墓と薔薇

今日は何の日?

「こんにちは、カイザー公子」
 暢気でおっとりとした雰囲気を醸し出す彼女と出くわしたのは神殿からの帰り道、屋敷の目の前でだった。
 陽だまりのような暖かな笑みを浮かべてこちらに挨拶をする彼女は、公爵なんて地位とは全く縁のなさそうなぼやっとした少女で、 暗雲漂う神殿で生き残る為の逞しさの欠片も感じられないお嬢様だ。噂はあてにはならない、という言葉を体現してくれているらしい。
 そんな彼女と出会って、またも急に閃いた。彼女の反応はどうも、忘れかけていた悪戯心を刺激する。 つまりは素晴らしい暇潰しを思いつかせてくれる良い触媒であるのだ。
「ん? 随分と他人行儀じゃないか、≪ビビ≫」
「え?」
 こちらが随分と馴れ馴れしく顔を寄せて彼女ではない名で呼べば、彼女は肩を大きく飛び跳ねさせた。 大きな目を丸くさせて、口をぽかんと開いたまま固まっている。この反応がたまらなく可笑しい。
「そうだ、そろそろアイアシェッケが焼けてる頃だろ、帰るぞ」
 逃げないように腕をがっちりと掴むと屋敷の門をくぐり、前庭を大急ぎで駆けて行った。あまり遅くなると≪寝てしまう≫。
「え? ええぇぇぇぇ? カイザー公子。カイザー公子、わたし、わたし――」
 玄関を開けて屋敷へ入れば彼女はやっと大きな抵抗をみせた。おかまいなしに強引に彼女の薄手の外套を奪うと執事に放り、 腕を取ったまま来客室へ引っ張った。
「あんまり大きな声を出すなよ。研究に没頭しすぎで寝不足のウェイが怒鳴るぞ、ビビ」
 片割れが怒鳴ることなど滅多にないが、便宜上言ってみれば彼女は静かになった。ちらりと彼女を見下ろせば、 おろおろと落ちつかない様子で視線を散らして動揺を見せ、掴まれていない方の手で自分の髪の毛を摘み、その色を確かめていた。 まぎれもない金髪はビビとは当然違う。どうなっているのか理解できないらしく、半ば泣きそうになっている。
(あー、おもしれー)
 来客室へ彼女を突っ込むと、春の日差しが入り込む窓辺のテーブルの席につかせた。 そのうちアイゼン家特製のアイアシェッケ(ケーキ)がやってくるだろう。
「あ、あの。あの」
「どーしたんだ、ビビ。もうすぐアイアシェッケが来るから待ってろって。お前、アレ好きだろ?」
「か、カイザー公子、わたし、私、どう見てもビビさんでは、ない、と思うのですが……
「何いってるんだ?! 頭でも打ったのか?!」
 大袈裟に驚いてみせて、気遣わしげに彼女の頭に傷がないかを探すフリをした。
「こぶは無いようだな」
 安心したように息を吐いて微笑んでみせれば、彼女は頭を抱えるようにして悩み出してしまった。 自分がおかしくなったのか、こちらがおかしくなったのか、必死に考えているのだろう。 明らかにその容姿は≪ラヴィン公爵≫そのものなのに――黒髪のビビなはずないのに、自分の考えに自信が持てないあたりが彼女らしい。
「ほら、ビビ。アイアシェッケが来たぞ。食べろ食べろ」
 葛藤している彼女に、女中の運んできたケーキとお茶を勧めた。本物のビビはもはやアイアシェッケには飽き飽きしていて、 これが出てくる度に文句を垂れるようになっている。そんな事を知らない彼女は目の前のアイアシェッケに手を伸ばしたが、 気がかりな事が大き過ぎて喉を通らないようだった。
(思ったよりも繊細だったか)
 アイゼン家の菓子はエルムドア伝統の菓子であるからカーリア人には馴染みが薄く、けれども好まれ易い味だと思う。 本当に≪引っかけ≫たいのは彼女ではないのだから、もうちょっと寛いで、その味を堪能してもらいたかった。 早く≪あいつ≫が来ればいいのだ。
 そう思った瞬間、扉がノックされた。来たらしい。
「カイザー、ファウが引っ張って来たのだが、私に用事か?」
 来客室の扉から顔を覗かせたのは、兄弟子に付き合ったせいで連日徹夜続きとなり、 相当疲れが溜まって機嫌の悪そうな表情をした片割れだった。奴は室内の顔ぶれを見て、時を止めたかのように固まってしまった。 彼女がここにいるのがそんなに衝撃的な事のか、と意地悪く聞いてやりたいが、今日はそれが目的ではない。
「おー、ウェイ。お前も茶を啜るか?」
 片割れの足元から室内へ入り込み、褒めて欲しそうな視線を向ける愛犬(ファウ)へ手を伸ばしてやや乱暴に頭を撫でながら、そう尋ねた。 途端に片割れは我に帰り、眉間に深い縦皺が入れた。この表情は同い年である奴を年上に感じさせる。
「何をしている、カイザー。なんで彼女がここに――」
「おう、今ビビに餌やってるところだ」
 隣りに座っている彼女の頭をがしがしとかき混ぜた。髪を頭の高い位置で結う髪型の好きなビビは、 これをされると『髪がぼさぼさになる』と相当怒る。
「えさ……
 アイアシェッケを飲み込んだ彼女が衝撃を受けたかのように小さく呟いた。 しかしこちらの気分はさながら雛鳥に餌をやる親鳥なのだから、間違ってはいない。
「ビビ?」
 幾分時間が経ってから、片割れは室内をぐるりと見回した。暖炉の中やテーブルの下を見たってどこにもビビはいない。 当前だ、ビビは現在アイゼン公爵領へ里帰りをしているのだから。
「ああ、そうだ、ビビだ」
 いたって普通に、なんでもない事のように振るまって彼女の肩に手を添えて応えれば、 片割れはしばらく呆気にとられたように固まった。それから額に手をあてて何事かを呟くと、
……睡眠不足のようだ。私は寝る」
そう宣言して、こちらを振り返る事なく出て行ってしまった。
「よく眠れよー」
 奴の背に届いたかは知らない。
 もういい加減笑いを堪えるのが困難になり、扉がきちんと閉まった途端に盛大に吹き出してしまった。これ以上我慢はできない。
「おもしれーだろ。あいつ、自分がおかしくなったと思いやがった」
 片割れのあんな様子は見れるものではない。自分の見たモノを信じられないなんて、正常な時の奴には有り得ない事態だ。
 隣りを振りかえって同意を求めるが、彼女はまだ状況が飲み込めないらしく目を白黒させている。
「あの」
「キルシュトルテも食うか? アイゼン家の人間は食い飽きてる菓子だしな」
 もうこれで彼女をビビなんて呼ぶ必要もない。面白いものを見せてくれた彼女には素晴らしいもてなしをしなければ。
 アイゼン家の菓子を一通り持ってきて欲しいと紙に書いてファウの口に挟めば、ファウは厨房へ消えた。
「あのう」
「今持ってこさせるから他の菓子もどんどん食えよ。お前細っこいし、食べないとマニやエル (エルメローシュ)みたいな体型にはなれないぞ」
「う」
 どうやら自分でも気にしているらしい。彼女の顔が引き攣った。しかしそんなに気にする程出るところが出ていない、 というわけでもない――のかは分からないが。未来の旦那の為に頑張るのも悪くないはずだ。
「ほれほれ」
 とりあえず、目の前のものを平らげるよう促した。
 自分が自分であった事が証明されてほっとしたのか、彼女は「いただきます」と呟いてアイアシェッケの続きを食べはじめた。
 美味しそうに食べる彼女を見ているうちに、本当に雛鳥を見守る親鳥の気分となって、 女中がワゴンで運んできた菓子をどんどん彼女に勧めてしまった。――しかし、これだけあると胸より腹が膨れるかもしれない。


「あのう、ところで、一体何だったのですか?」
 テーブルに並べられた菓子の三分の二を食べ終わった頃に、思い出したかのように彼女は尋ねてきた。 おいおい今更か――と思うも、暢気な彼女らしくて苦笑してしまう。
「今日は嘘をついても良い日なんだ。エルムドアの風習だ」
「ええと……。エルムドアって面白い風習ばかりですね」
 この間のヴァレンタインの事を言っているらしい。確かにあれも変な風習だと思う。 しかしエルムドアは更なる変な風習があるから、あなどれない。
「そうかもな」
 今度はどんな楽しいものを見せてくれるのか。目の前の彼女に期待するばかりだ。









一方の片割れ。

「おかしいな、ビビが彼女に見えるとは……。相当疲れているのか?」
 アイゼン家の長子は困惑した様子で額を押さえながら、二人の居た客室を背に自室へ帰っていったとか。




(2006.4.1)

-Powered by HTML DWARF-

inserted by FC2 system