵でしょ? どのくらい強いの?」
 カイザー公子とデュシアンの会話が終わるのを今か今かと嬉々として待っていた黒髪の娘は、 彼を押しのけてデュシアンの前へと出てきた。 少々吊り上りぎみの目元と顎を上げて喋るその様子から勝気で自信家な印象を与えてくる。しかしとびきり可愛い娘だ。
 そんな娘の質問の意図が読めずに目を白黒させていると、彼女はおもむろにこちらの外套の胸元を掴んで顔を近づけてきた。 眉を寄せて睨むように見つめてくる。
「聞いてんの?」
 藍色の瞳がごく間近に迫ってくる。綺麗な瞳の色に少々戸惑いながらも、 カイザー公子と同じ色だなあ、などと平和な事をデュシアンは考えていた。
 いつまでも彼女の手を振り解かないでいるデュシアンと手を離さない娘を見て、 カイザー公子はため息を吐いてからその手を強引に引き剥がした。
「ビビ。お前誰にでも喧嘩売るのやめろよな」
「うっさいな。あたしの勝手でしょ? あたしは強い人間に興味があるんだから。蒼い炎を簡単に出したとか聞いたけど、 あたしが知りたいのはそんな小さな事じゃないの。どのくらい強いか、なのよ」
 その勝気な瞳がカイザーを睨み、掴まれた腕を振り払った。
「……監督不行き届きでウェイに怒られるの、俺なんだけど?」
「あ、そ」
 そんな事知らないわ、と彼女はもう一度デュシアンに向き直る。
「暗殺上等の神殿に関わるんだから、強いに決まってるでしょ? ね?」
「あ、あ、あんさつじょうとう?!」
 驚いてつい素っ頓狂な声を上げてしまった。その声が廊下に響き、慌てて口元を押さえるがもう遅い。廊下を見まわすも、 誰もいないことに安心する。
「知らないの? 首都から出る時は気をつけたほうがいいわよぉ」
 彼女は意地悪そうに口元を歪めながら瞳を細めてデュシアンの頬を指先で突っつく。
「ビビ、いい加減にしろ」
 ビビと呼んだ娘の腕を掴んで部屋の中へ追しこみ、腕や脚を使って身体で出入り口を固めると、 カイザー公子は済まなそうに苦笑した。
「悪い。こいつちょっと気が立ってるんだよ。いつもはここまで酷くない」
「あの、暗殺って……」
 不穏な言葉に身が引き締まる。
「ああ、それは……多分あんたには関わりの無い事だ。あんたは神殿の連中に好かれてるみたいだし」
「え……?」
「……そのうち分かると思う。でもあんたにはラシェが付いてるし、何かあっても大丈夫だろう」
「あの、どういう――」
「そのラシェはあたしが倒すんだからね」
 ひょこっとカイザー公子の腕の横から顔だけねじ出してきて、唇を尖らせたビビはデュシアンの疑問を遮ってそう言った。
「見てなさいよ。今年こそこのビビ様があんたの従兄に勝ってやるんだから! あのいけ好かないラシェの頭踏んづけて勝利の栄光を得て、 法皇になるのよ!」
「だからお前の性格じゃあ法皇は無理だと……」
 カイザー公子は呆れたように額に手を当ててぶつぶつと呟いている。
「法皇?」
 デュシアンは《法皇》という言葉に目を瞬かせてビビを見る。するとビビはふふん、と鼻を鳴らした。
「そうよ。あと二年で法皇猊下は退任。そのうち次の法皇が選出されるんだから。あたしは身分的にも力的にも申し分ないもの」
「……だから性格……」
「あ。主神の加護を受けているからってあんたには譲らないからね!!」
 ビビは軽く片目を瞑ると、カイザー公子を横に押して華麗な足取りで本の間に足を付けながら奥のソファへといってしまった。
「……悪気はないんだが」
 気まずそうにカイザー公子が言うと、デュシアンは苦笑した。
「妹さんは法皇になりたいんですか?」
「夢みてるだけだ、法皇がどんなもんなのかわかっちゃいない。まあその前に御前試合で優勝出来るとも思えないがな」
「御前試合?」
「ほら、優勝すると大抵の事は願いを叶えてくれるだろ? 四年前にウェイが叶えてもらったのを見てからあいつ固執しててさ」
「そうなんですか」
 いまいち神殿の行事に疎く、《法皇御前試合》に優勝すると願いを叶えてもらるとは初耳だった。 出場以来毎回優勝しているラシェは、いつも何を叶えてもらっているのだろうかと思う。
――あれ? ラシェはずっと優勝し続けてたはずだけど、ウェイリード公子も優勝したことあるの? おかしいなぁ
 一回ぐらいラシェが出場しなかった時でもあるのかなと、デュシアンは首を傾げた。
「ああ、それと」
 思い出したようにカイザー公子は嫌な顔をした。
「あれは従妹。俺はあんな性格の妹はいらない」
「そ、そうですか」
 先ほどの言動を見ている限りでは彼女の制御は大変であろう事が伺えて、色々勘繰くってしまい苦笑がもれてしまった。 彼も悪い気がしないらしく笑っている。
 そんな気さくそうな彼に和んでしまいそうになり、はっとして表情を改めた。
「では、今度こそ失礼します」
「ああ。ウェイを宜しくな」
 その言葉の意図することが掴めず、デュシアンは曖昧に微笑んでその場を後にした。


 謝罪もお礼も出来ず。
 けれど、収穫あり。
 はじめてあのような不穏な言葉を聞いた。

 廊下を歩きながらデュシアンは物思いに耽る。
―――暗殺……か。どういう事だろう……? 神殿の人たちに好かれてると暗殺されないの?
 不安だけが募る一方で、もう少し神殿の内部事情について詳しく知らなければならない事を実感した。
 知らないでは済まされない事が神殿には潜んでいそうで、デュシアンは背筋が寒くなった。



(2004.7.5)

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