「おい」
「何でしょう?」
「また女と別れたと聞いたぞ」
「殿下には関係ないことと存じますが」
「私の側近がそんなでいいと思っているのか」
「私生活は関係ないと思われます。そもそもダリル将軍やカラナス侯爵の覚えがめでたいので問題ありません」
「世渡り上手はいいな」
「殿下ほどでは」
「……お前が側近でいいのか、本当に悩む時がある」
「お決めになったのは殿下でございましょう」
「だから、その決断を失敗したのかもしれないと後悔しているのだ」
「私以上の適任者はいないと自負しておりますが」
「自分で言うな。お前は少し調子に乗りすぎだ」
「殿下ほどでは」
「……筆頭騎士がこんな奴とは、円卓騎士もとんだものだな。解体を考えるべきかもしれん」
「そうですか。ツワモノぞろいですよ」
「キワモノの間違いだろう」
「否定はしませんが、私は除外して頂きます」
「そもそもお前はもう二十八だろう。いい加減落ちつけ」
「他の円卓騎士にでも言って下さい。私より年上で独身がごろごろとしております」
「つまりは、円卓騎士はキワモノ過ぎて女が敬遠するのだな」
「元老騎士ほどではありません」
「では、はじめましょう」
議長であるコーエン男爵のその声が会議室に響くと、窓辺に陣取るセレド王子と側近の男は雑談を一旦止めた。
半月に一回の《防衛協議会》が始まるのだ。
「今日も何か楽しいことがあるといいのだが、この間みたいな」
「そうですね」
側近は相槌を打って、王子の瞳が向いている方向に視線を向けた。
二人の瞳は一人の娘に向いていた。丁度自分たちから正面に当たる席に座る、ばっさりと短くなった金髪の、誇り高き女公爵。
彼女へ視線を注いだ。
そんな王子と側近から注目を受けていることなど露知らずの金髪の誇り高き女公爵デュシアンは、
自分の円卓の席がとても気に入らず、人知れずため息を零していた。
真正面の席はその雰囲気を苦手とするアイゼン公爵なのだが、今日はアイゼン公は欠席だった。
滅多に日程が重ならないはずの立法に関する重要な会議があり、そちらを優先させたのだという。そんな理由から、
真正面の席に鎮座しているのはあのウェイリード公子であった。
『《北の公》を退任した方が、君のためだ』
この間の《北の守り》から帰って来た時の、ウェイリード公子の言葉がもう一度頭の中で木霊した。
あの時言い返すことができず、悔しさだけが募っていた。しかし同時に、
精神魔法に対する弱さを知られてしまったことが何よりも複雑だった。
《魅了の魔法》から解けて見上げた時の彼は、どう表現してよいのか不明な表情を浮かべていた。
いま思い返せば、あれはきっと幻滅の気持ちの現れだったのだろうと思えてくる。次のラヴィン公はこれほどのものか、と。
だから彼は言ったのだと思った。退任した方がいい――と。
その言葉を他人から、嫌がらせや悪口としてではなく言われるとは思ってもみない事だった。
いつか言われるかもしれないという不安はあったが、このように就任してすぐとは思いもよらなかった。
その為の啖呵であったし、演技であったのだから。あれは中身が伴うまでの時間稼ぎであるはずだったのだから。
それを易々と見破られてしまったのだ。アイゼン公とウェイリード公子には《北の守り》に関する事柄で責任が連動することから、
一番気をつけなければならなかった。それなのに、こんなに早く気づかれてしまったのだ。
――ああもう、悔しいなあ
うな垂れたくなる気持ちを抑えながら、議会が進行していくのを見守った。
本日はアリアラム地方都市に関する警備状況の報告が主で、神殿の神兵団の長官と神殿騎士団所属の軍事分析官、
円卓騎士の長ダリル将軍、宮殿正規騎士団参謀役の四人がそれぞれ意見を取り交わしていた。
アリアラムは南方貿易船が停泊する港を有することから警備は厚いが、海賊被害について悩みを抱えていた。
その為にアリアラムの守備隊は船を出して海賊退治をする許可を打診してきていた。
けれども、精霊信仰のある神殿は海戦などして海の精霊の怒りを買うことを恐れ、それを許可しなかった。
本日は二度目の打診であった。
窺いたてるように報告書を読み上げる神兵団長官に対し、二度目であるからだろうか、
ビアシーニ枢機卿は全く知らぬ顔をして無視を決め込んでいた。枢機卿がそのような態度であるから、
神殿側の貴族もそれに習うしかない。ドーミエ司教に至っては顔を真っ赤にして
「そんなことを打診してきた愚か者を降格させろ」と怒鳴り散らした。
議題となったアリアラムからの報告書は、デュシアンも数日前に貰っていた。
それを読むまではアリアラムで海賊騒ぎがあることも知らなかったし、
そもそも《海戦》というものを神殿が許してはいないという事も初めて知ったのだった。それを恥ずかしく思う。
《防衛協議会》は首都のみならず、カーリア国全体の広義での防衛を話し合う。もっと地方の守備について興味を持ち、
また軍がどのように動いているのか、そして神殿や宮殿がどのように対応しているのかを積極的に学ばなければならないと悟った。
おかざりの公爵とならないように。
もちろん、軍事一般に関することはいくら《北の公》であってもあまり口出しするのはお門違ではある。
無理に彼らの討論に参加するのではなく、せめて自分の意見を持てるぐらいにはなりたいと思った。
「では、今回もその打診は見送るということで宜しいでしょうか」
コーエン男爵が静まり返った室内を見回して、まとめた。ビアシーニ枢機卿もドーミエ司教も海戦には『否』と言う以上、
宮殿神殿両軍部の人間はそれ以上何も言えないのだろう。しかし、納得のいかない表情を浮かべるダリル将軍だけが口を挟んだ。
「船を出せないならば、他にどのような方法で海賊を退治するのか、提示すべきではありませんか」
「それはアリアラム守備隊が自分たちで考えることだろう」
ドーミエ司教はそう突っぱねると、コーエン男爵を促した。
「では、アリアラムに関しては以上です。それ以外になにかある方はいらっしゃいますか?」
議長たるコーエン男爵はダリル将軍の冷ややかな表情とドーミエ司教の苛ついた視線に挟まれながら、
回りを見まわした。
すると、思っても見ない人間が口を開いた。
「コーエン男爵」
その声に、出席者だけでなく、端に陣取る書記官たちまでもが顔を上げて彼へ視線を向けた。
議長へ声を掛けたのは、今まで黙っていたウェイリード公子だった。自分に次ぐ年少者である為に、
議会中に発言するとはデュシアンも思ってもみなかった。
彼は皆の注目が集まっても別段顔色一つ変えず、男爵に発言を許されると話し始めた。
「《北の守り》に関する法令を、今一度検討し直して頂きたいのです」
その発言に、会議室が一気にざわついた。
しかし、コーエン男爵の「静粛に願います」との一言で静かになると、ウェイリード公子は全く臆することなく続けた。
「私が提案したいのは、《北の守り》の視察に訪れる人間の選別基準の見直しです」
議会の出席者たちはもっとざわつき始め、コーエン男爵すら唖然としてそれを鎮めることを忘れてしまっていた。
けれども、一番驚いたのはデュシアンだった。
――何言ってるの? この人……
「《北の守り》入室資格の選別基準の明確化及び、基準の引き上げを検討して頂きたい」
「ウェイリード公子。このことは父君は?」
神殿側の人間、壮年のホルクス伯爵が咳払いをひとつして、まるで少年に言い聞かせるように尋ねた。
「私はあくまで一研究者として述べているのですが」
二席横の伯爵を、冷たい眼差しで見やった。
《魅了の公子》と呼ばれるウェイリード公子が精神魔法に関する大変優れた研究者であることは広く認知されている為に、
それ以上の文句が出なかった。納得がいかないといった表情をしている出席者もいるが、
同意するように頷いている出席者も多い。
室内をぐるりと見回して最後にウェイリード公子を見ると、彼はこちらを見つめていた。
――ああ、そっか。わたしを引きずり落としたいんだ
合点がいった。彼は能力の低いこちらが《北の公》であることや、《北の守り》に足を踏み入れることが気に食わないのだろう。
彼が言うような底上げ基準が実施されれば、きっと自分の能力では引っ掛かる。
彼はそうすることで、こちらを《北の公》から引きずりおろす気なのだ。
――いくらなんでも、こんなに早くに手を打ってくるなんて……
こちらのちから不足とはいえ、悔しさに腸が煮えくりかえりそうだった。視線を反らしたら負けな気がして、
じっと彼の視線を真っ向から受け止めた。
「取り合えず、そちらに関してはウェイリード公子に資料を提出してもらい、それから話しを進めることに致しましょう。
公子、お願い致します」
コーエン男爵はそう言って、議会を終結させた。
わらわらと退室していく出席者たちの中、デュシアンは立ちあがることが出来ないでいた。
ウェイリード公子がずっとこちらを見つめてくるからだ。
そんなこちらにダグラス将軍やコーエン男爵が気づいて心配そうに互いを見合っていたことを、デュシアンは知らなかった。
出席者がいなくなると、彼は感情の読みにくい灰色の目を逸らさないまま口を開いた。
「この間も言った。傷つかないうちに爵位を譲渡するんだ」
その言葉に、デュシアンは「何もしらないくせに」と叫びたくなる気持ちを抑えて彼を睨んだ。
「馬鹿にしないで下さい。無礼だとは思われないのですか?」
「君に《北の公》は、荷が重過ぎる」
言い返そうとしたが、彼は立ちあがってさっさと退室してしまった。その背に負け惜しみを言うのが大人気なく感じて、
自分の胸の中で留めようとしても抑え切れなくて。
――べーっ、だ!
心の中でそう叫びながら、彼の背が消えたドアに向かって子どものように鼻筋に皺を寄せて舌を出した。
それで少しすっきりし、心が晴れやかになったと思えば。
「くくく……」
潜めるように笑う声が聞こえて、デュシアンは驚いて窓辺を振りかえった。
誰もいないはずだった。円卓に座る誰もが退室していたはずだった。しかし、窓辺にはまだセレド王子と側近がいたのだ。
しかもこちらを見て、王子はかなり笑いを堪えている。
議会中、彼らには発言権がない為に窓辺で気配を消して静かに佇んでいる。つまり議会終了後もそのままそこに静かに佇んで、
固唾を飲んでこちらの対立を見守っていたのだ。
出席者はもう帰ったものと思っていた。動揺に演技を忘れ、真っ赤になって礼一つせず、
すぐにもその場を逃げるように後にしたのは言うまでも無い。
「あの公爵、面白い。さすが、レセンの姉」
また笑いがこみ上げてくるので、王子は腹を抱えていた。一方隣りの側近は大きくため息を吐いて首を振った。
「思ったよりも幼い女性ですね。この間のあの啖呵は何だったんだ……」
「でも面白い。ウェイリード公子も面白いが、あの女公爵はもっと面白いぞ。これはレセンに教えてやらねば」
「あれがしばらくの《北の公》ですか……」
先が思いやられる、と側近は額を押さえた。
――見られた、見られた、見られたー!!
デュシアンは神殿の執務室へ走って逃げ込み、来客用のソファに突っ伏した。恥ずかしくて、まだ顔が真っ赤だ。
こんなところで顔を隠しても誰も見たりはしないのに、ソファに顔を押しつけた。
――出席者に見られるなんて……
一生の不覚。
自分のさっきの行動を闇に葬り去りたかった。まさかあのような仕草を他人に見られるとは夢にも思っていなかった。
あれではせっかくの《猛々しい》演技は台無しだ。
「でも、見られたのが王子で良かった」
それがせめてもの救いだった。あれが誰か発言権のある人間であったのならと思うとぞっとする。
それこそアイゼン公爵とウェイリード公子の心象はすこぶる悪いのに、その波紋を他の人にまで広げたくなかった。
「王子の隣りの人もただの側近だし。――ん?」
王子の横に佇んでいた随分と背の高くがっしりとした側近を思い出す。
「あの側近の人、黒い軍服着てた」
記憶の中の王子の傍の側近は、あのグリフィスという青年と、それからこの間ぶつかった女性の傍にいたユーリという青年と
同じ、黒い軍服を着用していた。
「なんだろう? 流行ってるっていうか、どこかの部隊の制服なのかなあ」
少しづつ嫌な予感を覚える。
あの側近は王子の傍にいた。つまりは宮殿側の人間であるはずだ。全くないわけではないだろうが、
高確率で神殿側の人間ではないだろう。いくら同国にあるとは言え、神殿と宮殿は別の組織である。
互いに牽制しあうような仲であるのに、国王の代行者として来ている王子の傍仕えが神殿の者のはずはない。
そして、あの側近の体格を考えるにただの貴族ではなく、騎士であろう。そうなると宮殿の正規騎士団所属であろうか。
「でも、正規騎士団の制服は濃い緑だよ……」
正規騎士団の人間はよく見かけた。宮殿だけでなく街にも至る所で巡回しているので目に付く。
「それとも黒いのもあるのかな……」
あの黒い軍服は正規騎士団の人間たちが着ている軍服とは少し形が違っていた。洗練されており、
ちょっと格好の良い感じの『着てみたい』と思わせる軍服だ。
――ちょっと待った
宮殿側には正規騎士団の他に円卓騎士団がある。大部隊ではなく少数精鋭の騎士団だ。
あまり詳しいことは知らないが、別名『黒騎士』と呼ばれているのを思い出す。
――じゃあ、あの側近は円卓騎士? 精鋭集団って言われている円卓騎士団の人間? という事は
「ダリル将軍だ……」
もしもあの側近が見たものを将軍に報告するならば、心象が悪くなるのは円卓騎士団長のダリル将軍である。
また、側近が円卓騎士であるなら同時にあの好青年グリフィスも円卓騎士ということになる。
彼の情報によれば、『北の公は世間(宮殿)知らずである』とダリル将軍は知ることになるだろう。
神殿側ではアイゼン公爵に、そして宮殿側では穏健派のダグラス将軍とダリル将軍に一番気をつけなければならなかったのに、
どうしてこうも上手くいかないのだろうか――デュシアンは頭を抱えた。
――やっぱりわたしには《北の公》は……
自己嫌悪に陥る頭に、冷たい言葉が繰り返された。
『君に《北の公》は荷が重過ぎる』
そんなのわかっている。自分の至らなさを責める心よりも、腹立たしさが増した。沈んだ思考も奮起して、
怒りとやる気が連動する。
「駄目だ、すごいだめ。こうなったら、せめて《北の守り》に関することだけでも上手くやって、
そこから信頼を得れるように頑張ろう」
デュシアンはソファから立ちあがり大きく息を吐いて気合を入れる。くよくよしてても始まらない。
《視察》をし、維持魔法を行使できればきっと少しは自分に自信が持てるはず。
そうすればあの腹立たしい公子にもダリル将軍にも、少しは《北の公》として認めてもらえるだろう。
そう思って、元気を出すことにした。
取り合えずは、自分の自信を取り戻すことが信用を得る一番の近道ではないかという結論に至り、
足は《北の守り》へ通じる部屋へと向いた。
(2003.12.12)
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