墓と薔薇

2章 支配と魅了と破壊と(8)

 すべてが万全の状態、であった。護符(アミュレット)も直してもらい、 昨日もよく眠れたので疲れも一切ない。 肉体的にも精神的にも全く支障はなかった。
 ただ一つの難点を言えば、朝からラシェに会ったことぐらいだろうか。この間の失態もあるのでもう一度謝罪し、 今日の午後に《北の守り》へ視察をしに入ることを告げると、彼は珍しく難しい顔をして、 またも珍しく頭を撫でてきて『がんばれよ』と複雑そうな表情で励ましてくれた。 従兄のその珍しすぎる行動が、デュシアンをとてつもなく不安な気持ちにさせた。
 ともあれそれ以外は全くの《北の守り》への『視察』日和であった。
 《北の守り》へ通じる部屋を守る神殿騎士二人に自らの身分の証となる紋章を見せれば片方がすぐにも扉を開け、 もう片方が思い出したように、望まないことをわざわざ教えてくれた。
「ただ今アイゼン家のウェイリード公子も御入室されています」
 何て不吉な言葉だろう。デュシアンは首を竦めた。一番聞きたくない名前を気分の乗っている時に聞くなんて、と顔が歪む。 デュシアンはその言葉を聞かなかったことにして、騎士に礼をし、魔方陣の保存されてある部屋へと足を踏み入れた。
――どうせあの人は《第二の守り》の視察だろうし、会わないだろうから意識しちゃだめだ!
 デュシアンは頭からあの不愉快な存在を振り払って、もう慣れた移動魔方陣へと入った。

 相変わらず魔方陣から放たれる光が届かなくなれば、薄暗く不気味なことこの上ない《北の守り》だが、 今日は躊躇いもなく歩くことができた。つい鼻唄もでてしまう。
「ふふん、ふ〜ん……ららん、らんら〜ん」
 自分で歌いながらも、その鼻唄の出所に一瞬首を傾げた。大したことではないのですぐに考えるのを止めて鼻唄に集中した。 そうしないと、数多くある柱の隙間の闇から何かが出てくるのではないかと意識してしまいそうだからだ。 《柱の間》を無事に通り抜け、《蜜蝋の階段》まで来ると鼻歌も消えた。これを昇った先は『封印の間』だ。 一気に緊張も高まる。
 この間の失敗が頭を駆け巡ってくる。
――でも、今日はリディス殿の護符(アミュレット)があるもの
 デュシアンはリディスに直してもらい更に自分用に修正してもらった父の形見でもあるアミュレットをぎゅっと握りしめた。
 リディスは念を押すように、アミュレットに頼りきるな、と言った。アミュレットは本来頼るために作られたものではない、と。 本当に強くしなくてはならないのはアミュレットの力ではなく、自分の心なのだから、と。
 デュシアンはリディスのその言葉に大きく頷いた。
――そうだ。強くならなくちゃならないのは、わたしだ
 心の中で繰り返し、薄く発光するねっとりとした乳白色の階段を昇った。
 《封印の間》へと足を踏み入れると、親指大の発光体が目の前を過ぎり、その眩しさに目を細めた。 ここは無数の光の玉が飛んでいる。たまにこうして視界の妨害となるのだ。もちろん光の玉には意思がないからたまたまなのだが。
 ちかちかする瞳が元に戻ってもう一度前を見据えると、何かが結界の前にいるのが見えた。 一瞬どきり、と心臓が撥ね上がるも、デュシアンはそれが何――誰であるのかすぐにもわかった。
 漆黒の礼服に身を包んだ《彼》は、こちらに身体を向けていた。
――ウェイリード公子……
 デュシアンは自分の読みが甘かったことを知った。アイゼン家だからといって、 《北の守り》の方には来ないというわけではないのだから。
 ここでいつまでも止まっていても仕方ない、とデュシアンは彼のいる結界のほうへと歩みを進めた。
 彼はこちらに来るデュシアンをじっと見つめていた。そして、ある程度近づくと、
「余裕なのだな、歌など歌って」
 そう言って、こちらに背を向けた。
 どうやら自分の鼻歌はここまで響いていたようだった。デュシアンは真っ赤になってその歩調を速めて彼の横に立つと、 随分と背の高い彼を悔し紛れに見上げて睨んだ
「挨拶もなしに、随分ですね」
「君もな」
 ちらりとこちらを横目で見下ろし返答すると、もうデュシアンに興味がないかのように結界内部へ視線を向けてしまった。
 デュシアンはおおいに頬を膨らませて睨んでいたが、また彼がこちらをちらりと見やったので慌てて頬に溜めた空気を抜いた。
「どうぞ」
「は?」
 彼の促す意味がわからなくて、つい少し間抜けな返答をしてしまう。
「私のことは気になさらずにどうぞ『視察』をなさって下さい、と言ってるんだが」
 ウェイリード公子は、どうやらそこからどかないつもりのようだった。
 デュシアンは途方に暮れる。この間の『視察』の失敗もある。もしまた失敗したらどうなるか。しかもこの嫌味な男の前で。
 何て言われるかわかったものではないと、心がぶるぶると震えた。
――それとも、わたしを試す気?
 そんな懸念が浮かぶ。彼は議会で『北の守りに入れる人間の選出見直し』なるものを提案している事から考えれば、 十分それも有り得る。彼は自分を引き摺り下ろす機会を狙っているのではないだろうか。
――どこまでも嫌味な公子
 デュシアンは端正な彼の横顔を一睨みすると、そっと前に出た。
――でも、今日は大丈夫だ。わたしは自分の力は自信ないけど、このアミュレットがある。 父様もわたしも信頼したリディス殿のアミュレットがあるもの。きっと、大丈夫だ
 デュシアンはそっと手を結界に差し出した。
 手に結界の壁の感触を感じたと思ったらすぐにもあの眩暈と頭痛が起こり、身体を縛り付けられるような感覚を味わった。 そしてすぐにも抗う暇なく視線が流れていく。それに慌てる事もなくふらふらする体を何とか足で支え、 そして《支配》を振り払おうと一息吐いた。
 意外にも《支配》を振り払おうと意識しただけでその魔力から抜け出て、急に身体に開放感が訪れる。 これはアミュレットの力なのかと思うも、リディスが作ったのは精神魔法を跳ね除ける強化アミュレットではない。 だから自分の耐性が上がったことと、度重なる《支配》の解呪が自分を《支配》を弾きやすい体にしてくれたのだろうと思い至った。
 しかし時すでに遅く、瞳は闇を引き裂く一条の光、『神槍』を見つめてしまっていた。 何だかとても落ちつかない気分になってくる。
 次は《魅了の魔力》なはずだった。それをこの間、解呪した憶えはない。けれども今回はきっと大丈夫だ、 と自分を奮いだたせた。
――落ちつけ、デュシアン。わたしは大丈夫
 デュシアンはくらくらする眩暈の中、思考が誰かに乗っ取られるような嫌な感覚がしてきたので自我をきっちりと意識しようとした。 しかし『声』は容赦なく圧倒的な存在感で語りかけてくる。

――そうよ、わたしは《北の公》なんだから、素晴らしい力を持っている人間なのよ。
 自分の声で頭の中に大きく響くそれが、自分の本来の思考を奪うようにへばり付いてくる。
 初めはこんなものだ。思考の飛躍が起こるのはまだまだこれから。だから今のうちに《魅了》を解いてしまわないと。 デュシアンは解呪の準備に入ろうとした。
――わたしはなんでも出来るんだから。例えば隣りの公子をこの場で殺す事だって容易いわ
――ふざけないで、わたしは人殺しなんて、しないわ!

 デュシアンは聞こえてくる言葉の兆発に乗ってはいけないことを知っていたが、 どうしてもその高揚感に煽られるように本来の考えも強い感情を含むものになってきた。
――いけない、違う!
 デュシアンは慌てて自分の気持ちを収めようとした。煽る言葉に煽られては冷静ではいられなくなる。
 落ちつけ、落ちつけ――デュシアンは、そっと自分の左手でアミュレットを握り締めて自分に言い聞かせた。

 わたしはただの娘。
 人以上の力は持ち合わせない。
 自分のことは自分が一番よくわかっている。
 わたしは確かに《北の公》だけれども、まだそれに相応しくない。
 わたしはただの娘。決してそれ以上には成り得ない。

 デュシアンは自分の頭に響いてきた魅了の言葉に一切耳を傾けず、ひたすら自分に出来ることの限界を冷静に意識した。
 そして、魅了の言葉が何時の間にか消えていたことに気づいてほっとした。いまだ意識は朦朧としていたが。
 《魅了》は解けたのだ、これで視察を始められる、と気を抜いた矢先、

「まだ気を緩めるな!」

 デュシアンは朦朧とした意識の中、そんな声が聞こえた気がした。
 と同時に、突如大きな鐘の音が響いた。
 デュシアンの身体が硬直する。
 そして、すぐにもかたかたと音が聞こえる程の小刻みな震えが全身を襲う。粒になった汗が額に浮かぶ。
 記憶が、目の前に幻影となって広がる……。

 足に土の感触
 周りには無数の墓標
 ここは墓地(セメタリー)
 目の前には大きな穴
 そこを覗き込むと……
 教会の、訃報を知らす荘厳な鐘の音
 振り向くと運ばれてくる白い棺
 埋葬
 永遠の別れ
 孤独
 一人ぼっちの絶望
 世界と自分が切り離されたような思い……
 世界から、自分はいらない、と言われたような感覚……
 わたしはいらないの?
「やだ……ひとりに、しないで……」
 あの時の絶望
 押し込めていた思い
 自分が全てから見放されたような孤独感
 穴に埋められる棺……
 白い棺がだんだんと土によって見えなくなっていく……
「やだ、やだ!!!」
 慌てて埋めようとする土を手で払う
 でも払っても払っても、土はどんどんかけられて……

「囚われるな!! それは《破壊の魔力》だ!!」
 自分を叱責する声と共に、ぱしん、と自分を弾くような軽い痛みが全身を駆けぬける。
――破壊……?
 デュシアンはその痛みにはっとして、現実に戻された。
 辺りを見まわすと、そこは無数の光の玉の飛ぶ《封印の間》だった。墓など一つもない。
 ぶるっと身体が震えた。汗だくになっている自分の身体を抱きしめる。がたがたと訳も無く身体が震えた。 息が上がっていて早い呼吸がかえって息苦しい。
 一体今のは何なのか―ー汗に濡れる額に手をあてる。身体がふらついた。
「大丈夫か?」
 覗き込んでくるのは細められた灰燼の瞳。背を支えてくれるのは思ったよりも逞しい腕。 こんなに間近で見ると、とても綺麗な瞳だった。わずかに青みがかっているのがわかる。
 その彼が歪んだように映ったので、初めてデュシアンは自分が涙を零していたのを知った。慌てて涙を袖でふき取る。
「申し訳、ありません」
 小さく呟いて、ウェイリード公子の腕を抜けた。
 あの時彼が声を掛けてくれなかったら多分……何かが壊れていた。
 デュシアンは自分を落ち着かせようと、胸のアミュレットを握り締めた。 泣きそうになるのを必死で堪える。ここで泣いたらもっと情けないと分かっていたから……。
 しかし思い出したあの記憶がデュシアンの心を弱くもしていた。《破壊の魔力》は人の心の隙を狙ってくる。 それも本人が意識より排除した記憶を揺り起こしてくるのだ。
 その記憶の重さと数度目の議会の人間の前での失態。二重の苦痛がデュシアンに襲いかかった。
「……《視察》をしないのか?」
 ウェイリード公子はいつもよりも柔らかい口調で促してきた。柳眉を下げて、心配そうな表情でこちらを見ている。
 そんな彼を見上げ、今の自分はどんな顔をしているのだろうかと思った。
「精神魔法はしばらく発動しない。その間に《視察》をするのが《やり方》だろう?」
 彼の声色が何だか優しかった。同情されているのだろう、惨めに思えた。
――わたしは、《北の公》なのに
 デュシアンはぎゅっと唇を真一文字に引くと彼に背を向けて走り出した。
「おい!」
 ウェイリード公子の声を振り切り、デュシアンはその場を後にすることしかしか出来なかった。

 あまりにも惨めだった。
 あの《破壊の魔力》は最終的にウェイリード公子が外部から解いてくれたのだ。
 それなのに、どうして『視察』など出来ようか。
 デュシアンは涙で視界がぼやけ、蜜蝋の階段の最後の一段を踏み外して転んだ。 打った腰は痛かったが、すぐにも立ちあがって涙を指で払った。
 頭には先ほどの惨めな思いと、記憶の中の孤独とが自分を取り巻いていた。
 もう《破壊の魔力》はなくなっていたはずなのに、自分が壊れていくような気がした……。


(2004.1.10)

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