墓と薔薇

豆と鬼と女公爵

「豆まき?」
「そう。エルムドアの行事」
 もはや恒例になってきたエルムドア慣習講座。
 相手は猛々しい公爵とは名ばかりの、ぼんやりしたデュシアン・ ラヴィン女公爵。捕獲場所は神殿廊下。そのままずるずると片割れの研究室に引きずりこんだのだ。
「庭に蒔くのですか?」
 小首を傾げる姿は小動物、野兎そのもの。あれだけ騙しているというのに未だ警戒心の欠片も見せず、 こちらの話を疑わない姿勢を崩さない。たまに本気で心配になってくるが、それはこちらを信頼しているからこそだろう。とはいっても、 もちろんその信頼を勝ち得たのは、文机の向こうで我関せずといった態で書類を読んでいる片割れの方。同じ顔のよしみということだ。
「鳥の餌ですか?」
「ちがうちがう。日ごろ、鬼だと思っている奴に豆をぶつけて、祓い清めるっつー行事」
「祓い、清め? こ、この豆にそんなちからが備わっているのですか?!」
 手の平サイズの桐箱に納まった小さき豆どもが神々しいものであるかのように、息を呑んで見つめている。 やっぱり純粋な反応はたまらない。
「ただの豆にしかみえないのに」
 ただの豆だし。
「精霊の祝福、ですか? 私には全くわかりませんが」
 もちろん俺にも全くわかりません。
「それで、これを鬼にぶつけるのですか」
「そうだ。て言っても、本物の鬼じゃないぞ。人の中に潜んでいる鬼にぶつけるんだ」
「人の中に潜んでいる、鬼?」
「『鬼だ』と思う人物でも、そいつそのものが鬼なわけじゃない。そいつの中に鬼が潜んでて、たまに顔を覗かせる。 そいつは鬼のせいで人格がねじまがっているんだ。可哀想だと思わないか?」
 心底哀れそうな声色で聞いてみれば。
「お、思います」
 即座に首を縦に振る。やばい。馬鹿素直すぎる反応に、顔がにやけそうになる。
「もしも、身近に誰か思い当たる奴がいるなら分けてやってもいいぜ」
「本当ですか?!」
「おう、もちろんだ。家にまだまだあるからな、全部持ってけよ」
 桐の箱ごと押し付ければ、兎公爵閣下は顔を輝かせた。
「いいか。そいつん中の鬼がなくなるように、祈りながらしっかりとぶつけるんだぞ。 いっておくが、かなり親しい仲の奴じゃなきゃ効かねぇからな」
 最後に念だけは押しておく。ホルクス伯爵とかに豆ぶつけられた日には、恐ろしいことになるしな。 これで、冗談が通じる範囲にしか行うことにはならないだろう。 そもそも善良なこの公爵の身辺には《鬼》なんて表現が似合う人物は一人しかいないはずだから大丈夫だとは思うが。
「カイザー公子、ありがとうございました。それでは失礼致します」
彼女の目がこちらと窓辺の片割れとを行き来する。片割れが何か反応を示したのかはわからないが、 とりあえずこちらは手を振って退室を見守った。
 扉が閉まった瞬間、我慢していた分の笑いが込み上げてくる。
「やべー。あの《冷酷なる覇者》様が豆ぶつけられてどんな顔すんのか」
 親族の情なんて言葉が最高に似合わない男のくせに、なんだかんだ言って従妹に甘いところもあるようで、 きっと本気で怒れず不満だけを溜めて不機嫌になること間違いない。その様子を想像しただけで、腹が痛い。
 ふと、ずっとだんまりの背後を振り返る。過激な行事説明が聞こえていたはずなのに、水を差すこともなく静かだった。 やんわりと諌めるかと思ったが。
「とめないわけか?」
「口を出すのも馬鹿馬鹿しい」
 片割れは書類から目も離さず、呆れた口調で溜息を吐くだけ。冷めた灰色の目は先ほどの出来事に興味の欠片もないと物語っている。 でもそれが逆に不自然で、なんとなく気になったので突っついてみた。
「でもまあ、とりあえず。これだけ色々変な慣習を教えてやれば、公爵領に嫁に来ても戸惑わないだろ?」
 今度は完全に無視された。どうとって良いのやら。







 屋敷玄関にて待ち構え、扉を開けた鳶色髪の来訪者に向けて、片手に余るほど大量の豆を祈りを込めながら投げつける。
「お、お、おにはーそと!!」
 厚手の外套に阻まれた聖なる豆はばらばらと床に落ちていく。ぱちり、と金属片に当たった音もするので、 眼鏡にあたったのかもしれない。壊れていないといいけれど。
 でも、これで《鬼》が祓えれば、理想の従兄ができあがる。常に優しくて、温厚。意地悪でもないし、 頬っぺたを引っ張らない、こめかみを磨り潰さない。そんな従兄。
……なんの嫌がらせだ」
 それは、今まで聞いた中で一、二を争うほどひっくーい不機嫌そうな声。見上げれば、悪鬼のような顔でこちらを睨みつけている。 やっぱり、厚手の外套のせい?
「鬼は外なの!」
 もう一度、豆をぶつけてみる。素肌に触れた方が効果が高いのかもしれない。
 ぱちぱちぱち。なんだか大量に眼鏡に当たったみたい。豆の向こうに見えた赤茶の目が果てしなく険しいのは……気のせい?
「誰が鬼だ!!」
 伸びてきた手に反射的に身を引いたつもりだったのだけれども、遅かった。またこめかみ!!
「いぃぃぃたぁぁぁ!!」
 握った拳で両こめかみをぐりぐりぐりぐり。手加減してくれているとは思うのだけれども、頭蓋骨が痛い。
「またカイザーか! また騙されたのか!!」
 至近距離で怒鳴られて、耳も痛くて涙が出そう。

「まあ。デュシアンとラシェはほんとうに仲良しねぇ」
 母様の嬉しそうな声がのんびりと玄関に響いた。





(2009/02/03)
※本編の二人は精神的にもう少し大人です。

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