墓と薔薇

4章 はじまりの一輪(4)

 神殿から宮殿に入ってしまえば周りを気にする必要もなかったので、デュシアンは思いきり走り出した。 しかし騎士宮の入り口でその足をはたと止める。円卓騎士団の所在地がわからないからだ。
 ここは数えるほどの建物しかないが、そのどこに円卓騎士であるグリフィスがいるかなど、デュシアンには皆目見当もつかないのだ。
 そうして困っている時に、天の助けを見つけた。正面の渡り廊下より、円卓騎士の制服を来た者がこちらへ向かって歩いてくるのだ。 少々着崩してはいるがその服装は黒い軍服、まぎれもない円卓騎士団の制服だ。
 ぼさぼさの深黄色の髪に、まばらな不精髭の生えた少々だらしない印象を与えてくる大男。 ダリル将軍やグリフィス、それから王子の側近など、身奇麗な円卓騎士しか見かけたことがない為に、 このような見るからに不精者もいることに不思議と安堵感を覚えた。皆が皆、堅さを前面に出していたら息苦しくて仕方ない。
「すみません、お尋ねしたいのですが」
「なんだい、お嬢ちゃん」
 声をかけるとその体躯を曲げて聞き返してきた。間近まで来てやっと気づいたことだが、その騎士は恐ろしく背が高かった。 しかし訝しげに見つめてくる茶色い瞳は澄んでおり、まるで大地の精霊に愛されている豊穣の土のように美しい。 近くで見ればこの不精そうな大男もなかなかの男前だ。不精髭を剃ればいいのにと、デュシアンは頭の隅で勝手ながらも思う。
「あの、円卓騎士のグリフィス殿にお会いしたいのです。どちらにいらっしゃいますでしょうか?」
「グリフィス? 今将軍の所だったかな」
 大男は背筋を伸ばし、ざらざらな己の髭の感触を楽しんでいるように顎を触りながら考え込む。
「あの、わたし、どうしてもお伝えしたいことがあって」
「お嬢ちゃん、告白なら勤務時間外にして欲しいんだけど?」
「ちがいます! それからわたしは、えーと、身分証は……」
 外套の中に手を突っ込んで、 上着の腰にいつもつけてある皮素材の身分証をデュシアンの頭二個分近く高い男の顔へ押し付けるように見せた。
「わたしはデュシアン・ラヴィン公爵です! 見えないかもしれませんが、れっきとした公爵です!  私情ではありません、火急の用でグリフィス殿にお会いしたいのです!!  グリフィス殿が駄目ならウェイリード公子の件で話が出来る円卓騎士の方のおられる場所を教えて下さい!!」
 身分証を見るために少々屈んだ大男はデュシアンの元気一杯の声に苦笑した。
「おー、威勢のいい公爵だなあ。そうか、お嬢ちゃんがあの……」
 彼は目を細めるとしばしデュシアンを凝視し、そして背筋を伸ばした。
「失礼致しました、閣下。私は円卓騎士団の筆頭騎士ケヴィン・マクスウェルと申します。公子の件は私の管轄外なので、 ダリル将軍の所へご案内致します。多分そちらにグリフィスもいると思われますので」
 綺麗な敬礼の姿勢をとりながらも彼の瞳は悪戯っぽい少年のように煌いている。 円卓騎士もそんなに不必要に恐れるものではないのかもしれないと、僅かに苦笑が零れた。
「お願いします」
「……それにしても、金髪に緑の瞳の女性は気の強いのが多いねえ」
 ぼそっと呟やかれた言葉は、デュシアンに半分も聞こえていなかった。


 案内された先は象牙色の建物で、宮殿から四番目に近い建物であった。外壁と同色の内壁の廊下を歩き、階段を三階まで昇る。 古いようには思えない建物だが、その廊下はぎぃぎぃと、気になるほど大きな音が響く。
 三つ目の木製扉を叩くと、ケヴィン・マクスウェルは中の入室許可の声が聞こえる前に扉を開けてしまった。
「ダリル、ちょっといいか?」
「ああ、大丈夫だが」
「ケヴィン上官、先ほどイルーダが探しておりましたよ」
 半身を入れて喋るケヴィンへ向けて、ダリル将軍ではない室内の誰かが声を掛ける。低いのに透き通るように響くその声は、 まさしく求めていた者。はやる気持ちが抑えられずにいれば、ケヴィンはすぐにも横を空けて通してくれた。
「失礼致します」
 入室し、すぐにも正面の文机の向こうのダリル将軍と目が合う。それから、彼の横にグリフィスがいることを認めた。
「ラヴィン公」
 グリフィスは、今まで読んでいた書類から完全に視線を外し、デュシアンへと向き直った。
「ラシェから聞いてきました。ウェイリード公子は無実です」
 ケヴィンに促されて室内を進み、ダリル将軍の執務用の文机の前で足を止める。
「何かわかったのですか?」
 グリフィスは手に持つ書類を机に押しつけ、空色の目を大きく見開いた。 隣りのダリル将軍も状況が飲み込めたらしくこちらを注視している。
「彼はわたしを庇っているんです」
「かばっている?」
 将軍とグリフィスの声が重なった。
「はい」
 デュシアンは大きく頷き、二週間前の事を思い出しながら経緯を語った。
「わたしはあの日、情けない事に視察を失敗して、意識を失いました。そんなわたしを一番最初に見つけて下さったのが、 ウェイリード公子だったそうです。彼はわたしを神殿のあの魔方陣の部屋まで連れ帰り、それから守護騎士たちを動かしたそうです。 意識の無いわたしを誰にも見られずに外へ運ぶ為に……」
 倒れてしまった己の不甲斐なさを思い出し、手を握り締めて続ける。
「《北の公》が《北の守り》の中で倒れていた、などと知られてしまえば大変な事になると、公子は気遣って下さったのです。 彼は守護騎士たちのかわりにあの部屋の前を守りながら、わたしの関係者が通らないかずっと待っていたんです。 守護騎士が居ないのですから公子はその部屋を守らなければならないので、彼自身がわたしを運ぶ事は出来ません。 それでちょうど通りかかったわたしの従兄のラシェにわたしを運ぶよう頼み、 彼はそのまま守護騎士たちが来るまであの場におられたんです」
 一気に話し終えて、ほっと息を吐いた。将軍とグリフィスを窺えば、僅かに驚いたような表情を浮かべているも、 すぐにも事情を飲み込んだのか、頷いてくれた。
「けれども、それならば何故ウェイは――ウェイリード公子は、貴方を助ける為に已む無く騎士たちを動かした、 と言わないのでしょうか? 彼はそのような事を一言も言わなかった」
「わかりません、わたしが聞きたいくらいです」
 力強くなってしまった言葉に、グリフィスは気圧されたように軽く仰け反った。
 するとダリル将軍はデュシアンを諌めるように微笑んだ。
「確かに、【貴女】の身を案じる為に守護騎士を外した、となれば話は通りますね。 しかし証人は貴女と貴女の従兄殿だけでは少々心許ない。貴女は当事者であるが記憶がない、 それにラシェ殿はウェイリード公子のかなり親しいご友人だ。他に目撃している者を探す必要がありますね」
「ほかに……」
 デュシアンは愕然として俯いた。自分とラシェが証言すれば、ウェイリード公子の嫌疑は晴れると思っていたのだ。
「わたくし、多分見たと思います」
 今まで静かに佇んでいた少女が、右手のソファより立ち上がった。 騎士が詰めるこの室内に何故このような可憐な少女がいるのだろうかと不思議に思う。複雑に結い上げられた髪型と、 見るからに上質だと分かる布地の服を着ていることから、恐らくは貴族の子女だろうとは想像がつく。 しかしその知的な瑠璃色の瞳はどこかで見た覚えがあるように、デュシアンには思えた。
「ミリーネ様、何をご覧になられたのですか?」
 幾許か年下と思われる彼女は、デュシアンへ一度にっこりと微笑みかけてからダリル将軍へと向き直った。
「あのラシェ殿が白い布に覆われた何か大きなものを、肩に担いで歩かれているのを二週間ぐらい前に見ましたわ。 時間的に合っています?」
「はい」
 グリフィスは神妙な面持ちで頷いた。
「持ち運ぶにはあまりに大きなものを担いでおられたのでよく憶えております。ラシェ殿は何をしておられても、 どうしても目立たれてしまう方ですから、あの場にいた巫女や神官たちも覚えていることかと。ブライトも一緒におりましたので、 確認して頂ければ宜しいかと存じます」
「ブライトもですか。……いい証人だ」
 ダリル将軍は微かにほっとしたように微笑み、それから難しい表情でデュシアンへと向き直った。
「しかしラヴィン公。ウェイリード公子の嫌疑を晴らすとなると、貴方の倒れた事が公となります。 そうなれば貴方は《北の公》としての資質を問われることになるかもしれませんが、宜しいのですか?」
「もともとはわたしの不始末です。知らなかったとはいえ、公子にこんなご迷惑をお掛けしていたなんて……」
 最低ですよね、との言葉は飲み込んだ。わざわざ口に出さずとも、分かりきったことだからだ。
「……畏まりました。では、この件は当方にお任せ下さい」
「はい、お願い致します」
 つい令嬢の時の癖で膝を曲げて礼をしそうになって、慌てて膝を伸ばして頭を下げた。
「では、私から、貴女に二つ、お願いがあります」
「はい」
 顔を上げ、群青色の双眸を見つめ返す。
「この件に関してですが、水面下で話題そのものをもみ消すよりは、協議会で堂々と嫌疑を晴らした方が、 かえって後腐れがないと私は判断致します。彼は少々、神殿に敵が多い。公子の後々の事を考えるならば、 不安分子はなるべく残すべきではありません。それをまずご了承下さい」
「はい」
 将軍の意図の半分も分からないが、とりあえずデュシアンは頷いた。
「それともう一つ。協議会の時ですが、この件に関して私の言う事には必ず頷いて下さい。また、 途中にそれ以外の余計な物言いは禁物です。そうすれば全てが上手く行くでしょう。納得がいかないことがあったとしても、 必ず私の言う事には頷いてください」
「ダリル将軍の言葉に頷くだけで良いのですか?」
「ええ、そうです。貴方の悪いようには致しませんし、それが公子の為でもあります」
「それでウェイリード公子が助かるなら、従います」
「お願い致します。ではもう少し証拠を集めて万全の状態で次の協議会を迎えたいと思います。 ラヴィン公、話して下さってありがとうございました」
「いいえ」
 円卓騎士団をどの程度信用しても良いのかは不明だが、友の身を案じるグリフィスはデュシアンにとって信頼に足る人物に思えた。 彼と、彼の上司たるダリル将軍と、円卓騎士団を信じることに決めた。
 肩の荷がおりて、小さな溜息が零れる。張っていた気が解ければ、急に眩暈を覚えた。目の前のダリル将軍が二重に映る。 どうした事かと考えれば、身体の調子が良くなかったのだ、と今更思い出す。
「それでは、これで失礼致します」
 本格的に倒れそうになる前に帰ろうと、もう一度こうべを垂れた。
「ラヴィン公、もしやまだお身体の方が本調子ではないのでは?」
 ダリル将軍は心配気にこちらを伺っているので、慌てて首を振った。
「大丈夫です。もうこれで屋敷へ帰りますので」
「送らせましょう」
 グリフィスがすぐにも動いたが、デュシアンは辞退した。
「ご心配には及びません。お気遣いありがとうございます」
 ダリル将軍とグリフィスに微笑みかけ、それからソファに座る少女とその辺りの騎士たち、 それから扉付近に控えていたケヴィンに礼をして部屋を出ていった。
――これで大丈夫、だよね?
 零れたため息は、熱を持っていた。体調が優れないと思うだけで簡単に熱が上がる己の弱さを呪う。
 廊下を曲がり階段に差し掛かると、手すりにきちんと手を這わせながら転げ落ちないように降りる。ここで踏み外せば、 示しがつかない。
 ふと視線を感じ、自分の足元から顔を上げた。階下の踊り場で立ち止まり、こちらを見上げている人物と視線が絡む。
「デュシアン様」
 華奢な肩から落ちそうになったショールを持ち上げれば、緩やかに編みこまれた栗色髪が揺れた。
「ティアレルさん……」
 彼女――ティアレルは足を止め、そこでこちらを待っているようだった。仕方なく踊り場まで降りれば、 みるみるハシバミの瞳が見開かれていく。
「顔色が優れないようですが、お体は宜しいのですか?」
 心配するように窺われ、デュシアンは僅かな苛立ちと戸惑いを覚えた。体調が芳しくないせいで、優しくなれそうにない。
「大丈夫です、それよりティアレル殿」
 堅苦しいその呼び方にティアレルが反応したのを目敏く拾う。
「兵法のご教授の件、こちらからお願いしたことではありますが、以後お断りさせて頂きます」
 余裕のないきつい口調となったと自覚はあるが、言葉を改める気はなかった。距離を取らなければいけない、 と執拗に意識する。
「……そうですか」
 控えめな珊瑚色の唇が微かに震える。
 分かりやすいぐらい陰る表情を見て取り、心がちくりと、確かに痛むのを感じた。
 しかし円卓騎士団の情報分析官という仕事を担う人とは関わりたくない、というのがデュシアンの本音だ。 兵法も国の事も自分から手を伸ばせば学べる機会も資料もいくらでもある。彼女の分析に怯えながら彼女から教わる必要はないのだ。 そもそも、誰かにこの至らない己のことを観察されてたりするのは真っ平なのだ。
 彼女と縁が切れて安心するはずなのに、後悔だけが募る。悲しげに沈む目の前のティアレルを見ていると、 自分が酷く嫌な人間に思えてしまうのだ。謀ったのは向こうであるのに。
――謀ったのは、向こう。ティアレルさんのこの表情は、演技……
 そう自分に言い聞かせて、弁解せずに、これ以上彼女の表情を見なくても済むように、その場を去ろうと思った。
「お仕事の方、頑張って下さい」
「はい。デュシアン様も、どうぞ御身を大切になさって下さいませ」
「……ありがとうございます」
 後ろ髪を引かれる思いで彼女の横を通り抜け、階段を降りた。ふわり、と良い香りがしたような気がする。
 彼女がこちらを向いているような気がしてならなかった。その視線を背に感じるような気がした。けれども振り向く気にはなれなかった。
 頭の中が整理しきれなかった。自分が望んだ結果であるはずなのに、彼女の寂しげな表情は自分の心に染みつくように残った。
――彼女が残念そうに寂しげに笑うのは、きっと観察対象に逃げられたからだ。せっかく近づくことの出来た相手に逃げられたからだ。 あれは彼女の演技だ……
 ティアレルのずるい部分を必死に自分に言い聞かせ、デュシアンは彼女の表情を忘れようとした。 そうしなければ、自責と罪悪感で追い詰められてしまいそうだった。

 建物から出れば、雨の匂いを含む湿った風が、髪を撫で付けるように吹いてくる。寒さに身を縮めながら渡り廊下をのろのろと進めば、 通りかかった騎士が「大丈夫ですか?」と声をかけてくる。慌てて微笑んでやり過ごし、 どうやら相当大丈夫ではない顔なのだなとデュシアンは頬を擦った。
 ふと、宮殿へと繋がる場所に高身長の人の姿を捉えた。鳶色髪の従兄である。
「ラシェ?」
 意外な場所に立っている従兄に驚いて小走りに近づけば、呆れたような顔で盛大に溜息を吐かれた。
「顔色が悪い。その顔で帰れば、屋敷の皆は半狂乱だろうな」
「そんなに酷い?」
 見えるわけはないが、顔中を手のひらで触ってみる。
「自分で自覚してるだろう?」
 赤茶の瞳で見透かすように見下ろされれば、デュシアンは頷くしかなかった。
「うん。イリヤに怒られそう」
「あいつは口煩いからな。とにかく、帰るぞ」
「あのね、ラシェ。できればウェイリード公子の所に行きたいのだけど」
「礼なら今度にしろ。今日はもう休め。魔力と血は同じようなものだ。あまりに大量に失えば身体に支障がでる。 お前は命を落としかねないほどの魔力を失ったんだ、頼むから少しは大人しくしていろ」
 伸びてきた大きな手が、犬を撫でるようにデュシアンの髪を混ぜた。
「うわ、ぐしゃぐしゃになった」
 従兄の手に抵抗し、乱れた髪を撫で付ける。軽く睨むようにラシェを見上げれば、彼は庇の向こうに広がる鈍色の空を見上げていた。
「少し小振りになったな」
「本当だ」
 打ちつけるような雨もその威力を弱め、中庭の水溜りの中へと消えていく。来る時は激しい音をさせながら庇に振り落ちていたはずだが、 もうその音は聞こえなくなっていた。
「帰りやすいね」
「……そうだな。馬車を用意してある、行くぞ」
「うん」
 最近のラシェは優しい――デュシアンは嬉しい気持ちになりながら従兄の後を追いかけた。




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 ラヴィン女公爵が退室した直後の室内には穏やかな沈黙が流れたが、窓辺より上がった声によってすぐにも空気は一変した。
「これでどうだ!」
 互い違いの彩色が施された升目の描かれた盤――チェス盤の上の《黒い僧正》が、《白い騎士》を転がす。
 《黒い僧正》を手に持つ青年は得意気に笑った。座る椅子に片足を乗せるという無作法な座り方ではあるが、 それが許されているのは口煩い行儀作法の教官が席を外しているからだ。
 沈黙を破ったその青年はいま室内の注目を集めているが、彼の得意気な表情にも関わらず、 声によって視線を引き寄せられた誰もが盤を窺って笑いを堪えていた。近くのソファに座って対決をずっと静観していたミリーネは、 立てた人差し指を唇に当てて周りの騎士たちを牽制した。その彼女も、笑いを堪えている。
 自分の作戦が上手くいったと満足感を得たのか、青年は思い出したように首だけをダリル将軍の方へと向けた。
「将軍。協議会で話を持ち込むよりも水面下で片付けた方がいいんじゃないんすか?  今回の《北の守り》の亀裂の犯人探しに関しては円卓騎士団が一任している事を神殿の連中も知っているし、 将軍が話題に出さなければウェイに嫌疑がかかっているなんて知らない人間だっているだろうし」
 吊り上がり気味な黒い瞳は懐疑的な色を宿していた。
「話は聞いていたんだね」
 ラヴィン公が来て騒がしかった間も全くこちらに目を向けなかった青年だが、話はちゃんと聞いていたらしい。 そういう部分では抜かりが無いな――とダリル将軍は苦笑すると、彼の挑戦を真っ向から受けて立った。
「公子には悪いけれども、協議会で話題にした方が利点は多いのだよ。話題にすれば犯人を探す事に協力的な人間が増えるだろうし、 その人間によっては元老院に口を聞いてもらえる可能性もある。シーン、我々の目的はウェイリード公子の嫌疑を晴らす事ではなく、 亀裂を深める魔法を使った犯人を見つけることなのだよ」
「……確かに、そうっすけど――」
 納得がいかない、と顔を顰めて青年――シーンは同期で同僚のグリフィスへと視線を向けるも、 彼は異論がないようで無言を貫いており、援護射撃は頼めなかった。シーンは口の中で小さく舌打つ。
「シーン。仕事に感情介入は禁物だ。友人だからといって、肩入れし過ぎるな」
 真正面に座るチェスの相手が厳しい口調で言い放つ。続けて『チェックメイト』と呟いて《白い兵士》を動かした。
 慌てて振り向いたシーンは、盤上の恐ろしい事態に今更ながら気が付いた。もはや《黒い王様》はどこへ逃げても助かりは しない死地へと入り込んでいたのだ。
「うおぉぉぉ、まじかよぉ?!」
 背を大きく逸らし、髪を掻き毟るも結果は変わらない。隣りでミリーネがくすくす笑っているのが聞こえる。
「だからお前は兵法をきちんと勉強しろと言っているのだ」
 チェスの相手は冷めた表情で、手に持った《白い兵士》で《黒い王様》を転がした。
 殊更大きな溜息を吐くと、シーンは証拠隠滅と言いたげにチェス盤の上に残る駒たちをさっさと片付けた。
「チェスと兵法は関係ないっすよ」
 子どものように上唇を尖らせ、不貞腐れる。
「戦略を組み立てるという重大な思考能力が養われる。予告通り、これらの本を読み、 まとめたものを明後日までに提出するように」
 チェスの相手はそうぴしゃりと言うと、出窓の枠に置いてあった分厚い三冊の本を手袋をした指で叩いた。
「俺もウェイの嫌疑を晴らしてやりてーのに」
 シーンはチェス盤の上に身体を預けながら不満を述べる。
「それは他の騎士がやるだろう。お前はこれだ。ユーリと共に勉強し直せ、愚か者」
 しかし全く取り合わないといった姿勢で冷たい光を放つ眼鏡を上げる。 理智的というよりは一種冷酷とまでに思える鋭い視線がシーンを射抜く。
「恨みますよ、サレイン上官」
「恨むなら自分の無知を恨め」
「くそ」
「それから、ティアレルに聞くのは禁止だ」
 先回りするように釘を打たれ、シーンは完全に意気消沈する。
「お前の思考回路などたかが知れている。なんでもティアレルに聞けば良いというものではない」
「たまには大人しく自室に篭もってなって事だ」
 いつの間にか傍に来ていたケヴィンが豪快シーンの頭を数回叩けば、室内に笑いが起こった。
 しかし一人難しい顔をして考え込むグリフィスに気がついたダリル将軍は、彼を窺った。
「ラヴィン公はどうなるのか、と思ったのです」
 ダリル将軍の片眉が少しだけ上がる。
「普通に考えれば、退任要求がでるだろうね。視察で倒れるなど、聞いたことがない」
「……分かっていて彼女はここへ来たのですよね」
 心配気なグリフィスの言葉に、ダリル将軍は苦笑して頷いた。
「そう確認しなくても、彼女の事もきちんと考えてるよ。神殿の今の気風を利用すれば簡単に擦りぬけられる。 そんなに責められることもないだろう。しかしグリフィスも相当なお人よしだな」
 そう言って目の前の実直な青年の優しさに多少の仕方なさを感じながら、ダリル将軍は諭すように肩を叩いた。



(2004.6.25)

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