墓と薔薇

小話:花、手折(たお)るその手

 マニ・ハバートは窓辺で爪を整えながら、思案していた。
 眉間に皺を寄せた気難しい顔で卓上の地図を睨み海路を確認しているその青年は、 傍にこれだけ肉感的で露出過多な美女がいるというのに全く見向きもしない、男の風上にもおけない堅物なのだ。 こうして一刻(三十分)ほど存在を無視され続けるのは己の矜持的にも少々癪に障る。どうにか意趣返ししてやりたいと密かに思っていた。
「ねぇ、ウェイ」
……なんだ」
 名を呼んでも青年は視線すらあげない。意識だけが半分ないし四分の一ほど、辛うじてこちらに向いている状態だ。 ずっとこうして生返事ばかり。ハバート商会支部代表室にやってきておいて、 代表たるこちらを無視するという不逞極まりない態度をとる人間は彼ぐらいなものだ。
(そう。そうくるのね)
 いい加減、失礼にもほどがある。もう容赦はしないのだから――マニは口元に歪んだ不吉な笑みを浮かべた。
「前々から気になっていたのだけど、アナタ、いつもうちから買う薔薇の束を誰に贈ってるのかしら」
 地図上を動いていた視線がぴたりと止まる。地図に手を置いたまま顔だけ上げると、灰色の双眸を不審げにぎらりと光らせて睨みつけてきた。
 マニは青年の意識がすべて自分へ向いたことを心の中でほくそ笑みながら、己は青年を見ずに気だるげな半眼で指先だけを眺め、 その出来栄えに唇を尖らせるふりをした。
「リアーヌ・カラナスだったかしら、アナタの許婚者の名前って」
「婚約は解消している」
 ぶっきらぼうな物言いに苦笑したくなるのを抑え、何事もないように指先へと軽く息を吹きかける。 彼に視線を合わせず、ただ視界の端に留めるのみ。
「あら、そうだったかしら」
 しらじらしく肩をすくめてみたりして。興味がないふりをしながら、するりと本題にはいる。
「なあに、じゃあ今度は意中の人でもできたの?」
 横目でちらりと覗えば、ものすごぐ顔を顰めた青年を目にすることができて、それだけで十分溜飲が下がる思いだった。
 滅多に笑わず朗らかな表情を浮かべることのないこの青年は、動揺したり心の整理がつかないようなことを人に突かれると、 こうして不愉快そうなしかめっ面になる。顔を赤くさせるぐらいすれば可愛げもあるのだろうが、 それでも感情に翻弄される表情が見れただけでも良しとする。
 こちらを放っておいた罰。少しは楽しませてもらおうと、マニは目元を和らげた。
「聞いたわよ、カイザーから」
 眉がぴくりと動く。動揺が手に取るように分かる。その様はまだまだ青い。
「アナタ、うちに頼むんじゃあ間に合わない時に、 屋敷の温室で育ててるイスラフル種の薔薇を自分で(・・・)摘んだんですって?」
 ころころと笑えば、更に眉根の皺が深くなる、目元がきつくなる。
 この青年のすごいところは、苛立ちや動揺が口元には現れないことだ。全部目元。口はお行儀よく真一文字に引き結ばれている。
「アナタが誰かの為に薔薇を選んで切ってるところ、ものすごーく想像がつかないんだけど。案外ロマンチストで献身的なのねえ」
 これがとどめの一撃。
「次回からリッツバーグで頼む」
 そしてそれが捨て台詞。もうこちらに見向きもしないで、 ソファに投げてあった自分の外套を引っ手繰ると、さっさと扉の向こうに消えてしまった。
 素早い逃亡だとマニはくすくす笑う。
「あらあら怒っちゃった」
「マニ様」
 開け放たれた扉からアシルが入ってきて、眉尻を下げた困り顔で首を振っている。廊下で彼とすれ違ったのだろう、 何があったのか悟ったのかもしれない。
「やーね。ちょっとからかっただけよ」
 弟分の青年は幼い頃から年齢以上の落ち着きがあったけれど、内面的にはまだまだ成長途中にある。たまに刺激して、 それを確かめるのは楽しい作業だ。それに自分を一刻も無視し続けたのだから、良い意趣返しとなった。
「それにしても、あの朴念仁に貢がせるなんて、どんな女かしら」
 あれをその気にさせるとは、どんな手を使ったのか、とんでもない悪女かもしれない。しかも情熱的な薔薇ときている。
「案外、可愛らしい女性かもしれませんね」
 アシルが視線を逸らして笑っている。
「あら、誰だか知ってるようなくちぶりねえ」
 こう見えて青年とアシルは馬が合う。薔薇のことを直接頼まれたのはアシルであるし、知っていてもおかしくはない。 除け者とされてしまった身の上としては、ほんの少しだけずるいと思うが。
「まあ、いいわ。ウェイが自分で紹介してくれるまで待つから」
 どんな顔をして自分の隣りにいる女性を紹介するのか――それを考えるだけでも一興だ。


(2007/12/12)

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