墓と薔薇

2章 支配と魅了と破壊と(3)

「でもさ。何も自分の得意な《魅了の魔法》をかけてくることないじゃない」
 異母姉のデュシアンは頬を膨らませながらフォークで野菜をざくざくと刺しながらぼやいていた。 そんな彼女をレセンは遠目で静かに見守っていた。
 姉の話相手は朝食の一品、緑黄色のサラダだ。
 場所は以前は父の書斎だった部屋。本と資料にまみれた食事となっていた。

 四日前、異母姉は屋敷に帰ってくるなりいきなり倒れ込んだ。やり慣れないことへの緊張が高まりすぎたのか、 それとも高まり過ぎた緊張が解けたからなのかはわからなかったが、熱を出して寝込んでしまったのだ。 のんびり屋のくせに線の細いところもあるひとだ、仕方ないのだろう。
 やっと起きあがることが出来た今朝、神殿への参内を三日も空けてしまったことに慌てていたけれども、 母が『デュシアンは自宅で父の書類の整理を済ませなければならない為に神殿へは数日は参内できない』 と若執事のイリヤを遣って取り計らってくれていたことを知って、胸を撫で下ろしていた。
 別に毎日神殿へ顔を見せる必要はないのだが、ラヴィン公が理由もなく何日も神殿に顔を見せないのは芳しいことではないそうで、 母がそう気を使ったとのことだ。
 母自身は継娘にゆっくりと休んでもらいたいという気持ちでそう通達したのだろうが、 異母姉にとっては《北の公》たる自分が疲労で倒れたと知れることにならなくて済んだ事を喜び、母に感謝していた。 いちいち世間体を気にし過ぎだと思ったが、レセンはそれを口にはしなかった。
 早朝そんな話をした後異母姉はもう一度眠りに陥ったのだが、安心したのも束の間、 後でもう一度容態を確認しに様子を見に行った時、寝ていると思っていた彼女がいないので、母と二人、取り乱してしまった。
 慌てて屋敷中彼女を探し、見つかった先は亡き父の書斎だった。余熱すらなさそうなけろっとした顔で、 資料整理をしていた。
 何とか説得して異母姉を寝台へ戻そうとしたけれど、彼女は元気になったので仕事をするの一点張りで譲らなかった。 せめて食べ物だけでも胃に入れてくれと母に懇願され、仕様が無さそうな顔で了承した。食欲はないらしい。その朝食を運んで、 今に至る。
 ちなみに母はデュシアンの快気祝として、夜の晩餐の仕込みに入った。ゴテゴテの脂ぎった肉料理を出して、 病み上がりの異母姉を困らせなければ良いがと、レセンは内心心配している。母はたまに空気が読めない。
 朝食を運んだからにはもう用はないが、異母姉がきちんと朝食を食べるか監視するという名目を持って、 レセンは堂々と書斎に居座っていた。しかしどうやら異母姉はレセンがいることには全く気づいていないようだ。
 サラダと会話をする異母姉に疑問と心配を抱きつつも、レセンは扉に背をつけて彼女を見守っていた。
――元気になって、良かった
 姉が元気になってくれたことは嬉しかったのだが、不意に、窓辺の花瓶に活けられた白い薔薇が視界に入り、 腸が煮え繰り返りそうになった。
 先日届いたばかりなのに、昨日また届いたのだ、あの薔薇は。もちろん父の名で。
 まるでデュシアンが熱にうなされているのを知っているかのように、添えられたカードにはご丁寧に、
『身体をいといなさい』
と書かれてあった。
 しかもそれが届いた頃に、姉の容態も軽くなったのだから腹立たしいことこの上ない。
 また、今朝までは確かに姉の寝室にあったはずの薔薇がここにあるということは、 異母姉はわざわざここに持ってきたということだ。その事実が更にレセンの神経を逆撫でした。
――次の休みの日に街の花屋とラシェの知り合いを回るか。見つけたら締め上げてやる
 薔薇の送り主への憎悪は募るばかり。必ず見つけてやるとの強い決意でレセンは薔薇を睨んだ。
「意地悪公子。陰険さはラシェとはるわ」
 一方の異母姉は、従兄のラシェに聞かれたら大変なことになりそうなことを呟いていた。
 何のことかレセンには理解できなかったが、とにかく誰かに嫌がらせでもされたのだろう、という推測に落ちつく。 しかし、なかなか固有名詞を言わないので相手が誰なのかがわからない。
 その人物が異母姉をあのようにサラダに当たるほどへこませたのだろうか。名前が聞こえたら、 レセンは勿論そいつに仕返しを密かに遂行するつもりだった。
 直接『誰かに何かをされたのか』と尋ねれば、あんな異母姉でも一応は姉としての矜持を持っているようなので、 きっと言わないだろう事は想像がつく。だから彼女がサラダに愚痴を聞いてもらっている様子を静かに見守って、 口を滑らせるのを密かに待っていた。
「どうせわたしは……」
 しかしながらもはや語尾は聞き取れなくなっていた。突っ伏して、フォークをその手から離す。からん、と金属音が響く。
 そのまま今度は机に向かって語り始めそうだったので、いい加減見ていられなくなって、レセンは諦めて声をかけることにした。
「姉上」
 呼べば、姉は肩を大きく震わせて、そして勢いよく顔を上げた。
「れ、レセン、いたの?」
 驚いたようにこちらを大きな緑の瞳で見つめてくる。頬に掛かっている髪を手で耳の後ろに撫でつける仕草は少し大人っぽい。 しかし、はしはしに覗く行動は幼くて微笑ましいものが多い。とても年上には見えない。同年の学友の方がよっぽど大人びている。
 四つも年下の弟にそう思われているとは知るはずもなく、異母姉は慌てたように声にならない言葉を発して、 赤くなったり青くなったりしていた。サラダと会話が余程恥ずかしかったのだろう。
「朝食を食べ終わった頃かと思って来たのですが」
 なんだか少し可哀想になったので、今来たばかりだと嘘をつく。
 するとこちらを全面的に信じているのか、それとも疑うことを知らないのか、 ほっとしたように胸に手を当てて異母姉は微笑んだ。
「ありがとう、もうお腹いっぱい。下げてもらってもいい?」
「はい」
 急に大人びた様子で話し出す彼女がとても滑稽だったが、レセンは笑いたいのを押さえて頷いた。そして、はたと気づく。
「もしかして神殿へ行かれるおつもりですか?」
 異母姉は公爵となった今でも、自宅だけは母の好みの服を着させられていた。つまりはとても令嬢らしい女性の服装である。
 しかし今彼女が着ているのは、公爵となってから着用するようになった男性貴族が着るような詰襟の礼服で、 本当は貴族の令嬢が着るような代物ではない。ただし、ちぐはぐなはずのその格好が不思議と似合っているが。
 そんな服装をしているので、神殿へ出かけるのだとレセンは推測したのだ。
「四日も行ってないし。ここを片付けたら行くよ」
 当然でしょうといった顔で頷いた。
「しかし、まだ……」
 四日前に玄関先でふらふらで意識も朦朧とした異母姉を見つけて運んだのはレセンだった。そんな彼女を見ていたからこそ、 余計に心配だった。一体何があってそこまでふらふらだったのか尋ねたかったが、この四日間は熱にうなされていて、 ものを聞けるような状態ではなかった。だから先程朝食を運んだ時にそれとなく聞いたのだが、 『機密事項だから聞かないで』ときっぱりと突っぱねられてしまっていた。
 もう一度尋ねて無理をしていないか確かめたかったが、聞き分けの無い弟にはなりたくはない。 だから傍にいて、何があったのか探ろうと今まで姉とサラダの会話を聞いていたのだ。 しかしその目論みも失敗に終わる。
 サラダが話せたら、きっと上手に聞いてくれただろうに。
『君を苛めた奴は一体誰なんだい?』
と。
 レセンは頭を大きく振って、自分の愚かな想像に頬を朱に染めた。
――ばかばかしい
 食器をトレイに乗せ、もう一度彼女の表情を盗み見る。資料を見出した異母姉の横顔はまだ青白いものの、 瞳に光はあるし、生き生きとしている。あの時の――ふらふらで弱弱しかった表情ではない。 今にも死んでしまいそうな……。
――こんなに早くに姉上まで……
 父の死を思い出して重ねそうになり、背筋が凍る。
 人の死に対面するのは父が初めてではなったが、それでも父の死はあまりに大きかった。 けれども小父たちのくだらない策略のせいで、それに浸ることすら出来なかった。自分が成人していたらと幾度思ったことか。 レセンは悔しさに拳を固く握った。
 もう少しで異母姉をあの意地汚い小父の息子へスターに盗られるところだったのだ。 もし異母姉が公爵を継ぐと言い出さなければ家督争いだけでなく、政略結婚の話が進んでしまっていただろう。 もちろんそんなこと許すはずもなかったが、成人していないこちらの意見は聞き入れて貰えるものではない。
――俺は別に公爵の地位とか、《北の公》なんて肩書きはどうでもいい。でも、姉上が望むなら、姉上を守れるなら……
「さて。行こうかな」
 気づくと異母姉は立ちあがって、腕を垂直に上げて伸びをしていた。
「姉上。僕も用事があるから一緒に行きます」
 用事なんて無い。ただ心配なだけ。取り合えず姉の執務室まで共に行かないと心配でしょうがない。 もし道端で倒れたりしたら? 神殿の廊下で倒れたりしたら?
 レセンはへばり付いてでも一緒に行くつもりだった。
「そう? じゃあ、一緒にいこ」
 異母姉は穏やかな笑みをくれた。それは歳相応の美しい大人の笑みだった。きっとそれはこちらを男としてみていない『姉』としての、 『年長者』としての微笑み。
 この笑みを向けられるたびにレセンは異母姉を遠くに感じた。年上とか、成人してるからとか、 そういった理由で遠くに感じるのではない。 いくら母が違っても彼女は一番近くてけれども決して手を届かせてはいけない存在として、遠くに感じるのだ。
 そんな複雑な気持ちをしまい込んで、立ち上がった彼女の身体に外套を掛けた。
 すると異母姉は驚いたように間近にいるレセンを見た。
「また背、伸びた?」
 オリーブの実のような緑の瞳が大きく見開かれる。そしてその白い手がレセンの金茶の髪を優しく撫でた。
「この間まで同じぐらいの目線だったのに……」
 自分よりも少しだけ目線下の異母姉がじっとこちらを見つめている。そんな彼女から目を反らし、小さく呟いた。
「いつの話だよ……」
――俺はいつ姉上の背を抜かしたのか覚えてる。七ヶ月前だ。学科研究のせいで寄宿舎に一ヶ月篭もりきりになって帰って来た時、 玄関に迎えに出てきてくれた姉上が自分より小さく感じた。姉上にとっては、 弟≠フ身長なんてどうでも良いんだろうな……
 自嘲するこちらに、暢気で何も知らない異母姉は不思議そうに首を傾げた。
「どうしたの? 行こう」
 促されたので、頷いて食器の乗ったトレイを持つと、彼女の後を追って扉から出た。
 そのうち上から見下ろす程でかくなってやると密かにレセンは決心する。もちろん理想はラシェより高く。
――報われないとわかってる。いつか自分の中だけで決着をつけなくてはいけない思いだってわかってる。でも 今は、このままで……。せめて、姉上を安心して渡せると思える男が現れるまで。それまで、一番傍で姉上を守らせて……
 レセンは姉の華奢な背を見つめながら、誰に許しを請うわけでもなく、そう心の中で呟いた。


「きゃ」
「わ」
「姉上!!」
「ティアさんっ!!」
 ぶつかった当事者二人とそれぞれのお供の二人、計四名の声が同時に上がる。
 異母姉は元々注意の足らない人であるが、神殿内部の研究塔の曲がり角で前方不注意にも人とぶつかってしまったのだ。 レセンが咄嗟に腕をとったので姉は転倒は免れたが、ぶつかった相手は何やら荷物を持っていたのか、 それを床にばら撒きながら盛大に転んでいた。
「ごめんなさい、わたしの不注意です!」
 異母姉は慌てて深く頭を下げ、相手に謝る。
「いえ。わたくしが不注意でしたわ」
 ぶつかった相手はほっそりとした女性で、共にいた青年に抱き起こされていた。
 彼女は穏やかな表情で微笑みを浮かべ、青年に助けられながら立ち上がった。 姉よりは少し年上だろうか、しかし姉以上に華奢な人だった。 たっぷりとした栗色髪を二つに分けて三つ編みにしており、おっとりとした印象を受ける。
 一方、彼女をそれは丁寧に抱き起こしたのは十六、七歳ぐらいのやや童顔な青年で、 着用している黒い軍服から察するに――あの精鋭騎士だ。背は高く、細身のくせにしっかりとした筋肉のついた、 しなやかな体つきをしている。
 ふと異母姉へ視線を戻せば、彼女はその青年――というよりも彼の着ている軍服を凝視していた。 それでもなんとなく面白くない。
 しかしすぐにも異母姉は足元に落ちている本に気づいて慌ててそれを拾いはじめた。
「すみません。わたしのせいで落としてしまわれたのですよね」
「いいえ。ありがとうございます」
 女性も思い出したように慌ててしゃがみこみ、本を拾う。
 落ちた本の埃を払ってから渡す異母姉を眺めながら、レセンはなんとなく苦笑してしまう。
「ティアさん、やっぱり全部俺が持つよ」
 女性の隣りにいた青年が手を差し出したが、《ティア》と呼ばれた女性は首を横に振った。
「大丈夫よ。ユーリくんも手が一杯でしょう?」
 確かに、ユーリと呼ばれたその騎士の青年の左手にも数冊の本が抱えられている。
「右手があるよ」
「あら。右手は空けておくのが騎士としての努めだと聞いたわ」
「それはジェノ上官の苦し紛れの言い訳で――」
「軽いから大丈夫よ」
 ティアと呼ばれた女性は、手を出してくるユーリの申し出を断って自分の胸に本を押さえつけるように持つと、 デュシアンへ対し、にこりと微笑み掛けた。
「拾って下さってありがとうございました。貴方様にもお怪我がないと良いのですが」
「わたしなら大丈夫です」
 異母姉は女性の笑みに触発されるように微笑んで答えた。
「そうですか。では、急いでおりますので、失礼致します」
 暖かみのある笑みと優雅な仕草の会釈を残して、女性は去っていった。
 青年もこちらに一礼し、ティアという女性の後を慌てて掛けよって行った。
「何か、すごい大切にされてるね、あの人」
 遠ざかって行く彼らの背をぼうっと見つめながら異母姉はぽつりと呟いた。
「……姉上でもそういうことに気づくんですね」
 失礼極まりないことを述べた自覚はある。しかし驚いたのは事実だ。
 案の定、異母姉は頬を膨らませている。
「どういう意味?」
「そのままです」
「む」
 自分はそんなに鈍感でもないぞと思っているのだろうが、片腹痛い。こちらの気持ちに一向に気づかない彼女に少し腹が立って、 レセンは視線を逸らした。廊下の向こうに消えて行く彼女たちの背を眺めながら、小さく呟く。
「随分年齢が離れてそうだったけど……」
 恋人なのかなと言おうとして言葉を止めた。
 一瞬、自分と姉のことを想像してしまったのだ。彼らよりはまだ自分たちの方が見た目に関しては年齢差がない分、 そういった関係に見られやすい気がしたからだ。もともと自分たちはあまり似ていないから、見知らぬ人間からしてみれば、 赤の他人に見えるだろう。それに異母姉は年齢よりも少し年下に見られがちだ。 彼らよりは自分たちの方が恋人に見えるのではないかとつい想像してしまったのだ。
 勿論そんなことを考えてしまった自分にとても後悔したが。
「レセンは年上の女性は駄目なの?」
 深い意味もなくたまに発せられる異母姉の言葉に、レセンは不意打ちを食らうことが多い。
 激しい動悸が静まったあと、何でも無い顔で振り返った。
「……姉上は年下でもいいのですか?」
 顔、大丈夫だよな。レセンは自分がおかしな表情をしていないか少し心配になる。弛みそうになる頬に、 弛みそうになる先ほどの決意。結局はまだしばらくはこの気持ちと決着をつけることは出来ないのだ。
「うーん、年下……か。あんまり気にしなくもないかな」
 何だか腑に落ちない言葉だ。
「……やっぱりラシェぐらい大人がいいんですか?」
 自分の眉間に皺が寄るのが分かる。何であいつの名をだして自ら首を絞めてるんだ俺は――レセンは自分の頭を殴りたくなる。
「え、ラシェ? ラシェはもう大人じゃない。八つも年上だし」
 何で従兄の名前が出てくるのか心底不思議そうに異母姉は首を傾げている。そんな様子にどこかほっとした。
「姉上だって大人じゃないですか」
「でもラシェを見てると、あれぐらいの年齢の人が怖くて」
「ラシェを基準で考えるととんでも無いことになりますよ?」
「そうかもね」
 昔、ラシェを話題に打ち解けあったことを互いに思い出したのか、二人揃って苦笑した。

「それにしてもあの人が読むのかな、あの本」
 しばらく歩いているうちに、急に思い出した事柄をレセンはぼそっと呟いた。
「本? 何のこと?」
 隣を歩く異母姉はこちらを少し見上げてくる。
「先ほどの女性が落とされた本です」
「う……ん。題名見なかったや。表紙は見たけど」
「姉上。あの本、父上の書斎にもあったと思いますが?」
 少し特徴的な色彩で彩られた表紙の本だ。見覚えがないとは言わせない。
「え?」
「兵法の本ですよ」
 異母姉は無言になり、居た堪れないといった面持ちになった。
 盛大なため息を吐いてやれば、彼女はそのふっくらとした頬を更に膨らませた。
「だって、よくわからないんだもの」
 子どものように頬を膨らませてぷい、と横を向いてしまう仕草は本当に幼い。苦笑したいのを抑えてわざと冷たく訊ねた。
「それで済むのですか?」
「……済まないです」
「じゃあ、読んで下さいね。公爵閣下」
「今度ね」
 えへへと笑う異母姉を見下ろし、こちらも深い溜息を吐いてみた。
「……全く」
 子どものような言動に内心笑っていたのがばれたのか、異母姉はこちらの表情を盗み見て楽しそうに微笑んだ。 そんな顔を見てしまったら、レセンの頬も緩むばかりだった。
 異母姉を諦める――その決意は遠い。


(2003.12.9)

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