墓と薔薇

特別編:ハロウィンの罠

 首都邸宅の自室にて。
 ノックを了承すると、橙色の物体が黒いマントを翻しながらおぼつかない足取りで入室してきた。 頭を覆った可笑しな表情のカボチャの被り物は、でこぼことした質感がよく表現できているので、つい関心してしまう。 短めのマントの下は、被り物と同色の橙色の服を着用していた。慎みがないと常に言い含めている短い裾からすれば、 どう考えてもこれはカイザーではなくビビであろう。
 数日前にグリフィスから、生まれ故郷の風習である《ハロウィン》の話を聞いた際の勘は当っていたようだった。
「trick or treat!」
 耳慣れぬ独特の言語を元気よく叫ぶその声に一瞬呆気に取られたものの、四度目ともなればすぐに事態を把握できる。 このような格好をすることに躊躇いはないのか、との疑問はとりあえず飲み込んだ。
 かぼちゃの被り物のせいでくぐもったものになってはいるが、それは間違えようもなく《彼女》の声だった。
「お菓子をくれないと、悪戯しちゃうぞ!」
 いつもよりも強気な口調であるのは、己の顔が隠せていることへの安心感からなのか。しかも強さを誇示する為なのか手を大きく広げ、 木の杖を振り回している。あの二人から何かしらの演技指導でも受けたのだろう。実戦するその童心には関心せざるを得ない。
「そこにあるのを食べるといい」
 呆れるのもそこそこに、窓辺のテーブルを指差す。
「え?」
 彼女を巻き込んだカイザーもビビも、まさか菓子が用意されているとは思わなかったのだろう。 カボチャ頭が左右に揺れ、悪戯をする気だった彼女の動揺が知れる。
「菓子が欲しいのだろう?」
 尋ねれば、カボチャ頭は困ったように首を横に倒し、そのまま頭の重さに負けるように頷いた。
 被り物が少し重いのか、それとも視界が悪いのか、よたよたしながらテーブルの方へ向かう。 危ない足取りがやや気になって、その背を追って椅子を引いてやる。思ったとおり、椅子のないところに座ろうとするので腕で支え、 介助する。保温結界に入れてあった熱い茶を注ぐが、もしかすればこれは危険かもしれない。取りあえず色々気がかりなので、共に席に着く。 ザッハトルテの乗った皿も差し出し、どうするつもりなのか成り行きを見守った。
「いただきます」
 カボチャの化け物に成りきっているのか、トルテを切ったフォークは被り物の下へ運ばれた。茶器すら被り物の下へ運んで飲んでいる。 被り物を取るつもりはないらしい。一応カボチャには目も口もあるが、そこは空いているわけではなく黒い布を貼り付けてあるだけなので、 見たり食べたりはできないようだった。
 懸命に食事をするその仕草が滑稽で、少々笑ってしまう。すると、被り物の向こうの視線がこちらに向いた気がした。 うまく作られたもので、こちらからはその緑の双眸は見えない。
「ごちそうさまでした」
 とりあえず、茶をこぼして火傷をするのではないかとの考えは杞憂に終わる。思ったよりも器用にたいらげたものだった。
「やっぱり美味しいです、アイゼン家のお菓子は」
 満足そうに一人興奮している。おそらく被りものの下は緊張感のかけらもなく、 己の現在の格好や設定も忘れて満面の笑みを浮かべているに違いない。そんな想像が、何故か忘れていた悪戯心を刺激した。 グリフィスから教わった言葉を彼女へ向けて、口にする。
「trick or treat」
「え?」
 被り物の乗った薄い両肩が大きく揺れる。その動揺がおかしくて、もう一度はっきりと繰り返した。
「trick or treat」
「わたし、なにも持ってないですっ」
 恐らく悪戯をする為の道具は持ってきたのだろうが、菓子は持っていないらしい。室内唯一の菓子も、いま彼女が食べ終わったところだ。
「では、悪戯か」
 そう嘯け《うそぶけ》 ば、彼女は奇声を上げて勢いよく立ち上がった。
 勢いが良すぎて椅子が倒れた。その音にいちいち驚いて、手探りで椅子を直していた。
 彼女の慌てぶりがおかしくて、声なく笑う。すると、彼女が無言でこちらを振り返った。被り物で詳細は見えないが、 恐らくこちらを見ている。
「どうした?」
 先ほどもそうだが、彼女は不思議なところでこちらの様子を窺う。
 被り物に振り回されながらも首を横に振り、もじもじと指先を動かしていた。
「おいとま、致します」
 歯切れ悪く退室の意を告げると、頭を下げた。落ちそうになる被りものを慌てて両手で押さえている。
「まだ悪戯は終わっていないが」
 至極真面目な表情で告げれば、
「つ、謹んで、ご辞退、申し上げます、です」
 彼女は扉の方向へじりじりと後退していった。前も後ろもあまり見えないだろうに器用なことだと思っていれば、 やはり懸念した通り均衡を崩した。もちろんアデル公の娘たる彼女を床になど這い蹲らせるつもりはないので腕を伸ばし、身体を支えてやる。 その拍子に彼女のマントから何か白いものがひらひらと舞い落ちた。床に落ちた白いものを見下ろし、僅かに困惑する。
「羽?」
 おそらくこれは悪戯する為にカイザーたちが持たせた道具なのだろうが、これで何をするつもりだったのだろうか。嫌な予感がする。
「くすぐったら、公子でも絶対笑うって。カイザー公子が」
 腕の中、至近距離で不貞腐れるように彼女が白状すれば、戦慄を覚えた。この羽で、くすぐられる予定だったらしい。これは仕置きが必要か。 彼女を支える腕にちからを入れる。
「ならば、私はこれで君をくすぐれば良いのか」
「え!」
 彼女の身体が面白いように固まった。冷や汗でもかいているに違いない。分かり易く素直な反応に少し溜飲が下がる。 このぐらいにしておくかと彼女を支える腕から力を抜けば、すぐさま身体が離れた。
「つ、謹んで、辞退しますっ」
 脱兎の如く扉まで走るので、警告しようと思った時には遅く、扉に真正面からぶつかっていた。やはり視界は悪いらしい。 情けない声で「いたい」と呟くのが聞こえ、怪我はなさそうだと安堵する。予想通りの行動ばかりすることに苦笑すれば、 カボチャ頭がこちらを振り返った。緑の瞳は見えないが、視線が重なったような気がする。
 しばしカボチャと無言で対峙する。傍からみれば奇怪な光景だろうと、他人事のように思う。
「し、失礼、致しました」
 我に返ったのか彼女は律儀にも頭を下げ、またずり落ちそうになるカボチャの被り物を慌てて両手で押さえた。 そして今度こそ本当に退室した。廊下で転ばないと良いが。
 しかし、彼女をけしかけたカイザーやビビが結果を知りたがっているはずだから、すぐにでも回収されるだろう。そう思い至れば、 過度な心配は無用だと考え直した。
 彼女が落としていった白い羽を拾い上げ、興味本位で首を撫でてみる。だが、特に何も感じなかった。室内に菓子が何もなければ、 彼女は本当にこれでこちらをくすぐるつもりだったのだろうか。今になって可笑しさが込み上げてくる。
 彼女にそんなことができたのだろうか、一体どんな気分でそんなことをするつもりだったのだろうか、一体どこをくすぐるつもりだったのか。 疑問ばかりが膨らむが。
 とりあえず、これを羽ペンにでもしようかと軸の硬度を確認しながら、本日何度目かの苦笑を零した。

(2009/10/16)

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