墓と薔薇

小話:商人と女将軍

 従兄のヨアヒムを見かけたのは、首都港の埠頭、倉庫群。公爵領へと帰還する前にハバートを訪れようとする道すがらであった。
 仕事中には掛けるという、片方だけの丸眼鏡の奥の藍色の目と黒髪。確かに容姿は自分に似ていると、遠目にも納得する。 母親同士は姉妹であるし父親同士は従兄弟という間柄だ、どう転んでも似か寄るものなのだろう。そのヨアヒムと面識があるのか、 クラメンスのあの准将には初対面だというのに正体を見破られた。勘違いでなければ、恐らく仲裁に入った女将軍にも気づかれていただろう。
 愛用の杖を振り回しながら小間使いに指示を飛ばすその姿を観察していれば、視線に気づいたのかヨアヒムと目が合った。 挨拶代わりの目配せのみで立ち去ろうとしたが、『しばし待つように』と手を上げて合図をされ、立ち止まる。
 小間使いに二、三言付けたのちに、すぐにもヨアヒムは杖をつきながらこちらへと歩み寄ってきた。こういった時、 こちらから近づくのを彼は厭う。
 ヨアヒムは十五の齢に落馬によって片足の自由を失った。急に興奮しはじめた馬がヨアヒムを振り落とすという不慮の事故だったと聞いている。 しかし片足の機能を失えば騎士の道は諦めざるを得なかった。そんな折にリッツバーグ商会長である御大に出会い、 事故から半年も経たずして家族と家を捨て、商人の弟子入りをしてしまった。元々話術に長けており、 そのうえどうやら商才にも恵まれていたらしく、すぐにも頭角を現して二十歳そこそこでカーリア貴族たちの信頼をも得るようになっていた。 今やリッツバーグにとってはなくてはならない人物だとも言われている。 そのことが、古くからのしきたり故に縁を切らざるを得なかったブランシールの家族たちの慰みとなっていた。
「やあ。《海賊》の被害にあったんだって?」
 どこか楽しげにそう問われ、耳聡いものだと呆れが過ぎて苦笑が漏れる。ほぼイスラフル人だけで構成されるハバート商会よりも、 カーリア人系商人が数多所属するリッツバーグ商会の方がやはり国内においては情報の伝達が早い。 特に従兄の所属するレムテスト支部は国内最大規模を誇り、様々な情報が集まり易い。
「船に直撃したそうだね。やっぱり《海賊》はカーリア人よりもイスラフル人の方が嫌いなのかな。 リッツバーグの船には二、三本届くか届かないか程度だったけどね」
 僕たちの時には船の手前で矢は落ちたんだけれどね――と続ける。
「《海賊》も、それを狙っていたのだろう。目測を誤ったに違いない」
 大事を起こそうという大それた望みはなく、威嚇程度に収めたかったはず。 さすがに間接的にとはいえ人を殺めるほど愚かだとは思いたくはない。仮にも一国の王子――それも皇太子という立場の人間なのだから。
 それでも相対したあの王子の精神的な幼さを思い出し、聞いていた以上に酷い有様であったことに呆れざるを得ない。
「これに懲りて、少しは落ち着くと良いけれどね」
 襟足を無造作に掻きながら、従兄は深い溜息を吐いた。
「あの国さ、以前よりも霧が濃くなったみたいなんだよね。特に午前中はまるで厚い雲の中にいるみたいな気分になる。 近海にまでどんどんと広がっているしね」
 確かに、以前通った時よりも海上の(もや)は酷かった。 羅針盤があったとしても、船乗りたちの長年の勘がなければ進むべき道筋も見失い、座礁しても不思議はないほどに。
「ライナー王子が立太子してから、だそうなんだ」
 ヨアヒムは声を落とし、密やかに言った。
「首都を覆うあの霧を作り出す秘石に高位の精霊が宿っていることは知っているだろう? その精霊が、 王子を次の王として認めたくないからじゃないかって、妙な噂も流れているんだ」
「まさか」
 祖ヴィクトールのように精霊に恩を売った過去がクラメンス王家にあるとすれば、 盟約以外の口出しや肩入れもその血筋に(もたら)されるかもしれないが、 いくら意思を持つ高位精霊であったとしても人間の治める国の王位に興味を示すものであろうか。
 疑わしい限りだが、その心許ない噂が王子の耳に入っていたとすれば、逆効果ではあるが、あのような荒れようにも納得はいった。
「精霊は、姉王女が臣下にならずに立太子することを望んでいたということか」
 エルムドア筋からの情報では、優れた軍人として人望があった姉王女は己と弟との間に継承争いが起こらぬよう、 数年前に武門の家の養女となったという。
「あくまで、そういう噂があるってことさ」
「確かに、彼女の方が王に相応しい器だろうな」
 姉王女であるはずのレプシウス将軍の堂々とした立ち居振る舞いには、上に立つ者の風格があった。 また臣下の尊敬と信頼を勝ち得ているのは火を見るよりも明らかだ。 百年前のカーリアとのいざこざからクラメンスでは力強い印象を与える男の王が慶ばれる傾向にはあるようだが、 女王を忌避するような国柄でもなかったはず。そもそも軍人たる彼女が男の王に引けを取るとは思えない。
「彼女はなぜ継承権を捨てたのだろうか」
……そう、だよね」
 ちからない呟きにヨアヒムへ視線を向ければ、穏やかな海峡の流れを見つめながらも、 ここではないどこか遠くを視るかような虚ろな双眸が閉じられるのを確認した。この従兄にしては珍しく、 どこか感傷に浸っているように思えた。
「ヨアヒム?」
「いや。なんでもない」
 目を開けてこちらへ視線を向けた時には、 すでにいつもの飄々(ひょうひょう)とした従兄に戻っていた。
 何か思うところもあるのかもしれないと、とりあえず結論付ける。常日頃からふらふらとした言動で本気の掴めないところがあるが、 その内は様々な感情が渦巻いているのだろう。それは人として当然だ。
「そうそう。怪我をしたハリクなら無事だよ」
 唐突に話を逸らされた感は否めなかったが、特に話を戻して聞き出す気にはなれなかった。誰しも探られたくないものを腹に一つや二つ、 抱えているものだ。特にクラメンスに関しては黙秘事項も多いはず。たまに零す有益な情報の為にも、目を瞑るべき時にはそうせざるを得ない。
「足の怪我も危険な筋はすれすれ。しばらくはクラメンスで安静だけど、訓練をすれば今後の仕事に影響はでないだろうってさ。 そのことでハバートへ行くつもりだったら今は止めた方がいいよ」
「嗅ぎつかれたのか」
「クラメンス近海に出る海賊のことを聞きつけたみたいで、宮殿と神殿両方が出入りしてるよ。ダリルの部下が僕のところにも来たしね。 そういえばなんか無駄に爽やかで顔のイイ奴で、どこの王子様かと思ったよ。あれが噂の《広告塔》?  この僕が危うく口車に乗せられる所だったよ、あれは絶対二重人格だね、腹は黒いに決まってる」
 肩を竦めて『怖い怖い』と冗談めかしに震える真似をするヨアヒムに苦笑する。確かにあの《広告塔》は、表情に考えていることが出ないが、 別段黒い事を考えているわけではないと思う……恐らく。
「ダリルも随分と自分に似た部下を持ってるんだね。爆発しないといいけど」
 確かに両人ともぎりぎりまで耐えぬいて一気に爆発をする質だと思われる。特に将軍は――。
「でもさ、海賊のことって円卓は管轄外なんじゃないかなぁと思うんだけど」
「彼らが目を光らせている対象は海賊ではなく、商人だろう。船に乗って他国へ繰り出す商人はある意味《危険人物》だ。管轄は間違っていない」
「ひどいねぇ。こんな善良な一般市民の僕が危険だなんて」
 芝居めいた仕草で、おどけたように身を(よじ)る。
「貴兄は特に、唯一クラメンスに入国を許されているのだから、目を付けられ動向を窺われるのは仕方のないことだろう」
「別になんにもしないのにさ」
 肩を竦めて(うそぶ)くさまに、自然と溜息が零れた。 嘘も方便とはよく言ったものだ。
「まあ、とにかく。襲われた船に君たちが乗船していたとはマニも絶対に口にしないだろうけど、知られないに越したことはないし、 今はハバートへ行くのは控えた方がいいよ。ただでさえ君は神殿の一派を敵に回してるんだ、あんまり刺激を与えるべきじゃない」
 確かに、と頷く。アリアバラス海峡での乗船を厭う者とこちらを目の仇にしている者は一致する。 あまり起爆剤を彼らに与えるべきではないとは思う。また何かあればカイザーの自己嫌悪を悪化させ、ビビを泣かせてしまうだろう。 それだけは避けたかった。
「難儀だね、君も。一時は次期法皇かとも噂されていたのにさ」
 のんきなヨアヒムの言葉に、つい苦笑してしまう。法皇になるのも良いかもしれないと思っていた子どもの頃を懐かしむ。今ならば ――すべてを知ってしまった今ならば、考えられないことだ。
 遠くから小間使いが呼ぶ声に、ヨアヒムは振り返ると杖を振って応えた。
「じゃあ。あんまり無茶はするもんじゃないぞ」
 らしくもない兄風を吹かすと踵を返し、倉庫群へ戻って行く。
 その背を見送りながら、ふいに彼が見つめていた海峡へと視線を送る。緩やかな波間を何を思って見つめていたのか。 どこへと想いを馳せていたのか。騎士の道を諦めるしかなかった時にさえ『仕方ない』と家族の前で顔色一つ変えなかったという従兄に、 人前で不用意にあのような愁いの表情を浮かべさせる要因に、心ならずも興味が沸いた。

 従兄と女将軍の複雑な関係を知るのは、それから数年後のこととなる。


(2009/06/03)

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