墓と薔薇

1章 女公爵(6)

「私たち現代に生きる者にとって魔方陣とは、 精神体である精霊や聖獣にちからを借りる儀式である《召喚魔方陣》を意味することが多いでしょう。 古代文字と図柄を描き、彼らの波長に合わせた魔力を与えて呼び寄せ、 精神体である彼らを実体化させ、彼らが持つ本来のちからを同じ次元で借りる。 それは現代に残る唯一の魔方陣を使用した技術なのです」
 《北の守り》へと繋がる室内へ共に入室すると、ダグラス老将軍は青暗色に発光する移動魔方陣を前に穏やかに語り始めた。
「しかしここに安置されてある魔方陣は、 その(たぐい)のものではありません」
 叡智を秘めたその眼差しに魔法陣の光が映りこむ。その光をぼんやりと見つめたまま、デュシアンは続きに耳を傾けた
「実体を、ある場所からある場所へ瞬時に《移動》させる為のもの。簡単に言ってしまえば、 二箇所ある内の片方に乗れば、自動的にもう片方へと《召喚》される――そういった機能を持つ魔方陣なのです。 これは千年もの昔に神より授かった、今では失われた技術となっております」
 これがあれば、遠い僻地へも簡単に行くことが可能になるだろう。デュシアンは視線を将軍から三つの魔法陣へと戻した。 実用化されていないということは、研究が進んでいないということなのだろうかと、色々考える。
「いま現在残る知識と進められている研究では、人を召喚する魔方陣は完成されていません。 二十七年前に魔法都市国家ララドにて、人を召喚する魔方陣の人体実験が行われましたが、 召喚先に現れたのは骨と肉片だけでした。その為に、カーリアでは人体実験は禁忌となっております」
 淡々と語る為に一瞬流してしまいそうになったが、人体実験の惨状はこれから自分の身に降りかかるかもしれないことだと気づく。 青くなれば、ダグラス将軍はカラカラと大らかに笑った。多少恰幅の良い身体が膨らむ。
「ここに残された魔法陣は全て女神の魔力によるものです。半永久的に問題は生じません。ご安心を」
「はい」
 己の無知を晒したようで、デュシアンは少々赤くなりながらも頷いた。
「では、次の説明にまいりましょうか。貴女にとっては分かりきったこととは存じますが、 この老いぼれにもう少々お付き合いください」
 ダグラス将軍は銀色の顎鬚に触れながら続けた。
「人の多くが大なり小なりと魔力を溜めておく目に見えない器官を持っております。我々魔道師はそれを《魔力の器》と呼びます。 人によって長さと太さの違う、目に見えない血管だと思って下されば結構。 器の大きさはすなわち魔道師として優れた能力を生まれつき持ち合わせていることも意味します。 しかし、魔法を使用するにはもっと大切なことがあります」
 問うような視線に、デュシアンは緊張しながらも頷いた。
「魔力の波長の制御、です」
「その通り。議会で貴女があの《蒼い炎》を使用したことは良い自己紹介となりましたでしょう。 《蒼い炎》は、精霊の中でも変調を繰り返す光の精霊のちからを借りた魔法。 貴女が精霊の変調を読み、それに伴って魔力の波長を整えるちからを充分に有すると知らしめるには、 まさに打ってつけの魔法でもあったことでしょう」
 計算づくであの魔法を使用したことに気づかれている――デュシアンは唾を飲み込んだ。 しかしダグラス将軍は素知らぬ顔で、笑みを深めるだけだ。
「魔力の器が大きくとも、精霊の波長を読み、己の魔力の波長を制御するちからを持たぬ者は魔道師には成り得ません。 そして《北の公》には優れた魔道師であることが要求されます」
「……精進致します」
 優れた魔道師など程遠い自分の実力を鑑みて神妙に告げれば、ダグラス将軍は満足そうに頷いた。
「召喚魔方陣では、《呼びたいもの》の波長に合わせて魔力を流しますが、 この《移動魔法陣》ではどの精霊とも波長の合わない魔力を、魔法陣が作動するまで流し続けなければなりません。 誤って周囲の精霊の波長と合ってしまえば弾き飛ばされます」
 己の失敗する姿が容易に想像できて、デュシアンの表情は微かに強張った。
「しかしこの移動魔法陣において、問題は魔力の制御だけではありません。 魔方陣に魔力が流れ、作動の準備に入ると、精神魔法の一つ《支配の魔力》が掛かります。 魔力の制御と同時に精神魔法を解呪する必要があります」
「精神魔法……」
 その名の通り、精神に攻撃をしかける厄介な魔法である。今現在知られているのは大まかに、 身体を意のままに操る《支配》と高揚感を作り出す《魅了》、 その者が心の奥底で最も恐れていることを更なる恐怖で煽る《破壊》の三つとなっている。
「魔力の制御と同時に、精神魔法の解呪……」
 それは《北の守り》へ行くに相応しい人物か識別する為のもの。そこで躓けば、《北の公》の職務は全うできない。
――試される
 父アデルが敬意を示し、『あの知力、魔力の足元に自分は遠く及ばない』と言わしめたダグラス将軍を前に、 《北の公》に相応しいのかこれから試されるのだ。その為に、将軍はここに共に入室したのだろう。
――将軍は、まだ信じておられない
 国一と名高い魔道師のダグラス将軍から見れば、一昨日の啖呵と演技そして《蒼い炎》は猫騙しにすぎないのだろう。 あれだけで《北の公》としての資質を示したことにはならないのだ。
――そんな簡単に信じて貰えるはずはない、か
 この魔方陣の作動を一回で成功させたいと強く願い、デュシアンは拳を握り締めた。父の名に恥じるわけにはいかない――と。
 僅かに蒼く発光する魔方陣の中へ足を踏み入れると、ほんの少し上から抑え付けられるような違和感に顔を顰めた。 緊張に口内が乾く。
――重い
 魔力を流し始める前から、《支配の魔力》は掛かり始めているようだった。
 この場の空気は普通の空気と違い、とても重くてじわじわと押しつぶしてくるような圧力がある。 身体がいつものような滑らかな動きをすることが出来ないのだ。 目に見えない力が全身を縛るように纏わりついてくる。
――魔力、流そう……
 精霊の波長に合った魔力を放出することはデュシアンにとって、落ち着いていればそれほど難しいことではない。 しかしだからこそ、何にも合わせない魔力を流すことはかえって至難の技である。 それをこのような《支配の魔力》が掛かる場所で行うのだ。精神力が持つか自信がないのだ。
――精神魔法は苦手
 父アデルは護身の為に魔法の手ほどきをしてはくれたが、デュシアンはそれほど熱心に学ぶことはなかった。 特に精神を乗っ取られる魔法は大の苦手分野でもある。一度だって、解呪できたためしがない。 《魔力の器》の大きさと魔力の制御には自信があっても、精神魔法の解呪はまた別の話なのだから。
――でも、やるしかないんだ
 《支配の魔力》と対峙する決心を固めると、瞳を閉じて集中し始めた。目を閉じるとよく分かる。 蒼い光がこちらの全身を雁字搦めにしようとしていることに。手も足も頭も瞼すらも、思うように動かなくなってきた。
 これが《支配の魔力》。移動魔方陣にかけられた、使用者の精神力を試す魔法。 身体の自由を奪って精神的においつめてくる絶対魔法だ。
――これがあるから、大丈夫
 精神魔法の解呪ができないことを父がとても心配し、一つの首飾り状の 護符(アミュレット)をくれた。 それは父がアミュレット作りの天才から貰ったもので、それを譲り受けたのだ。今はデュシアンの胸元を飾っている。
 精神を落ち着ける効用があり、精神魔法を解呪するには必要不可欠のものとなっている。 今は服の下に隠したそれに、そっと手を伸ばした。
――失敗したら、どうしよう
 先ほどよりずっと大きくなる恐怖に、唇を噛む。ここで失敗すれば、ダグラス将軍の信頼は決して得られることはない。 そんな不安と失態への恐怖が自分を追い詰める。
 そもそも、弱虫で泣き虫な自分が公爵だということがお笑い種なのだ。 本当は《北の守り》に行くことが怖くて怖くてたまらない。毒の瘴気が充満して、あの《魔王》が封じられている《北の守り》。 そんなところに行って、自分に何ができるのか。
――くるしい
 とても息苦しかった。大人しく令嬢のままいればこんな思いをするはずもなかった。精神魔法なんかと対峙することもなく、 静かに過ごすことができた。一度も成功させたことのない解呪なんて、できるはずがない。だって、こんなにも強い魔法だ。 父が練習に用いた魔石に掛かった《支配の魔力》はこんな重いものではなかった。あれですら解呪できなかった自分が、 できるはずがない。
――わたしに、《北の公》なんて無理! 苦しい、いや! 助けて!
 まるで水に顔を押し付けられているかのように息ができない。泣きそうになった瞬間、身体がふわっと浮いた。
「きゃああ」
 自分の悲鳴に驚き、意識が鮮明になる。浮いたと思った瞬間、魔方陣よりほっぽりだされて地面に叩きつけられたのだ。
 慌てて駆け寄ってきてくれたダグラス将軍に抱き起こされる。
 何が起きたのか、すぐに理解した。身体が震え、浅い呼吸を繰り返す。指先が冷たくなる。
――失敗した
 精神魔法は自分の負の思考にのまれては解呪は失敗に終わる。身体が動かず苦しくなっても、 落ち着いて意識的に段階を踏んだ手順で解呪を施さなければならない。
 しかしデュシアンは、恐怖と気負いが強すぎて手順を踏むという解呪方法にまで意識に昇らなかった。 結果、乱れた心が魔力にまで影響を及ぼし、いずれかの精霊と波長が合ってしまい、魔法陣から投げ出されてしまったのだ。
「……申し訳ありません」
 ダグラス将軍の顔を見ることができなかった。見なくともその表情は分かる。
 デュシアンは冷たい指先で肩を抱きながら立ち上がるが、膝ががくがくと震えてしまう。 すぐにも支えるようにダグラス将軍の腕が背に回る。
―― 一番やってはいけない失敗を、一番やってはいけない人の前で……
 恥ずかしさに、穴が入ったらすっぽりと入ってしまいたいぐらいだった。
「この魔法陣の精神魔法は魔道師の鍛錬用に用いる魔石よりもずっと強いものです。あまり気を落とされないよう」
 将軍の声には嘲りも失望もこもっていなかった。ただただ心配する色のみ。それをどこか不思議に思う。
 顔を上げれば、その表情のどこにも呆れた様子はない。まるで孫を心配する祖父のような、 どこまでも優しい眼差しだ。
――どうしてだろう
 最初から期待していなかったからだろうか。けれども、そういったふうには思えない。もっと大きく包み込むような、 《許し》と《労わり》を感じる。 ダグラス将軍が魔道師であると同時に若者を導くことに重きをおく教師であることをこの時は知らなかった為に、 デュシアンには将軍のその態度が理解できなかった。
「魔法陣に入ったら、まずは大切に思うひとを思い浮かべて下さい」
「大切に思うひと?」
「そうです。貴女が公爵となったのも、誰かを大切に思っているからでしょう?」
 そうでなければ、表舞台などに出たくなかった――ダグラス将軍はなぜかこちらの心情をよく理解してくれていた。 デュシアンは驚きながらも小さく頷いた。
「貴女が公爵となると決意したことを、ゆっくりと意識してみて下さい。貴女の決意と精神魔法。 そのどちらが強いのでしょう」
 それを証明して下さい。ダグラス将軍は静かにそう促した。
 デュシアンの心は驚くほど落ち着いていた。それは、 ダグラス将軍が決してこちらを試す為にここにいるわけではないと理解したからなのかもしれないし、 こちらを理解しようとしてくれるその思いに安心感を抱いたからなのかもしれない。どちらでも良いとデュシアンは思った。
 将軍はこちらの《決意》の強さを知りたがっているだけなのだ。そうと分かれば、気負わず魔法陣へ足を踏み入れた。 途端に息苦しい重みに全身が囚われるが、これは精神魔法だからと意識する。そっと目を閉じた。
――大切に思うひと
 自分の血をわけた娘でもないのに愛情深く接してくれる継母。
 突然現れたこちらを姉として受け入れてくれた異母弟。
 そして自分を見つけ出してくれた、誰よりも大好きな父。
 あの幸せに包まれた空間。
 父様の代わりに母様とレセンを守れる地位につきたいと思った。いつまでも二人の傍にいたいと願った。 自分が公爵となれば、二人を守れる。それがわたしの恩返しなのだから。
 わたしを愛してくれるセオリア母様と、わたしを受け入れてくれたレセンへの恩返し。
――二人を、守りたい。わたしが、守る
 そう強く思った瞬間、身体に纏わり付く重い空気が消えうせた。驚き、恐る恐る瞳を開く。
「あ」
 宙を踊るような幾筋もの蒼い光が映る。
「成功しましたのう」
 蒼い光の向こうでダグラス将軍が嬉しそうに微笑んでいた。まるで自分の教え子が良い成績を修めたかのように。
「成功?」
 状況が飲み込めないまま、蒼い光が黄色い閃光へと変化し、将軍の顔が見えなくなった。 移動魔方陣が作動したとデュシアンが気づいた時には、もう光の渦の中で息も絶え絶えになっていたところだった。


 激しい黄色い光が落ち着くと、魔方陣はすぐにも蒼い光を紡ぎ出した。 今までそこに居たはずのラヴィン公爵の姿はもう無かった。
「《思い》の力とは、それほど強いものなのでしょう」
 平和主義者でありながらも一人で一個師団を相手に戦える術を持つダグラス・ルーズフェルト老将軍は、 自慢の顎鬚を撫でつけながら若き女公爵の成功を喜んだ。



 一章 終 


(2003.11.25)

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