墓と薔薇

4章 はじまりの一輪(3)

 《法皇御前試合》の日程が近づけば、出場者は否応もなくぴりぴりとした緊張感を携えるようになっていく。 神経質な者はより神経質に。余程の鈍感な者か、嫌味をもろともしないような者ぐらいしか訪問者もなくなり、 ラシェはその心地良さを研究室にて満喫していた。おべっかをつらつらと並べる、いけ好かない貴族の相手をする必要もないからだ。
 ラヴィン家現当主が女、正当な跡継ぎが未成年となれば、本家に一番しい存在である自分に近づき取り入ろうとする輩は多い。 己の娘をこちらや跡継ぎの従弟へ押し付けようとする者、はたまた現当主の従妹の動向を窺おうとする者、 また純粋に魔道師として力を貸せと権力を振りかざしてくる者。そのどれも常々疎ましく思っていたラシェにとって、 これほど開放感を味わえる時期はなかった。
 やまない雨を窓越しに見上げ、読んでいた本を閉じる。
――そろそろ集中するか
 余計なことを考えず、いかに素早く己の想像を具現化できるか――精神統一は、 戦うことを資本とする魔道師にとっては重要不可欠な鍛錬の一つだった。身支度を整えていれば、扉がやや力強く叩かれる。
「開いてる」
 あまり聞き覚えのないノックの仕方だと思いながら返事をすれば、すぐにも扉が開き、 少々顔色の優れない従妹が息も絶え絶えに入ってきた。僅かに瞠目し、すぐにもイリヤへの悪言を呟いた。
「イリヤは何をしているんだ。お前、もう起きていいのか」
 まだあと数日は寝たきりでも良かったはずなのだ。
「ラシェ、聞きたいことがあるの」
 こちらの質問など飛び越えて、従妹――デュシアンは喉から声を擦りだすように喋った。未だに息が切れている。
「なんだ、改まって。それより大丈夫なのか?」
「二週間前にこの研究室で、わたしが目を覚ました日があったでしょう?」
 やはりデュシアンは答えなかった。答えたくないのか、それとも己の思考で頭が一杯なのかはわからない。 取りあえず無駄を省いて一刻も早く屋敷へ送り帰せば良いと考え、話に付き合うこととした。
「あの時、ラシェは他の人からわたしを託されたって言ったでしょう? それって、誰?」
「今更どうしたんだ? それは聞かないと――」
「ウェイリード公子なの? ううん、公子だよね?!」
「……一体どうしたんだ?」
 そもそもこの従妹が切羽詰った顔をして自分の所へ来る事は珍しい――ラシェは静かな動揺を覚えた。
 そういった顔――取り繕った顔――しか出来ない時は、わざわざ人に会ったりするような娘ではない。素直でまっすぐな性質の従妹は、 素知らぬ顔で嘘をつけない代わりに、落ちつくまでは自分一人の殻に閉じこもってきた。それをこの五年、幾度と無く傍で見てきたので、 その変化に内心驚きを隠せなかった。
 しかしこの質問を答えて良いものか、ラシェは答えに詰まった。質問に答えれば、 対等かそれ以上の存在でいなければならないアイゼン家後継者への負い目になるだろう。 この従妹はどうもそういった対抗意識をアイゼン家に感じているようなのだ。
「あの日に、ウェイリード公子は一刻の間《北の守り》へと通じるあの部屋の前にいた守護騎士を移動させているの。 そのせいで、公子は《北の守り》の亀裂を深める魔法を使って崩壊を誘った、っていう嫌疑がかけられているの」
 従妹は視線を自分の足元に落としてそう語った。
――そうきたか
 大きな溜息が零れる。こんな事になると何となく予想はしていたのだ。
――下手な同情や隙を見せたあいつが悪い、とは思う
 しかしあのままこの従妹が《北の守り》にて放っておかれれば、どのような事になったか。それを考えれば感謝は尽きない。 だが、この嫌疑を晴らす証人に自分がなれば、今度は目の前の従妹が断罪されることになるだろう。 《北の公》としての適性を疑われるに違いない。罵詈雑言をぶつけられるかもしれない。この小さい身体が、 弱々しい精神が、それに耐えられるはずがない。
 睫毛の間から窺える瞳は不安で彩られ、きつく結ばれた唇は多分、内側を歯で噛んでいる。 緊張の為か薄い肩が小刻みに震えている。息は整ったようだが、やはり顔色は優れず、今にも倒れそうだ。
――恩と保身と、こいつにどちらかを選ばせろってことか
 従妹にとって、どちらに転んでも待っている結末は辛いものだろう。
「それで?」
 しばらくしてからやっと反応を返す。どちらを取るか、従妹の反応をもう少し見てから決めるつもりだった。
 もっと違う応えを想像していたのであろう従妹は、こちらの態度に苛つきを憶えたようで、噛みつくようにこちらを睨んでくる。
「それでって!」
「だから、なんなんだ?」
 近くの椅子に座り、足を組んで片肘を横の机につき、手の甲に頬を乗せた。こちらの横柄な態度には慣れているだろうが、 従妹には予定外な展開であっただろう。『助けて欲しい』と切々な表情で入室してきたのに、従兄は協力的ではないのだから。
「も、もし、わたしを運んだのがウェイリード公子だとしたら、わたしは証人になれない?」
 声が少し震えている。不安が募ってきたのだろうか。
「それが何に繋がるんだ?」
「え?」
「あいつがお前を運んでいたとしてもだ、何であいつは守護騎士を移動させる必要があったんだ?」
「え? そ、それは、えと……」
 恐らくその疑問には勘付いていたはず。その疑問も解決できずにただウェイリードを信じていたとすれば、愚かにも程がある。 《北の公》として、何よりも優先すべき事柄を履き違えている。
 ぎこちなく視線を散らす従妹を冷めた視線を向けた。
「え……、でも、でも、わたしのことで少なくとも庇えるでしょう? ねぇ、ラシェ!!」
 すがりつくような従妹の声に首を振り、大きく息を吐いた。
「随分あいつに肩入れするんだな」
「だって、良くしてもらったし、それにあの公子がそんな事するように思えないもの! それに、決定的な証拠がないのに、 嫌疑をかけられるだけで公子は廃嫡になる事も有り得るっていうの!」
 廃嫡。
 嫡子である事で今現在守られている部分の多いウェイリードには、それは致命的だ。さすがにそれは黙って見過ごすわけにはいかない。 廃嫡になり、弟のカイザーが正式な後継者となれば《狂信者》たちが今まで黙っていた分強気に出てくるに違いない。 表面化すればまだ良いが、水面下での強行が増えるに決まっている。さすがに命に関わる事には変えられない。
「お前の考え方は甘い。それは呆れるほどに」
 人を信じることは悪いことではない。ウェイリードに関して言えば、奴を信じることは間違ってはいない。 信頼以上に応える男だ。しかし巫女の件で一度は痛い目をみているのだ。この従妹は少しは疑うということを覚えるべきだと思う。
「だが、お前の覚悟はこのあいだ聞いた。《北の公》として、公爵として、 お前がどれだけの覚悟を持っているのかを俺は理解したつもりだ。それでも心配してしまうのはやはりお前が――」
 昔と変わりないから、との言葉を飲み込んだ。実際は少しづつではあるが、確実に変わってきている。いつも逃げ出して泣いて ばかりいたが、公爵としての自覚と家族を守りたいという強い決意で僅かなりにも成長しているのだ。それは認める。
 ただあまりにその見た目の頼りなさから、つい昔のままであるような気がしてしまう。もしかすれば、 昔のままでいて欲しいという願望が自分にそう見せているのかもしれないが。
 己の感傷を侮蔑するように苦笑すると、ラシェは従妹を睥睨した。
「ウェイリードはお前を庇う為に守護騎士を動かした」
「え?」
「倒れた北の公を運ぶ所を誰かに見られでもしたら一大事だろう? あいつは守護騎士の代わりにあの部屋の入り口を守りながら、 お前と関わりのある誰かが通るのを待って居たんだ。そして、たまたま通りかかった俺が呼ばれて、お前を運ぶよう頼まれた」
「そんな! じゃあ、公子はわたしを庇って、騎士を動かしたことの真意を証言してないの?」
「……どうだろうな」
 生真面目なあいつの事だ、『デュシアンの立場を守る』と一度腹を括ったならば、それを覆したりはしないだろう。 叔父上との遺言があるからということではない。一度庇ったものを突き放したりはしない律儀な奴なのだ。 年下の友の難儀な性格を思うとため息しか出ない。
「ラシェ。それ、証言求められたら答えてくれるよね?!」
 気づくと近くまで寄ってきて、こちらの片手を取って振りまわしてくる。 子どものような確認の仕方にいつもなら冷笑の一つも与えてやるものだが、従妹の今後を考えるととてもそんな気にはなれなかった。
「俺が証人となって真実を答えれば、お前は《北の公》としての資質を問われる事態になる。お前が倒れたのは視察の最中だろう?」
「わたしの不手際で公子に迷惑をかけるわけにはいかないよ! 負けないから大丈夫!」
 なぜか急に、微笑むその顔が、遠い昔に見かけた女性と重なった。
 それは叔母上を長い間、苦しめてきた忌まわしい存在。情景の片隅に存在する、柔らかな微笑みを浮かべるあの女性。
 何故か、懐かしさを感じた。――あれだけ憎んでいたのに。
「じゃあ、わたし、円卓騎士団のところに行ってくるね」
 もう一度従妹を見ると、無邪気な笑みを浮かべていた。いつもの子どものような笑みだ。どこか安堵する。
 顔色は悪いが、不安が削げ落ちたその顔は嬉しいという感情で溢れていた。円卓騎士団の所へと駆け込むのか、止める間もなく 乱暴に扉を開けて行ってしまった。

「……人の気も知らずに」
 数年前。庭の隅で一人泣いていた少女。
 誰にも見つからないように、そして誰をも拒絶するように背を向け、一人泣いていた従妹。 顔を合わせれば無表情ながらも怯えをみせ、後退する。それなのに、気づいた頃にはレセンと手を繋ぎ、 少しづつ様々な表情を浮かべるようになっていた。それでも泣き虫で臆病なのは変わらず……。
 そんな小さい従妹が、いつの間にか思い出の中だけの存在になってきている事に気づき、その成長への喜びと共に、 一抹の寂しさを感じている自分がそこにいた。

 可愛い従妹は憎いあの女性の娘。相反する感情に戸惑っていた昔の自分は、もうどこにもいなかった……。


(2004.6.18)

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