墓と薔薇

ヴァレンタイン特別編

1.彼にとっては日常

 この時期は公爵領に帰れたものじゃない。
 自慢じゃないが、俺は女に困ったことがない。背も高いし、身体も逞しく、おまけに顔も良い。 剣の腕はダリル将軍のお墨付きで、魔法はお手のもの。性格は明朗快活で、人を楽しませるのも得意だから、 女たちが放っておかないのは当然だ。(今はエルメローシュがいるから他の女なんて眼中にないが)
 まあ世の中には「男は多くを語らない方が良い」とか思っている奇特な女たちもいて、 あの堅物片割れを追いかけている奴らもいるが――。
「ん?」
 そんな事を考えていたからか、向こうから歩いてくる人物がまさにその奇特な女の部類に当てはまる人物だった。 確認したわけではないが、俺の勘がそう告げている。
 ≪彼女≫の姿を目にして急に閃いた。退屈な片割れの一日を薔薇色にしてやろうという、俺が楽しい企画を。 それにはまず役者を止めなければならない。
「おーい、ラヴィン公」
 手を振って呼び止めれば、その大きな緑の瞳を丸くさせて彼女は足を止めた。また片割れと見間違えたのかと一瞬疑ったが、 そうではないらしい。彼女はただ驚いていただけのようだった。
「こんにちは、カイザー公子」
 笑みを浮かべて律儀にもちょこんと頭を下げてくる。黙って立っていれば少しは凛々しくも見えるが、 口を開くとやはりどこか甘ったるい女の子だ。別にその感じは嫌いではない。俺が嫌いではないのだ、片割れだって同じだろう。
 観察するのもこのぐらいにして、咳払いを一つして本題に入る事とした。
「お前さ、まだウェイに甘いモン、持っていってないだろう? (5章12話目参照。デュシアンはお菓子を作ってウェイリードに持っていく約束をしている)」
「あ、はい」
「それさ、チョコレートにしないか?」
「え?」
 小首を傾げた姿はまるで野兎のようだった。それも、耳を掴んできゅっと首を捻れそうなぐらい無防備な。
「ヴァレンタインって風習があるんだが」
「ばれんたいん?」
 聞きなれない響きに更に首を傾げたのを見て、俺は心の中で「よっしゃ!」と叫んだ。 この風習を知っていたら計画は始まらなかったからだ。
「エルムドアの方の風習だ。世話になった男にチョコをプレゼントするっていう。 カーリア人は知らないだろうけど、うちの人間はみんな知っているぜ。昔からの習わしだから」
「そういえば以前、アイゼン家はエルムドアの風習に従うとお聞きしました」
「ああ」
「それは、カーリア人がやっても大丈夫なものでしょうか?」
 よっし。興味を示した!
 笑い転げたいのを我慢して、俺は実に紳士的な微笑みを浮かべた。人を騙すには、まず安心できる笑みを見せる事。これが極意だ。
「もちろん」
「ウェイリード公子は驚きませんでしょうか?」
「アイゼン公爵領では普通にやってる事だし、アイゼン家の人間には説明なしで渡しても驚きはしないよ」
「そうですか。――じゃあ、その風習に便乗しようかな」
 嬉しそうに手を合わせる彼女は本当に隙だらけだ。やや心配にもなるが、今はそれどころではない。
「実はこの風習は色々手順があってな――」
 俺は懇切丁寧に細部までしっかりとラヴィン公に教授した。≪ヴァレンタイン≫というものがいかなるものなのかを。

「はい。ご親切にありがとうございました」
 そして全部説明すると、彼女はぺこりと頭を下げて去っていった。
 彼女を騙した事に罪悪感はない。寧ろ、彼女の背を見ながら腹をかかえて笑い転げたいところだ。
 当日が楽しみである。






2、甘い公爵様

 二月の十四日。風の日。快晴。
 チョコはグレッグに相談して、溶かしたチョコに生クリームやお酒を入れて固め直したものにココアの粉をはたいたり、 砕いた木の実をまぶしたり、紅茶の葉を入れて味付けに工夫をしてみたりなど色々こだわってみた。 なめらかな口溶けに幸せな気分となる。もちろん形は全てハート型。それが習わしらしい。
 ラッピングはやはりカイザー公子が言うように、男性側への配慮ではなくピンクなどの女性らしい色あいで統一するよう試みた。 白い箱にピンクの包装紙、赤いリボン。完璧。
 そして女性らしい服装。母曰く「気品がありながらもどこか可愛らしく、そして甘く切なく、愛される女性に相応しい」服装であるらしい。 残念ながら、上に羽織った白いコートでそれも見えないけれど。髪もしっかりと編み込んでもらい、 真珠が輝くピンで今風に纏めてもらった。
 用意は万全。
 全てを確認したところで、勇気を振り絞って扉をノックする。カイザー公子が言うには、この日は神殿の研究室に詰めているという。
 了承が聞こえ、箱を後ろ手に隠して扉を開けた。
「ウェイリード公子、こんにちは」
……ああ」
 彼の反応が一瞬遅れる。いつもの事かと思ったけれど、やや顰められた眉を見て怯みそうになってしまう。
 研究の邪魔をしてしまったのかもしれない。早々に切り上げよう。 そう思って、窓辺に腰掛けて書類を見ていたウェイリード公子へと近づくと、後ろに隠していたものを差し出した。
「あの、これ、どうぞ」
「――これは?」
 ピンクの包装紙に赤いリボンが巻かれたそれを、公子はじっと見つめている。
「チョコです」
 答えれば、ウェイリード公子が絶句したように思えた。
 エルムドアの風習を知っている事を驚いたのだろうか?
「カイザー公子に、今日はチョコレートを渡す日だと教えていただきました。アイゼン家はエルムドアの風習に従うと聞いてますので」
……確かに」
 公子の表情がどんどん曇っていく。何が彼を不機嫌にさせてしまったのか、全く分からない。 もともと機嫌の良い日ではなかったのかもしれないし、そもそも自分の存在自体をあまり快く思っていないのかもしれない。 とにかく分からない。

『チョコレートを渡す時の≪合言葉≫を忘れちゃ駄目だぞ!』

 その時、カイザー公子がしつこいぐらい念を押してきた合言葉を思い出して、慌てて付け加えた。
「あ、そうでした。これは≪本命チョコです≫から」
 これが合言葉だったはず。正直意味がわからない合言葉だったが、大切な言葉らしい。
 失礼の無いようににっこり笑うのも忘れずに、との指導も受けていたので微笑んでみるが、 どうも公子相手に狙って微笑むのは難しい。ついつい頬が熱くなって照れ笑いになってしまった。
「――は?」
 するとウェイリード公子は口をぽかんと空けて微動だにしなくなった。まるで石像にでもなったかのように固まっている。 呼吸をしていないのではないかと心配になった。
(カーリア人のわたしが合言葉まで完璧だから驚いているのかな?)
 疑問はあるけれど、これ以上時間を取らせて彼の不興を買いたくはない。少し会話をしていきたかったけれど、今日のところは諦めた。
「お時間をおとりして申し訳ありませんでした」
 外套の裾を掴み、令嬢のようなお辞儀を残して退出した。
 最後までウェイリード公子は動かなかった。






3、彼にとっても日常

 ばたん。という扉の閉まる音に我に帰る。箱を持たない方の手で前髪をかき上げ、 こちらの反応を待たずに帰ってしまった彼女の言葉を反芻した。彼女は確か片割れの名を口にした。
「――カイザーめ。何を考えている」
 今は正午から一刻が過ぎた頃合いだ。まだこれから兄弟子との研究の詰めが残っている。 それなのにこの疲労感。椅子へ背を預けてずるずると腰を滑らせた。
 このまま片割れのところへ怒鳴り込めば「してやったり」の顔でにやにや笑われるだけ。行かなければ行かないで、 「本気にしたのか?」と後で笑いに来るはず。
 怒鳴るか、無視をするか。
 それを考えるだけで更に疲れる。
「騙されているとも知らないで――」
 少しでも疑問を持って自分で調べるなりなんなりすれば、この日がエルムドアではどういった日であるのか分かるはずなのに。
 簡単に騙される彼女への苛立ちと、片割れに踊らされた彼女への同情で溜息が洩れる。
 書類の続きを見る気にも、茶を淹れに立ち上がる気にもなれなくて、右手が受けとってしまった箱を持ち上げて観察してみた。
 よりにもよって、ピンクときている。
 彼女に悪気はない。もちろん他意もない。多分、今までの礼のつもりなのだろう。
(気づいて取り返しにくるだろうか?)
 そうだとしても謝罪を並べるだけで、これ自体を取り返しにくることはいくらなんでもやらないはずだ。
(ビビにでもやるか)
 甘いものは苦手だ。従妹にやろうかとも考えたが、このままの包装で持っていくわけにもいかない。 あいつはまさに今日が何の日であるのか知っているのだから。
(包装を解けば……
 赤い紐を解いて、ピンクの包装紙を外してみた。無地の白い箱が姿を現し、安心する。 この姿なら従妹に渡しても問題はないだろう。
(それにしても、疲れたな)
 相変わらずの片割れは、碌なことを閃かない。






4、ヴァレンタインの意味

「本命、です?」
 自分の言葉にやや戸惑うように、けれどニコニコと微笑みながらピンクの箱を手渡してくる従妹を見て、正直呆れかえってしまった。 一体どこで間違った知識を擦り込まれたのか。
(エルムドアの風習か)
 その時点で犯人はすぐにも絞れた。カーリア人でそれを知る者は限られている。 ≪あいつら≫のどちらかだ
「あれ? ラシェは知ってるよね? ばれんたいんっていうエルムドアの風習なんだけど」
 いつまでたってもこちらが受け取らないのを疑問に思ったのだろう、小首を傾げながら押し付けてくる。
 それにしても、こいつのこの気合の入った格好はなんなのだろう? つい眺めてしまった。
 白いコートの裾からちらちら覗くレースは叔母上が好きそうな服の裾だろう。 公爵となってから神殿へ参内する時は常に男のような格好をしていたこいつが珍しい。それに髪型。 軽く編み込んで纏めて飾りピンで留めたりなどして、女らしさを強調している。
 これも入れ知恵か。
「アホか」
 ここまで徹底して騙すアイゼン家のお騒がせ者どもと、騙される従妹の両方ともに呆れ、溜息が零れた。
「なんで? だって、お世話になった人にチョコレートを渡す日なんでしょう? ちゃんと教わったんだけど」
 世話になっている、という自覚があることには正直ほっとする。
「おかしいなあ。ウェイリード公子は受けとってくれたけど」
「お前、あいつに渡したのか?」
 そうだった。あの二人はどちらもただ人を騙すだけで事足りるような連中ではない。 ウェイリードへ迷惑をかけるのも忘れない奴等なのだ。寧ろ今回はそれがメインかもしれない。
「さっきウェイリード公子には渡してきたよ。――あ。ごめんなさい、もしかして先に公子に渡してきたこと怒ってる?」
 そんな心の狭い人間なわけないだろうに。
「お前、その騙され易い性格をどうにかしろ。あいつらに遊ばれるぞ」
「え?」
「その風習はな、女が恋愛感情を抱く男へチョコレートを渡してその意思を示す日だ。 それに本命ってのはその恋愛感情が≪本気だ≫という意味だ」
 全貌を簡単に説明すれば従妹は真っ青になり、そしてすぐに真っ赤になった。それから何事かを喚いた後、 慌てふためいてそこら辺のテーブルに太腿をぶつけたり椅子につま先を突っかけて転びそうになりながら出ていった。 大方ウェイリードへ謝罪しに行ったのだろう。
「説明しなかった方が面白かったか? まあ、ウェイリードなら奴等の悪戯だと気づいているだろうが」
 まさか本気にするような浮かれた奴ではない、――多分。
 しかしあの浮かれたカイザーと双子な分、少し心配だったりもする時がないわけでも、ない。






5、衝撃の告白

「分かっている」
 彼女は紅潮させた頬で説明と謝罪に現われた。相当取り乱しているので、とにかく落ちつかせてやろうと、 こちらがカイザーの企みに気づいている事を伝えた。
 すると彼女はほっとしたように胸を撫で下ろし、もう一度深く頭を下げた。
「すみませんでした、前もって調べてみれば良かったです」
 申し訳なさそうに何度も謝る彼女の手には、先程こちらへ渡したものと同じ物が握られていた。 自分以外の誰かに渡す時にでも気づいたのだろうか?
 不意に鳶色髪の不遜な男が脳裏を掠め、身体の内側が冷めていく感覚があった。
……ラシェ、か)
 気づいたのではない、彼女は教えてもらったのだ、風習の本当の意味を。 エルムドアの駐在大使である両親を持つ彼はエルムドアの風習に詳しい。
 彼女が世話になっていると自覚するに相応しい働きをしている男だ、彼女が渡そうとするのも当然だろう。
「ラシェに、聞いたのか?」
「はい。あ、いけない、渡しそびれちゃった!」
 自分の手の中にある箱に気づいたようで声を上げるが、すぐにもまたこちらを見上げてくる。めまぐるしい娘だ。
「あれ? どうして分かったのですか?」
……いや」
「ラシェはエルムドアの風習を知っているので、呆れさせてしまいました」
(私がさっき教えてやれば良かったな)
 しかし渡したのちに脱兎のごとく去ってしまった彼女に言葉をかける余裕もなかったのも事実。 それに、彼女が自分以外の誰かに渡すと想定していなかった。
(自惚れ、か)
 無性にカイザーへの怒りが溜まっていく。公爵領へ強制送還してやろうか。
……悪かったな、カイザーの道楽に付き合わせてしまって」
 今日は本当に疲れた。これから兄弟子と喋るのかと思うと気分が重い。
「いいえ。チョコレートを加工するのはとても楽しかったので」
「そうか」
 本当に楽しかったのだろう、朗らかに微笑むその表情を見て安堵した。後悔だけを残すようなことにならなくて良かった。
「あの、でも、せっかくなので、受けとって頂けますか?」
 こちらを覗うように尋ねてくる彼女に野兎を連想してしまう。少し笑ってしまいそうになった。
「ああ。心配せずとも、この風習には≪義理≫という形で世話になっている者へ渡す場合もある。 必ずしも好意を持っているから渡す、というわけではない」
 安心させようとそう教えれば、彼女は「心外、意外」と言わんばかりに目を丸くさせた。
「え? でもわたし、公子に好意持ってますけど?」
「――は?」
「公子はとても良くして下さいましたし。――あれ? わたし何か変なこと言いましたでしょうか?」
「――――――いや、別に……
 ここはきっちりと教えてやるべきなのだろうか。好意の意味の違いを。
 野兎に和んだつもりが、どっと疲れが押し寄せてきた。説明するのも煩わしい。
「そうですよね。では、本当に失礼致しました」
 その笑みすら重たく圧し掛かってくるように感じて、つい視線を避けてしまった。






6、甘いチョコレート

 疲れきってソファへ身を投げる。視線がちょうどサイドテーブルの上に置かれた箱に止まり、 しばし見つめた。視線を動かすのも億劫だ。
(ビビにやろうと思ったが……
 一つも食べないというのは礼儀に反するような気がする。しばし考え込み、身体を起こすと箱へ手を伸ばして蓋を開けた。
 例によって、この形。
(カイザーめ。徹底しているな、一体どういうつもりだ)
 碌でも無い事にばかり頭を使う片割れをいっそ本当に公爵領へ強制送還してやろうかと思う。 悪戯は日常茶飯事。いちいち反応するのも虚しいが。
「他意は、ない」
 彼女には悪気はない。他意も無い。あったのはただの感謝の意。
 そう自分へ言い聞かせ、一つを摘んで口に放り込んだ。
 そんなに甘くない。ほろ苦さの後に、控え目な甘さが溶けるように舌に広がる。 不思議と身体の内側が暖かくなったように感じる。
 この時期アイゼン公爵領に帰れば酷い目にあう。だからこそチョコレートもこの風習もあまり好きではないのだが。
 気づけばもう一つ掴んでいた。そんな自分に苦笑しながらそれを口に含ませた。 甘いものは苦手だが、これはとても美味しく、疲労感が抜けていくように感じた。
……ビビにやるのは、後ででいいか)
 自分が飽きたらやろう。
 そう思いながら一日を過ごし、 夕暮れ刻にカイザーがビビを連れて顔を見せに来た時には自分で全て食べてしまっていた……





<おまけ>

「それで、ウェイリードに伝えてきたのか?」
「うん」
「あいつ、分かってただろ?」
「うん。すごいね公子って、頭良いね。わたしが本当の意味をラシェに教えて貰ったとも分かったもの」
「エルムドアの風習を知っている人間は少ないからな」
「そっか。でも、≪本命≫と≪義理≫って、ちょっとおかしくない?」
「なにが」
「だって、≪義理≫は好意を持たない相手に渡すものなんでしょう? わたし、公子もラシェも好きだけど」
……だから、この風習で使われる≪好意≫ってのは恋愛感情を含むか含まないかでの事だと教えただろう。 親愛の情はこの≪好意≫には当てはまらん」
「あ」
「なんだ」
「公子に≪好意≫は持ってるって言っちゃった!」
「――アホか」
「ど、ど、どーしよう」
「知るか」
「でも、今更違うって言って取り消すのも、すごく失礼だよね?」
「(違わないから、いいんじゃないか?)」
「え? 今、何か言った?」
「いいや。それより、ウェイリードなら誤解しないだろうから放っておけ。カイザーと違って そういう勘違いはしない――(はずだ。……多分)」
「ん? そうかな、大丈夫かな」
「(全く、俺まで巻き込みやがって)」
(2006.2.12)

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