墓と薔薇

1章 女公爵(3)

 異母姉(あね) は髪を母に整えて貰ってから、亡き父の書斎に篭ってしまっていた。大方書類の整理に明け暮れているのだろう、父は あまり整理整頓が得意なほうではなかったから困難を極めているに違いない。公爵となることを決意してから、屋敷では こうして書斎に篭ることが多くなった。精神的に強い方ではない彼女が根を詰め過ぎて身体を壊してしまいはしないか、それが レセンの一番の心配事だった。
 そんな異母姉の様子を見に行くには何かしらの用事が必要で、腕に抱く 《忌々(いまいま)しい薔薇》の束はまさに打ってつけのものだった が、鬱々とした気分になって溜息を零した。
――本当は、捨ててやりたい
 憎しみを込めて薔薇の束を睨んだとしても、薔薇が萎れるわけでもない。そんなことは分かっていても、他にぶつけようがない 思いの収まる先が見つからず、届くたびにこの薔薇の送り主と薔薇に向けて呪いの言葉を吐きかけるしかなかった。
 父が亡くなってからこの一ヶ月。幾度となく届く薔薇の送り主は分からないままだった。届けに来る者は毎回違い、 堅く口止めされているのか主の名を語ることはなかった。初めこそ分家の人間の嫌がらせかと勘ぐったのだが、 薔薇に何も細工されていないこと、また異母姉が大変心を奪われていることから、母と老執事はそれを受け取ることを 容認していた。最後まで抵抗していた自分が異母姉の元へ薔薇を運ぶ役目を買ってでるのは、万が一、薔薇の棘に毒でも塗られて いないかをその目で確認したいが為だ。老執事、若執事ともに如才ないが、それでも己の目で確かめなければ気が済まないのだ。 異母姉に何かあっては、娘馬鹿だった亡き父に申し訳がたたない。
「姉上、失礼します」
 ノックせずに扉を開けるのは昔からの癖だった。昔といっても、異母姉が引き取られた頃からのであるが。
 ノックをすれば猶予を与えてしまう。一人でこっそりと泣いていても、その涙を払って笑顔を作る時間を与えてしまう。それ を(うと)んでのことだった。
 文机の向こうで書類の整理をしていた異母姉は急に開いた扉に驚いたようだったが、すぐにもこちらを非礼をやや批難する ように、そのアッシュグリーンの大きな瞳を細めた。
「ノックをしてっていつも言ってるでしょ?」
 姉風を吹く口調なのに子どもっぽく唇を尖らせる。五歳も年が離れているとは思えないその仕草に、レセンはふと笑いそうに なった。短くなった髪のせいで童顔ながらもやや凛々しさを醸し出すようになったが、それでも中身は変わりないままだ。 《公爵》になどなってしまったが、何も変わってはいない。それが嬉しかった。
「すみません」
 悪びれもせず謝ってみるが、姉が一人で泣くような人でいる限りノックをするつもりはない。
「あ、それ」
 異母姉の視線がずれ、こちらの持つ薔薇に釘付けとなった。いつだってこの薔薇には勝てないのだ。不意に心が漣立つ。
「ありがとう」
 こちらへやってきて嬉しそうに頬を緩めた異母姉は手を伸ばしてくる。その様子に苛立ちが増した。
「どうしていつもそんなに嬉しそうに受け取るんですか」
 我慢ならず、つい強い口調で咎めてしまう。異母姉は驚いて目を丸くさせて見上げてくるだけだ。きっと、こちらが 腹を立てている理由など解かりもしないのだろう。そんな想像が更に自分を不愉快にさせ、追い詰めていく。
「誰が送ってくるのかわからないこんな花を喜ぶなんて……」
「父様よ」
 なんの躊躇いもなく応える異母姉を、レセンは恐ろしいものを見るように睨んだ。
「父上が送れるわけないじゃないか、父上はもう亡くなってるんですよ?! 誰かの悪戯にきまってる、それか好色な男が姉上 目当てでやってることだ!」
 吐き捨てるように、言い聞かせるように叫ぶ。悔しさと悲しさに、歯を食いしばる。
 しかし異母姉は応えなかった。ただ、受け入れがたい事実への困惑に表情を固め、思考を停止させているようだった。 異母姉は父の死から逃げている。もう一ヶ月も経ったというのに受け入れず、この《忌々しい薔薇》のせいで 自分の都合の良い夢を見ているのだ。
 激しい怒りとどうにもならない苛立ちとで、レセンは衝動的にその薔薇の花束を勢い良く床に叩きつけてしまった。
 飛び散る真っ赤な花びらの向こうに異母姉の驚愕と悲愴の表情を眺め、レセンは小さく自分を責めるように舌打ちし、 視線を反らした。
「こんな花なんかで、喜ぶなよ」
 空虚な瞳が一ヶ月前の父を亡くしたばかりの彼女と重なり、急激な自己嫌悪と嗜虐心とに心が掻き乱された。異母姉を 少しでも慰めたいのか傷つけたいのか、もはや自分でも解からなくなっていた。
 花びらとともに二人の間を白い紙がひらりひらりと舞って床に落ちる。異母姉はそれを目で追いながら、 そっとしゃがみ込み、叩きつけられて(ひしゃ) げた薔薇の束とその白い紙を拾った。緑の瞳がその紙に書かれた文字を追い、柔らかい笑みを浮かべるのをただ眺めることしか できなかった。
 異母姉は今、危うい均衡で心を保っている。父の死を理解はしている。けれども、認めたくなくて 足掻(あが)いているのだ。 もうこれ以上自分の感情に任せて責めることはできず、レセンは何も言わずに退室した。ここにいても、ささくれ立った 今の自分を抑えられなければ、異母姉を傷つけることしかできないからだ。

私の愛するデュシアン・ラヴィン嬢
【 誇り高き貴方に 】
アデル・ラヴィン


 異母姉の心を満たしたのであろうあの薔薇に添えられたカードを、幾度となく握りつぶしてやろうかと思ったか。 亡き父アデル・ラヴィンの名を語る不届き者を許すわけにはいかないと、レセンは意思を固めた。



+    +    +





 あれから一時ほど経って、もう一度書斎に訪れることとなった。本当は異母姉に会わせる顔がなかったのだが、 あの場にいなかったはずの母に何事かを察され、茶を持っていくよう命じられたのだ。
 時間が経ったことで落ち着きを取り戻し、取り合えずは謝罪しようと思えるようになっていた。 異母弟(おとうと)に甘く取り分け優しい 姉はきっと簡単に許してくれるだろう。
 やや戸惑いながら、ノックをせずに扉を開ける。やはり泣いていたりする事を考えると、どうもノックをする気には なれなかった。しかしそれを批難する声は聞こえず、どうしたものかと思ったものの、その理由はすぐにも判明した。 異母姉は文机の資料の上に突っ伏していたのだ。
 レセンは扉近くの机に茶器の乗ったトレイを置くと、彼女の傍らに近づいた。穏やかだが確かな寝息を感じる。 あれからこちらは随分と悩んで唸っていたのに、当人はこれだ――レセンは大きく溜息を吐いた。
――……あほデュシアン
 繊細なようでいて豪胆。計り兼ねる異母姉の性質に呆れるばかりだった。腹立たしくなってその寝顔を睨む。
 眠り姫の手元には先ほどのカードが置かれていた。出窓近くの机には花びらを落とした薔薇が活けられている。 薔薇は生前、父が異母姉によく贈っていた花だった。殊更喜ぶという理由で、いつも父は薔薇を渡していた。
「……父上だけが、特別ですか?」
 例えば、自分が死んだら異母姉は同じだけ悲しんでくれるのだろうか。ふと浮かんだ疑問に、我ながら愚かなことを口走ったと 自嘲する。
 くだらない感傷を振り払うように、ソファに無造作に投げ出されていた彼女の上着を取ると、眠る身体にそれを かけてやった。
「早く成人したいな」
 異母姉の髪の一房に触れてそっと呟く。柔らかい髪の感触に、不意に動悸が高まった。
 短くなった髪で帰ってきた姿を見た時は心臓が止まるかと思った。誰にそんなことをされたのか――母が泣き叫ばなければ 自分が叫んでいただろう。あの時は母の絶叫で我に返り、冷静になることが出来たのだから。
 長く美しかった異母姉自慢の髪。彼女が令嬢としての自分に自信を持てる唯一のものだったはずだ。それを自分で切り捨て、 もはや後戻りの出来ない道を選んだのだ。その決意を持たせてしまったのは、他ならぬ異母弟たる自分。ラヴィン家直系なのに 未だ成人しておらず、護り手が必要な不甲斐ない己。
 特別なちからも才能もない、屋敷の奥で人を和ませる笑みを浮かべることだけが取り柄の弱虫で泣き虫な娘なのに、魔法を扱えず 《北の公》にはなれない継母と未成年の異母弟を護る為に、苦渋の選択をしたのだ。
――あねうえ
 眠りこけるそのあどけない表情を見つめ、切なさに熱を持つ溜息を零す。
「昼寝か?」
 思いがけず声を掛けられ、レセンは弾かれたように背を正した。触れていた姉の髪が指の間から零れ落ちる。 まるで悪いことをしていたのを垣間見られたかのような、嫌な汗が流れる。
 振り向いた先には、扉に背を預ける見知った男がいた。眼鏡越しの瞳は赤に近い茶色で冷ややか過ぎるほど理知的ながらも、 油断のならない光を宿している。全てを見透かすような不遜なその目に僅かに (ひる)む。しかし声の主であるその男を睨みつけることで己の体裁を 整えた。
「ノックもなしですか?」
 自分のことは棚に上げ(とが)める。 ただの従兄である彼は異母姉にとって、異性となり得ない自分とは違うからだ。
「従兄といっても貴方は立派な成人男性だ。礼儀に欠けませんか?」
「成人してなければ礼節はいらんのか?」
 男は口元に皮肉げな笑みを浮かべながら、レセンを見下すように見つめる。
 レセンは唇を噛んだ。今時分の己の行動は節度がなかったと自覚しているからだ。
「なにせ、弟といってもお前は腹違いだからな」
「煩い!!」
 鋭い洞察のこもった言葉に、癇癪(かんしゃく) をおこした子どものように反応してしまう。
 自分ですら(うと) ましいと思う《その感情》を他者に――特にこの完璧な従兄には介入されたくはなかったのだ。 そうでなくても、《その感情》をあってはならないことだと一番よくわかっているのは、誰よりも自分自身なのだから。
「騒ぐと起きるぞ?」
 ちらりと赤茶の目が一瞬だけ異母姉に向けられ、すぐにもこちらに戻る。
「……何しにきたんだよ、ラシェ」
 これ以上感情を揺さぶられるのは癪に(さわ) るので、話を逸らすしかなかった。
「可愛い従妹が今日は落ち込んでいると思って慰めにきたのだが」
 柄にもない言い草に、レセンは鼻で笑った。
「よく言うよ、《冷酷なる魔道師》様が」
「俺はただの学者だ」
「その学者サマが一体姉上に何のようさ!」
 声が上がってしまい慌てて異母姉に目を向けるが、まだ静かに眠っていた。従兄と言い争っている自分の姿を、あまり 異母姉に見られたくないのだ。
 ほっと胸を撫で下ろし、ラシェにもう一度鋭い視線を戻した。
「だからさっき言っただろう? 慰めにきた、と」
「あんたの慰めなんかかえって逆効果だね。帰れよ」
 異母姉はこの従兄にやや怯えている感がある。この男は頭の回転が速く、人をからかうのが好きで、大変意地の悪い言動をする からだ。鈍くさい彼女とは基本的に反りが合わないのだ。それでも頼りにしているらしく、事ある毎にこの男の意見を 聞き、尊重している。もしも従兄が彼女を慰めれば、彼女はきっとその珍しさと嬉しさとに満面の笑みを浮かべることだろう。
 そんな異母姉の姿を見たくなかった。つまりは、この十三歳も年上の従兄に嫉妬しているだけ なのだ。しかしこれが厄介な感情であることを、レセンはよく理解していた。
「今日のところはお前が煩いので帰るとするが、そこの《女公爵様》が起きたら伝えておけ」
 疲れている従妹を起こしたくない従兄心なのか、それとも本当にこちらが煩いから帰るのかは彼から読み取る ことは出来なかった。けれども彼が帰るのならどちらでも良いとレセンは思う。
「何だよ」
 不本意ながらも、一応訊ねた。
「神殿にあるアデル公の執務室の本棚はちゃんと調べろ、とな」
「本棚?」
「そうだ。じゃあな」
 来た時と同じように衣擦れの音すらさせずに扉を開ける。その背を引き止めた。
「あの悪趣味な悪戯はあんたか?」
 振り向いた従兄に出窓の所に飾ってある薔薇を顎で指し示す。
「……さぁな」
 何故か従兄は一瞬眉を潜めて不快そうな表情を見せた。
「だが、誰が差出人かは――、知っている」
 そう断言すると、もう足を止めなかった。全く音もたてずに扉を閉め、疑問だけを残して去って行った。
――ラシェは知ってるのか
 レセンはもう一度薔薇の束を見た。
 あの最低な悪戯で異母姉の心を惑わす人間が誰なのか。見つけたら最大の魔力を込めて半殺しの目に合わせてやりたいと思って いる相手を、ラシェは知っているのだ。
 けれども彼はそれが《誰であるか》を教えてくれるような親切な人間ではなかった。こちらが知りたがれば知りたがる ほど決して教えようとはしない捻じ曲がった性格なのだから。
――聞き方を間違えた
 舌打ちしつつも、従兄の知りえる人物に焦点をあてながら送り主を調べて行くことにした。少しは焦点が絞れたのだ、 前進したといえる。
――絶対見つけ出してやる……
 青玉の瞳をまるで復讐を誓うかのように煌めかせ、決意を固めたのだった。


(2003.11.15)
(2008.5.23 改稿)

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